第五章

1

朝早く、大原警部は捜査本部へは行かず一人で殺人の起こったアパートへ向かおうと電車に乗った。


電車の中で食べ物をする人は嫌いだった。自分も食べたくなるからだ。おいしいハンバーグのにおいがしたので、電車を降りてまずファーストフード店に入った。


窓際の席に坐って食事をしながら行人を観察し始めた。その時、通り過ぎる内田薫の姿が見えたので、慌てて店を出た。


出勤時間なのに、電車へは乗らずどこへいくのかが気になって、声をかけず内田薫の後をついて行った。


内田薫は薬局へ入って買い物を済まし、すぐ出てきた。


大原警部はいかにも偶然の出会いかのように呼びかけた。


「おはようございます、内田さん。ここで出くわすなんて、奇遇ですね」


「おはようございます」


内田薫には警部に会ったことに驚いたりはしなかった。


「もしよろしければ、駅までお供させていただけませんか?」


「はい、かまいません」


内田薫の目にはくまができていた。それに元気なさそうに肩を落として歩いた。長谷川健也が死んだからではなく、別の事が起こったと大原警部はもくろんだ。このまま黙り込んではいけないと思って、切り出した。


「何か悩みことでも抱えているように見えますが」


「いいえ、何でもありません」声はしゃがれているように聞こえた。


「私に何かできることがあれば、何なりとも申してください。きっと力になれると思いますよ」


「ありがとうございます。でも、大丈夫です。自分の事は自分で何とかします」


「時には親切なおじさんに助けを求めるのも悪くないと思いますが」


「本当に大丈夫です」


「ところで、長谷川健也は誰に殺されたと思いますか?」


この唐突な大原警部の問いに内田薫はびくっとした。


「何か心当たりは?」と大原警部。


内田薫は無気力に顔を横に振った。


「長谷川健也が死んで得をする人がいると思いますか?」


「なんでそう思うのです?」


「事件は通り魔の仕業ではありません。そうすると顔見知りの犯行になります。長谷川健也は確かに人から好かれていないですが、殺したいほど憎まれてもいないと私は思っています。そうしますと残りの線は、誰が長谷川健也の死によって利益をもらえるか、が有力な動機になります。心当たりは本当にありませんか?」


「はい、ありません」


内田薫が嘘をついているとはないと大原警部は思った。


「ほかに心当たりはないとしたら、あなたはどうです?」


「私ですか!」この思いかけない質問に内田薫はびっくりした。


「実はですね、あなたと長谷川健也の間について、変なうわさを聞いてしまいまして」


「誰からですか?」


「それは言えませんなあ」


「きっと田中さんでしょ。あの人はいつもぺらぺらとしゃべりますからね」軽蔑の気持ちが含んだ口調だった。


「そんなのでたらめです。健也が死んで私になにが残ると言うんですか?保険金?」


「健也と言いましたね」


内田薫も自分のミスに気付いた。なるべく平然を装いながら「そろそろ電車が来ますので、私はここで。さようなら」と言って人ごみの中に姿をくらました。


大原警部は引き返して、内田薫が立ち寄った薬局に入って何を買ったのかと尋ねた。内田薫が買ったのは睡眠薬だった。


ばかなまねだけはしないよう、と願いながら大原警部は昨日尋ねた陶芸教室へ向かった。

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