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「警部はあの女性の話をどう思いますか?」
アパートがすこし見え始めた頃、新居刑事は訊いた。
「面白い話じゃないか」
「僕には全然そう思ってませんけどね」
「なんでだね?」
「だってそうじゃないですか。思いつめた顔をしている人だって数え切れないほどありますよ。だったそれだけのことを証拠として扱うには不十分だと思います」
「君にはまだまだ分っていないんだね」
「なにがですか?夕方に見たあの人が殺人となんの関係があるんですか?犯行時間よりずっと前のことだし。事件となんの関係もないと思いますけど……」
新居刑事の言葉に大原警部は何も答えなかった。
アパートに着いてから二人は先ず管理人室を尋ねた。
迎えに出てきた管理人はすごく不機嫌な顔をしていた。二人が警察だとわかって顔はやや柔らかくなったものの、口調はぶっきら棒だった。
「本当にどうしようもないんです、あの長谷川君は。今日出ていくと思ったらこんな事件あ起こるなんて。いつかひどい目にあうと思ったのですが、こんなことになるとは。普段から敵を作る性格ですから……」
管理人室にはベッドがなく、床は畳だった。出すには少々早すぎる炬燵の周りに二人を案内して管理人は先に話し出した。
「急に出ていくんだといってから、こんな在りざまですよ。こっちは大迷惑なんです。こうなったら、家賃をもう少し削らないと誰も住もうとはしませんよ。もともと、このアパートには住人が少なく、維持していくにも苦心惨憺していたのに。これから先のことが心配ですわ」
これ以上管理人の愚痴に付き合っては困ると思った新居刑事は、管理人が一息休む隙を狙って切り出した。
「昨夜のことをもう一度話してくれませんか?」
「昨日の夜はいつもとおり0時15分頃に布団の中に入って寝ようと思いました。漸く眠れたと思ったところ、上に住んでる長谷川君の部屋から何かを床にぶつけた音がしたので起きてしまいました」
「何時頃でしたか?」
「多分0時35分頃だったと思います」
「それで、昨日の長谷川さんの様子はどうでしたか?」新居刑事が訊いた。
「どうもなにも、いつもとおり偉そうに振舞いましたよ。昨日の午後に一度尋ねてきて家賃を払ってからまた出て行ったのです」
「何時頃に帰ったのは覚えていますか?」
「帰ってきたのは確か0時すぎだと思います」
「よく覚えていますね」
「ちょうどその時トイレへ行きましたので」
「その時の長谷川さんの様子はどうでしたか?」
「別になにも変わったところはありませんでした。ただ、酒を飲んでいて匂いがきつかったんです。よたよたしていたので、部屋まで運んであげようかと訊いたんですけど、いらないと言ったのでほっておきました」
ここで大原警部が口を挟んだ。
「管理人の仕事は大変でしょうね」
「警察に比べたら大したもんじゃありません」
「毎日何をしてますか?」
「アパートの掃除をしたら、一日を費やしてしまうんです。この年になると体がいうことを聞かないので掃除をするのに大変ですよ」
「住人の事でいろいろ悩むこともありますでしょう」
「もちろんあります。長谷川君みたいな人が二度と来てほしくないんです。ほかの住人は……まぁ、問題を起こすような人たちではありません。私としては家賃さえちゃんと払ってくれれば大体のことは見逃します。でも、長谷川君のような人はね……」
「ところでですが、」いったん言葉を区切ってから、大原警部は続けた。「住人の事はなんでも知っていますか?」
管理人にきょとんとした。
「どういう意味ですか?なんでも知っているというのは」
「深い意味はありません。住人が何時に出かけるか、何時に戻るのかを知ってるんじゃないかと思いまして」
「それは、はっきりは知りませんけど、大体の時間なら知っています」管理人はほっとした様子だった。
「ならば、他の住人たちは何時に帰ってきたかを教えてもらえないでしょうか?」
管理人は少しの間考えてから話だした。
「昨日の事はなんともいえません。何しろ、殺人事件でとても動転していてはっきり思い出せないんです。昨日の事を言ったつもりですが、おとといの事なのかもしれません。年を取ると記憶は曖昧になってしまいますから」
大原警部は「まだまだ若いじゃないですか」とお世辞を言ってくるりと部屋を見回した。
「結婚はしてないんですか?」
大原警部のこの問いに管理人はびっくりしたももの、すぐ気を取り直して答えた。
「結婚する時期を見逃してしまいましてね。今の年じゃ寄ってくる女の子なんかいませんよ」
「寄ってくれる女の子はいない。寄ってきてほしい女の子はいますか?」
管理人の顔は照れているより、何だかいやらしかった。
「いるんですよね」
「いないです」
こう言って管理人は作り笑いをした。
ここで新居刑事が話しをいれた。
「死体発見時と事を教えてもらえますか?」
「はい、今日の8時半頃、引越屋さんが長谷川の荷物を運ぶに来たけど電話をしても返事がないというので一緒に部屋まで連れて行ったのです。ノックをしても呼びかけても返事がないので、私はノブを回して見ました。鍵がかかってないので、ドアはすんなりとあけました。そして、私の目に映ってきたのは長谷川君の死体でした。私はもうびっくりして、すぐ警察の人に連絡をしたんです」
新居刑事は大原警部の耳元で、引越屋も同じ証言だったとつぶやいた。
その後、新居刑事はさらに2,3問訊いてみたが、これといった証言はなかった。
管理人にお別れの言葉を告げて出てきたところ、新居刑事が言った。
「何かを隠しているようですね」
「そうみたいだね。嘘ばかりついていると僕は思っているんだが?」
「どこで嘘をついたと思っているんですか?」新居刑事は閃いたようにすぐ付け加えた。「あ~、すぐ警察の人に連絡をしたという事ですね。犯人でないなら、人が死んだことなど知らないはずです。死体発見時には救急車も呼ばなければなりません。こういう事ですよね」
大原警部は否定した。
「違うんだよ、新居君。僕も写真を見たんだけど、一目で死んだと思ったよ。なにしろ、心臓に包丁が刺されたから。誰が見たってきっと死んでいると思っているに違いないよ。それに非常時には人はまず警察を呼ぶよ。まぁ、生きている気配があったなら救急車を呼ぶけどね」
「じゃ、嘘は何ですか?僕にはさっぱり」
「一つを先ず言ってみよう。君がもし人の部屋に、もしくは家に入ろうとする時、何をするのかね?」
「僕なら、」考えてから新居刑事が答えた。大原警部はそんな事も考える必要があるかといいたいところを我慢した。
「僕なら、呼びかけたり、ノックしたり、呼び鈴を押したり、電話したりしますね」
「ノブは回さないのかね?」
「ノブですか?!」新居刑事も気付いた。「そうですよね。普通ノブまで回しはしませんよね。管理人なら合鍵もありますから」
「しかしね、新居君。本当にそうなの?」
「どういう意味ですか?」新居刑事が訊いた。
「昨日の夜、長谷川健也が戻ったのは確かだ。今日引越することになっている事も確かだ。だから、管理人は長谷川健也は必ず部屋にいると思って無意識にノブを回してみた。引越屋も待っているから、心のどこではあせっていて本当に無意識なのかもしれない。でも、本当に無意識なのかどうかは僕たちが判断すべきなんだよ」
「なんかよく分らないんですけど。一言でいうと正しく判断しなさいっていう事ですよね」
「この場で正しく判断するには、証言が不十分すぎるんだよ」
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