3

「おはようございます。私になにかご用ですか?」眠たげな目で二人の警察をみつめながら鈴木竜は言った。


「ちょっとお話したいことがありますが、時間よろしいですか?」


鈴木竜はいぶかしい表情で大原警部と新居刑事を見回した。でも、特に断る理由もなかったので、部屋に入れた。


「はあ、どうぞ」


前回来た時より、タバコのにおいはきつくなかった。すくなくとも、天井に雲が出来るほどではなかった。


「水をお持ちしましょうか?」


今回は珍しく、大原警部はいらないと言った。


「前に一度、鈴木さんは就職とかしないかと聞いたことがありましたね」


大原刑事は切り出した。


「はい、そうですけど。警察の方は人の将来にも気をつかってくれるんですか?」


「そうしたい心は山ほどありますけど、日常の業務でなかなかそんな時間はありません」


時間が余ったらお茶の時間になるんだから、と新居刑事は心の中で冷やかした。


「鈴木さんの夢はもしかして歌手ですか?」


この言葉を聞いて、鈴木竜の全身は小刻みに震え出した。


「か、、歌手ですって?誰から、そんな、うわさを聞きつけたんですか?」


声には動揺の色が漂っていた。


「さっき、本部から電話があったんです。何の電話かご存知ですか?」


「私に、知るはず、、ありませんじゃないですか」


「それは失礼しました。実はですね、とある音楽会社からの電話です」


「音楽会社?もしかして」


「長谷川健也が所属するはずだったあの音楽会社です」


「それがなにか?」


「鈴木さんのデモ曲がとても素晴らしいとおっしゃったのです」


「本当ですか?」


鈴木竜はすっかり興奮した。さっきまでの緊張は吹っ飛んでいって、変わりに、嬉しくて震え出した。頭を少し冷やしてから、鈴木竜も違和感に感じたらしく、はやる気持ちを静めて、大原警部に訊いた。


「でも、なんで警察のほうに電話をしたんですか?」


大原警部はすぐには答えなかった。鈴木竜の心までえぐるような視線でじっと見据えてから、話した。


「あのデモ曲は長谷川健也のものだそうです」


鈴木竜はあっけに取られて口をぽかんと開いた。頭を左右に振りながら、ありえない、ありえない、と何度もつぶやいた。


「デモ曲は私が作ったのです」


大原警部は何も言わずに、鈴木竜の顔を見据えて。


「本当です。信じてください」


取り乱している鈴木竜は急に一人言を言い始めた。しかも抑揚が激しく、前に一度聞いた低い声と対話している様子だ。


鈴木竜:「ちょっと、これは一体どういう事なの?」


低い声:「それは」


鈴木竜:「私を騙したのね」


低い声:「そうじゃないの。僕の話を聞いて」


鈴木竜:「もう、聞きたくない。信じられない。仲良く暮らしてきたのに、こんな形で裏切られるなんて」


低い声:「違うの」


鈴木竜:「なら、それは長谷川の曲じゃないって証明できるの!」


低い声:「それは、出来ない」


鈴木竜:「嘘つき!」


こんな奇妙ですこし不気味なやり取りが続いている中、新居刑事はなんども目を閉じたりは開いたり、開いては閉じたりしたけど、前にある鈴木竜の異状に変わりはなかった。


「鈴木君」


大原警部の声に反応した鈴木竜はきちんと座りなおした。


「はい、何でしょうか?」


「もう一人の鈴木君にあわせてくれないかね。いろいろと話したいことがあるんだが」


「いいですよ」


拒絶しなかったことに意外だった。


鈴木竜の顔は暗くなった。


「僕に何かご用ですか?」と低い声で訊いた。


なんとなく寒気がしたのを新居刑事は感じた。しかし、大原警部はいつもと変わらない穏やかな声で答えた。


「事件の夜の事について詳しく話してくれないかね。今の情況では鈴木竜が容疑者にされる。そんな事は望んでいないでしょう」


「はい」


「鈴木竜にも会話が全部聞こえるかね?」


「はい、聞こえます」


「なら、話してもらおうか」


唾を飲み込んでからもう一人の鈴木竜が話しだした。


「あの日、管理人から長谷川が引越しすることを聞きました。大手音楽会社に入ったといううわさがありましたので、それが原因なのかもしれません。竜はとても悔しがっていました。なぜ、自分ではないかと。竜の歌声は確かに下手ですけど、専門的な練習をうければきっと、うまくなると僕は思っています。竜は前にこんな事を言ってました」


ここで、竜が言った夢をクラスに喩えた話を二人に聞かせた。


「それで、僕は長谷川があのクラスからいなくなれが、竜が入れると思いました」


「つまり、君が長谷川健也を殺したって言うんだね!」


大原警部は新居刑事を落ち着かせて、鈴木竜に先を続けるようにすすめた。


「あの夜、バイトから帰って僕は竜を寝かせました。竜が寝ている間だけ、この身体をのっとることができるからです。僕はドアの前で外の音に耳を傾けました。長谷川はいつもドアを荒々しく閉じるし、歩く時はわざと大きな足音を立てるのですぐ分ります。多分、0時頃だと思います。長谷川が帰ってきたのは。しかし、いざとなるとなかなか行動に移せないです。部屋の中で歩きまわりながら悩んでいました。漸く決心がついて長谷川の部屋に向かったのは0時30分頃だったと思います」


鈴木竜はあの日のことを話した。


全部聞いてから大原警部と新居刑事は部屋を出た。


「警部、あの鈴木竜の言葉を信じていいんですか?」


アパートを後にして新居刑事は訊いた。


「間違いはないと思う」


「これからはどうするんですか?」


「一度、本部に戻ろう」


「はい!」


二人は横付けした車に向かった。そこには田中富士子が待っていた。


「警部さん、あたしの話しを聞いてください」


「ごめんなさい、田中さん。今からすぐ本部に戻らなければなりませんので」


「犯人探しにきっと役に立ちます。ぜひ訊いてください」


「自首してください」


大原警部の言葉に田中富士子は一瞬びくっとしたが、すぐ取り直して訊き帰した。


「な、何のことです?」


「失礼しました。犯人には自首するよう勧めたのです。今回の事件はこれで終わりです。今までのご協力、ありがとうございました」


「もしかし、鈴木竜を犯人扱いにしているんじゃありまんね?」


「そんな事は言っておりません」


「誰が犯人だって言うんですか?」


田中富士子は向きになった。


「お教えできませんので、ご了承ください」


「あたしは本当に事件に関わる大事な手がかりを握っているのです」


「すみません、田中さん。大切な情報はもう鈴木さんからもらったので事件はそろそろ解決できると思います」


大原警部は腕時計を一目みた。


「もう時間がありませんので、ここで失礼します」


二人はすばやく車の中に乗った。だけど、田中富士子は諦めないで、車窓を叩いた。


「きっと後悔しますよ!」と田中富士子はあきれて叫びだした。


大原警部は別れの会釈をして、新居刑事に車を出すよう命じた。


車を出してから、新居刑事は大原警部に疑問に思ったことを聞いた。


「警部、一つ聞いていいですか?」


「いいとも」


「今日、大原警部が田中さんを対する態度がつめたいな~あって感じまして」


「そうかもね」


「昨日まででも、田中さんから情報を得るためによくはなしたんじゃないですか?でも、なんで今日、冷たく接するんですか?」


「そう見えた?」


「はい、そう見えますよ。田中さんが何か情報を話そうとしても、警部は気にも留めてないし、さっきも無視するし。どうしてですか?」


「これが駆け引きっていうもんだよ、新居君」


「駆け引きですか?なぜそんなことを?」


「もうすぐわかると思うよ」


「えぇっ?本当ですか?」


「本当だよ。それに」大原警部は独り言のように言葉をつづけた。「犯人が自首すればいいけど、物事はそううまく運ばないからね」


大原警部と新居刑事はまずご飯を食べに行った。


この間、食べ損なった韓国料理屋だ。焼肉定食を頼んで食べ始めた。


「警部、これからは待つしかないんですか?」


「待つしかないね」


「もっと捜査して、物証を集めたほうがいいと思いませんか?」


「僕はね、新居君。物証に拘りたくないんだよ。物は人の手によって持つ意味を変えることができるからね。無実な人に濡れ衣を着せるにはうってつけのことだからね」


「でも、鈴木竜の事には驚きました。まさか。あれを二重人格というんですかね?」


「そうだね。いつも、押さえていた感情が比べられる人が周囲に現れると共に、爆発したんだよ。もう一人の人格はまさにそれなんだ。僕が心配していた乱暴なイメージと違って、ほっとしたんだよ」


「乱暴ではないんですけど、人を殺そうとしたんじゃないんですか。やはり、精神科に行かせてちゃんと治療を受けさせた方がいいんじゃありません?」


「確かに。たが、彼にはそんな金の余裕があるようにはみえないんだがね。それに、行こうとしないね。私からみれば」


「それはそうですね。あの性格では誰が無理やり連れて行かない限り、行きませんね」


「絶対いかないね、鈴木君は」


焼肉定食はおいしかった。二人ともお代わりを頼んだ。


「ところで、警部。鈴木竜が二重人格っていうことをいつから分ったんですか?」


「はっきりと確定したのは、最初に聞き込みに行った時だ。橘れいこの事を思っているのかね?」


「何のことですか?」


「あの、思いつめた顔をした男性を見だっている話だ」


「はい、覚えています。でも、それとは何の関係があるんですか?」


「あんまり知らない人の事を覚えるには、先ず顔を覚えなくてはならないのさ。橘れいこも自分で言ったように、人の身体とか服装をみるより、顔を見るって。そこで問題なんだよ。僕たちは他人の普段の顔を覚えていて、少しでも雰囲気の違った表情が顔に表れたら、不審に思えるのにも無理はない。むしろ、鈴木竜のような完全に別人みたいな顔をした人を見るとね」


「そうですね、僕もさっき見てびっくりしました。演技しているとも思えないし。その病気は治れるんですか?」


「専門的治療を受ければ、多分直れると思うよ。鈴木竜が治療に受けるか受けないかにかかっているけどね」


それ以上、事件については討論しなかった。


本部に戻って午後が過ぎても犯人は自首しなかった。


「誰も来ませんね。本当に自首すると思ってたんですか?警部?」


「少しは期待していたんだが……」


大原警部は新居刑事に指示を出した。


「新居君。今から手配したまえ。計画とおりにするしかない」


「はい、分りました」


自首を望んでいた大原警部だけど。こうなった以上、傷害を最小限ないしは0に等しいぐらいに減するしかない。


新居刑事が行きましょうというので、大原警部は席から立ち上がって、一緒にアパートへ向かうパトカーに乗った。

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