第四章
1
「警察は帰ったみたいだね」
僕はベッドに横たわっている竜に話かけた。
「そうみたいだね。ちょっぴり物足りない気がするんだけど、どうしてかなあ。それにさぁ、さっき危なかったじゃないの。勝手な行動をしたら、まずいってことは分っているでしょう」
「うん、ごめん。これからはもっと注意する」
僕はすぐ誤った。
「気付いてないみたいだから、何よりだけど。今度からはもっと自制してね。疑われたら大変なことになるんだから」
「知ってる」
ベッドから起き上がった竜は片手に鏡を取って髪を撫で付け始めた。前髪をまっすぐ伸ばしたら顎まで届くけど、天然パーマなので、曲がった髪の毛はいつも変わったヘアスタイルを呈している。
「この髪、どうにかならないかなあ。櫛をとおしてもなかなかかっこよくなれないし。パーマでもしようかな。でも、金もかかるし、時間もかかるし、面倒くさいし」
文句を言いながら竜は髪の毛をいじっている。
「ならいっそう切ればいいんじゃない。さっぱりしていて格好よくなるかもよ。それに、飲食店で働いているでしょ。店長は何も言わないの?大丈夫?お客さんの食べ物に髪の毛が入ったことはない?」
「そんなことは一度もなかったよ。ちゃんと髪の毛を帽子のなかに収めてるから。それに、あの店長はこの前、来たばっかりで、何も言ってくれないの。店長とはまだ口もろくに聞いてないし。私にとっては好き勝手にやらせているから楽だけどね。まぁ、仕事をうまくやってるから何もいわないの。あの店長は若い女性には言い寄っていくんだよね、それが。結婚もしてるのに。スケベ親父の根性、丸出しだよ。何だかキモイ。なに考えているのかなぁ」
「ずいぶんとひどいこと話したよね。一応、給料をもらえる人なんだよ。悪口はほどほどにしなさいよ」
「うるさいね。悪口を言ったのもこれで初めてなんだからいいんじゃない、別に」
竜は鏡の中に映っている自分を見ながら、うぬぼれた顔をした。
「変だと思わない?」
「何が?」
僕は聞き返した。
「鏡の中に写された自分はとってもかっこいいのに、なぜ写真になるとダサくなるのかなあ?」
「何も変じゃないよ。ただ、人は鏡を見るときに脳の働きで、実際より綺麗に見えるんだって」
「へえ、そうなんだ。ちょっと待って、私は実際かっこよくないってこと?」
「そんなこと言ってないよ。それに、自分に見とれるんじゃなくて、その時間を利用してほかのことでもしたらどう?」
「分った」と言ったけど、竜は全然その気がなかった。髪の毛をどんなにいじっても変われるものはなにもないのに。
「あなたも話す時ぐらいは笑えばいいのに」竜が言った。「いい男じゃない」
「笑いたくない」僕がそっけなく言った。
鏡を見るのに厭きた竜はまたベッドに潜り込んだ。
「はあ~、バイト行きたくない」
「ベッドで怠けるんじゃなくて……」
竜が急に起き上がったので僕は言い切れなかった。竜は箪笥の中から服を選び始めた。
「何してるの?」僕が訊いた。
「かっこいい服を着て行かなくちゃ」と言って口笛をふきはじめた。
「なぜそんな事するの?」
「そんな事も知らないの?」
僕が知らないと言ったので、竜は続けた。
「殺人事件が起こったら誰が真っ先に駆けつけてくるの?」
真赤なジャケットを手にとって「これ派手すぎかな」とつぶやいた。
「それはもちろん警察でしょう」
「警察以外は?」ジャケットをハンガーにかけて箪笥の中に戻した。渋い顔をしてこれは違うと頭を振った。
「もしかして、新聞記者?」
「ご名答です!」
竜は服の選びにすっかり張り切ったので、僕はそれ以上何も言わなかった。最終的に3ヶ月前に買ってずっと袋から取り出していない新服に決めた。
「どう?」
「いいよ。でもそんな事して何になるの?」
「本当に何もわかってないのね。新聞記者はきっとこっちの写真を新聞にのせるでしょう。その写真に写っている私の姿を見て、どこかのスカウトマンが私を見て、タレントの素質があるかとか言って、私のマネージャになるの。最初はモデルとかをやって、人気を集めてから歌を歌うの。そこから輝かしいスターの道が開かれるかもしれないじゃない。だから、身だしなみはきちんとして出て行かないといけないのよ」
浮いている竜に水さすようなことは言いたくなかったので僕は黙っていた。その後の竜は携帯で写真を撮ったり、もっと髪を整ってみたり忙しく振舞った。
女のようにお化粧をするわけでもないのに、1時間はかかった。バイトへ行く時間になったので、やりきれない思いで竜は部屋を出て行った。もう少し時間があればもっと完璧になれるのに、と惜しがっている。
部屋を出たら、田中さんが玄関口に立っていた。
「バイトへ行くの?鈴木君」
「はい、今からです」
「偉いね!今日は殺人事件なんか起こったら、休みをもらったの」
竜は苦笑いをしながら答えた。
「私のシフトは夜ですから、大丈夫です。それに、代わってくれる人もいませんので、行くしかありません」
田中さんは竜の傍に近寄ってきて外を指差しながら、低い声ではなした。
「野次馬と記者と警察でいっぱいだね」
「そうですね」
竜にとって一番うれしいことは記者があることだ。
「殺された男性とどんな関係ですか?とか、犯人について何か心当たりはありませんか?とか聞いたりして、もううんざりだよね」
顔は嬉しそうに微笑んでいるけど、と僕は思った。きっと記者の前でも長谷川の事をありもしないことまで付け加えてペラペラとしゃべったのに違いない。人々が自分の話しに夢中になるのを楽しんでいる人だから、田中さんは。
「でも、思ったより記者はたくさん来ていなかったわね。やはり、有名人じゃないとこんなもんかな」こう言って田中さんは記者のいる方を見た。「警察も鈴木君といろいろと話したでしょう」
「はい、いろいろ聞かれました」
「何を話したの?」
好奇心にかられて、目をキラキラ光らせながら竜の答えを待っていた。
「別に大したことを聞かれたわけでもありません。ただ、死亡推定時刻の0時から2時の間に何をしたのか?とかを聞かされました」
「ほかにはなかったの?」
「ありましたよ。夢は何なのか?とか、これからの人生計画とかを」
「まったく」と言って、田中さんは舌打ちをした。「あの、太っているほうの警察は一体なにを聞いているのか、全然わからないんだよね。事件と関係のないことまで聞いて、早く解決したいのか、したくないのか、見当がつかないよ。そんなつまらない質問で犯人が捕まるとでも思っているらしいけど、頼りないよね」
「そうですかね?」
「あたしを信じて。あの二人は全然だめなのよ。一人はぼけているおじさんだし、一人は世間知らずの子供だし、どうやって事件を解決すると思う?長谷川君と住人の関係を聞いたから答えたけど、事件と関係ありそうでありそうもないの。一目で頼りないと思ったの。だから、あたしがいろいろと教えてあげたの。情報だけはいっぱい持っているから、きっと役に立つわ」
情報をいっぱい持っていることだけは僕も認めざるをえない。もし、全部が本当ならばいいんだけど。田中さんの情報で、事件が迷宮いりする羽目になるのではないかと一瞬心配したけど、それは、僕の知ったことじゃないと思いなおした。
「バイトだよね!ごめんね、付き合ってもらって」
「いいえ、それじゃ行ってきます」
「いってらっしゃい」
竜の思ったとおり、記者一人が近寄ってきていろいろと尋ねたけど、竜は何も知りませんと答えただけだった。シャッタ音も聞こえたので竜は満足げに駅へと向かった。
「これで本当にうまくいくとは思わないけどね?」記者につきまどわされなくなった頃を見計らって僕が言った。
「うまくいかないと決まったわけでもないでしょう」竜の顔はわくわくしていた。
「明日の新聞が楽しみだね。僕の姿をちゃんと撮ったのかな。うまく撮ったのかな?確か右側でシャッターの音がしたけど、僕は左顔をカメラ映えするんだけどね」
今の時だけは竜にいい夢をみせようと僕は思った。
僕としてはそんなにうまくいかないと思うけど。これを言っても竜は聞き入れてくれないけど。
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