3

大原警部はアパートに着いた。


「ごめんください」玄関口で何回か言った。静かな朝だ。


大原警部は管理人室のドアを叩いてみたけど、ここでも何の返事もなかったので、勝手に2階へ上がっていった。


一日中、アパートの仕事で忙しいと言ってたのに、今はどこで何をしているんだろうと大原警部は思った。


二階へ上がったのは203号室の長野卓男に会うためだ。ちょうどいい話のネタがあったから。


陰鬱でだらしない格好の長野卓男が出てきた。


「お、、おはようございます」明らかに、怖がっている。警察からではなくて、周りのすべての人にこんな態度をとっているのではないかと、疑うほどだ。


「おはようございます」優しく振舞うのが相手を安心させる一番の薬だと大原警部は思った。「少し、お話しできますか?」


「なんでですか?知ってることは昨日全部話しました」すっかりおびえている長野卓夫。


「そんなこと言わずに。今日は事件の言ではなくほかのことできました。少しだけでいいので入ってもいいですか?」


優しい顔の大原警部を見ると、長野卓夫も安心したようだ。


「はい、ど、どうぞ」


長野卓夫は大原警部を部屋に入れた。


床に坐ってから、長野卓男から話しかけてきた。早く話を聞いて追い払おうとしている。


「今日は、なん、なんのためですか?」


「僕にとってはね、大したことじゃないかもしれないけど、あなたにとっては、大事かもしれないよ」


わけのわからない大原警部の話に長野卓夫は一層緊張した。


「なんの、ことですか?」


「そんなに緊張しなくてもいいんだよ。だって、今日話たいのは藍星についてですよ」


長野卓男の陰鬱だった顔はわずかばかりだけどたちまち明るくなり目はキラキラと輝きだした。これもまた一瞬ばかり。


「藍星!何のことですか?裏情報っていうことですか?それともコネっていいうことですか?えぇっ、ちょっと待って。まさか藍星と遠縁の親戚?そんな情報はなかったけど。じゃ、どんな事だろう?」


激しい勢いで言いたいことを言ってから、大原警部が何を話すなか、期待に満ちた眼差しで待っていた。


「来週の握手会は知っているのかね」


「もちろんです。でも、握手会のチケットは抽選で選ばれたはずではありませんか?もう結果が出て僕はみごとに、は、はずれでした。もっと買っておけばよかったんですけど、今月は金があんまりなくて……」


落ち込むとつかえつかえの話し方に戻るんだなあ、と大原警部は思った。


「でも、私はチケットをもっているよ」


「え!本当ですか?信じられないんです。どうやって当たったんですか?ラッキーですよね。やっぱり量で勝負したんですか?警察も見た目によらずアイドル好きですね」


「コネだよ、コネ。しかしね、行けないのかもよ。今回の事件がいつまで延びるかが知らないからね。私もね行きたいんだけど、事件が長引いたらいけないんだよね。本当困ったもんだな。周りに行けそうな人がいないんだから」


大原警部はわざと長野卓夫を見ながら最後の言葉を言って聞かせた。


「僕が行きます。僕が!僕は時間がたっぷりありますので行けます!」身を乗り出した長野卓男は顔を大原警部の顔に近寄せて、まじまじと見つめた。


「僕はね。早く事件の事を解決して、一緒に行ける人がほしいんだよ。でも、事件が今のままでは、再来週になっても解決できる見込みがないからね。どうすればいいかな。いい方法がないのかね?長野君?」


事件の事が話題にでると長野卓夫の顔を瞬時暗くなって、またおどおどしている様子に戻った。


「言えなかったことがあるのなら、今ここで話してくれないかね?」大原警部は優しい声で訊いた。


長野卓夫は何分か、すごい悩んでいた。それからようやく決心したようで、ゆっくりと口を開いた。


「じ、実はあの時の事を、わ、忘れようと、、しています」長野卓夫の声は震えていた。


「なぜなのか、理由を教えてくれない?」


迷っているのははっきりと見て取れた。けど、理由を聞かせてくれた。


「れ、0時10分、ぐらいの時に、、長谷川の部屋へ、行きました」


「何をしに行ったの?」


「ゆ、勇気を振り絞って、、長谷川に、藍星のサインを、頼みました。お、同じ会社だから」


「うん、その気持ちは分る。それでどうなったの?」


急に、長野卓男が興奮し始めた。


「長谷川のやつ、藍星みたいな小娘は楽勝に自分の物にすると言うんです。純粋な藍星が穢されるわけにはいきません。もっと酷いのは部屋で、あ、、あれするところをビデオーにとっておいて見せるというんです。あんなやつ、生きるかちがあると思いますか?!」


長野卓男の全身が震えているので、大原警部は撫でてあげた。少し落ち着いてから、話しはまだ続けた。


「酒を飲んだという証言はあったんだけど、あの時の長谷川健也の状態はどうだったのかね?」


「酒の匂いはしましたけど、酔っていたとは思いませんでした」


「その後、君は何をしたの?」


「すぐ部屋にもどりました」


「本当なんだね」


大原警部は長野卓夫をじっと見つめた。ウソを見破ろうとする眼差しだ。


「は、はい。本当、です。それから、部屋に入って、寝ようとしました。一刻も早くあんなやつと一緒にいたくはありませんでしたので!」


「部屋に戻ってすぐ寝たのかね?」


「は、はい。その後でした。なん、何分が経って、床の踏まれてきしむ、お、音が聞こえて、きたんです」


「どこへ向かって歩いたと思っているのかね?長野君」


「お、音から判断、すると、長谷川の部屋です。行ったり、来たりしたのが、4回はあったと、思います」


「4回あったのね。」


「は、はい。3番目の人が、、長谷川の部屋へ、行って間もなく、4番目の人も、行ったのです。あ、足音から、判断すると、、一緒に、離れたと、思います」


「分ったよ。ありがとう」と言った大原警部は深く思案し始めた。


「え、えーと?」長野卓男が静かに訊いた。「チ、チケットは?」


「そうだね。握手会の場所は分っているんだよね。来週、あの場所へ直接来たらいいんだから」


「す、すっぽかす、わけにはいかない、ですよ!本当ですよね!絶対ですよ!」


「心配する必要はないよ。一度した約束はちゃんと守るからね」


長野卓男はあの日の夢を見ているかのように、天井を見上げた。


大原警部はドアの前で別れを告げた。


(面白い証言をもらったなぁ)と大原警部は思案顔になった。


長野卓男を含め、5回の行ったり来たりした人がいるか。一人が2回、もしくは3回、4回。5回行ったり来たりすることもできる。誰からまた新しい証言が出てくるかもしれない。これから誰に会おうかと思いながら大原警部は1階に下りた。

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