第二章
1
「あなたにとっては初めての事件だね」大原警部が言った。
大原剛三警部はずんぐりとした身体をした40代の独身。いつも微笑みを湛えている顔から仏警部と呼ばれている。
「はい、よろしくお願いします!」
張りのある声で答えたのは新米刑事の新居健人だった。引き締まった身体はスーツにとても似合っている。よく高校生に間違われるので新居刑事はいつも生真面目な顔をしてる。眉間にしわを寄せる新居刑事に、そんな顔似合わないよという人もいるけど、耳を貸そうとしない。威厳あるように見せたい新居刑事。子供がいくら大人ぶっても子供だけど。そんなことは歳をとってからわかるだろう。
しかし、大人は装うだけでなれるものではない。心の中から発散してくる一種の気質がないと見た目だけだと、大人には見えないんだから。
こんな新居刑事と大原警部、最初に二人が対面した時、みんなから親子ではないかとからかわれたこともあった。顔は全然似ていないんだが。
「やる気満々だね」大原警部は感心したように言ってまた目を新聞にもどした。
「はい、やる気はいつも満々です!」
新居刑事の答えを聞いて大原警部は含み笑いをした。最初は誰も張り切って仕事に取り掛かるけど、時間が経てばその気性も削られるだろう。この若者はいつまで持てるだろうと、大原警部は心の中で考えてみた。
大原警部はふと新米だった自分を思い出した。やはり今の新居みたいに元気溌剌とした青年だったけど、いつの間にか(たぶん年と多すぎる贅肉のせいだろう。)今の自分になってしまったと結論を付けた。まぁ、ある事件を境にこうなったのは誰にも言っていない。
昔、5分かけて飲むコーヒーを今は30分かけてじっくりと味わいながら飲む。今も一日3食をちゃんと食べるけど、一日に2回のお茶の時間も取るようにしている。
緊急事態が起こっても残りのコーヒーをたっぷり時間を掛けて味わう大原警部を、上の方からも散々難癖つけたけど、直してはいない。でも、それ以上プレッシャーをかけないのは、いくら難事件でも大原警部の手にかければ、解決できてしまうからだ。
大原警部の持論は、自分がいくら急いでいったところで、事態は緊急でなくならないことを長年の経験から悟ったからだ。誰がなんと言おうとも、自分の信念を曲げたことがない。
「警部、僕たちも早く現場へ向かいましょう!」のんびりと新聞を読んでいる大原警部に、新居刑事はいらいらしながら話しかけた。
「あせる必要などないよ」新聞のページをめぐりなから大原警部はつづけた。「後30分経ってから行くことにしようか」
「なぜですか?」
「30分もあれば鑑識たちも証拠収集が終ったんだろう」ここで若手俳優のスキャンダルが目に映ったのでそれを読み上げた。
新居刑事は大原警部が新聞を読み終えるのを待ってすかさず自分の意見を述べた。
「現場は自分の目で確かめなくてはならないと思いますが……」
大原警部は答えずに野球選手のスキャンダルを読んだ。
「大原警部!自分がやる現場検証と他人がやるのは違うと思います。他人が見落としたものを見つけるかも知らないじゃないですか?それに、」ここでいったん言葉を切った新居刑事は決心したようなつづけた。「それに、他人に任せっぱなしにしたら僕たちは何をすればいいですか?ここで安楽椅子警察でもやるつもりですか?」
「そうむきになるもんじゃないよ」大原警部は新居刑事をなだめた。「僕たちも現場に向かうが、時間を少し後にずらすだけなんだから。それに現場を見ないといわなかったんだろう。鑑識たちがちゃんと写真もとるから焦らなくてもいいよ」
焦らなくていいよと言われて焦らない人はこの世に多分いない。新居刑事も同じた。
「もうあれこれ、15分が過ぎましたよ。このままじゃ遅すぎます!事件にもゴールデンタイムってのがあるんじゃないですか?」
「じゃ、そのゴールデンタイムはいつごろかね?」
「それはわからないんですけど、早ければ早い方がいいんじゃないですか?」
「いいかね、新居君」大原警部はやや冷め気味なコーヒーを一口すすった。「現場は写真を見たり報告書を見ればいいものさあ。その中で、不審に思ったことがあると、聞けばいい。もしくは現場に足を運べばいい。私が思う大切なのは聞き込みだ。聞き込みだけは他人に任せないんだ。面と向かって話さないと相手は隠した事実を教えてくれないからね」
「そういうもんですか?」もっともらしい大原警部の言葉に、新居刑事疑わずにはいられなかった。
「そうだよ。人は大体警察の質問にだけ答える。進んで何かを話そうとはしないのが尋常だ。他の人も僕が知りたがることを訊かないから、そこだけは自分でしないと。後は、そうだね。訊いても正直に答えてくれるとも限らない。どうやって巧く相手の口からほしいものを釣り上げるのが大切なんだよ。聞きたい情報を聞き出すのも一つの技なんだよ。新居君もそんな人になってほしいんだね」
こう言いながら新聞を畳んで机の上においた大原警部は立ち上がった。
「現場に向かうんですか?」新居刑事の顔には興奮の色が現れた。ようやく事務室から解放されると思ったから。
「違うよ。コーヒーがなくなったので、もう一杯淹れようと思っただけなんだけど」
大原警部は新居刑事に優しい微笑みを与えて席を離れた。
「大原警部が行かないなら、僕が先に行きますね」
「それはいけない。それはいけない」大原警部はコップ底に残ってある微量のコーヒーを飲み干した。
「なぜですか」
大原警部は新居警部の傍まで行ってコップを差し出した。
「コーヒーを淹れるのは新居君、あなたの役目だから。新居君が淹れたコーヒーはどんな味か味わってみたいね」
がっかりした表情を隠せない新居刑事に大原警部はにこやかな顔つきで応対した。
新居刑事はコーヒーを淹れてから一人でも先に現場に行こうかと思ったのだが、思いとどまった。最初の事件なのに、勝手に行動してはいけないことくらいはわかっている。
「君はなぜ警察なったのかね?」
大原警部は新居刑事がいれてくれたコーヒーを飲みながらきいた。
「ところでコーヒーがうまいね。君、素質あるよ」
「えぇっ?本当ですか?」
大原警部の褒め言葉に新居刑事はウキウキになった。でも、よく考えてみたらこんなことでほめてもらうために警察に入ったわけではない。
「そうじゃなくって、いつ出動します?」
「コーヒーがまだ残ってるんじゃないか。それより、君はなぜ警察になったの?」
「僕ですか?話したら恥ずかしいんですけど、話しましょうか?」
「言ってみて?でも、男と人は大体……」
「大体なんですか?」
「それよりまず話してみて」
「それがですね、子供の頃、ヒーローにあこがれていて、どうやったらヒーローになれるのかなぁ?ばっかり考えてたんですね。でも、超能力もないから無理かなあ~と思ったんですけど、そこで警察を見たら、これだよ!ってきめたんですね。警察ってかっこういいんじゃないですか!まさに現代に生きるヒーローってかんじですね」
「だから、警察になったんだ」
「はい!そうです!」
「男の人は大体そう」
「まさか、大原警部も似たような理由で?」
「それはどうかなあ~」
「教えてくれないんですか?ずるいんですよ」
「ずるくもなにも、私は教えるって言ったことないんじゃないかい」
「それでもですよ。僕が話したんだから大原警部も教えてくれてもいいんじゃないんですか」
「わかった、わかった。それより……」
「それよりなんですか?」
「コーヒー、もう一杯いただこう?」
「えぇっ?!」
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