居心地の良い場所
一つ屋根の下で暮らしてるはずの家族に、ただただ負の感情しか沸かなかった当時――もう家事の一切をする気がなくなった私は、生まれて初めて家族に反抗した。
「
まさか息子からそんな口を利かれるとは思いもしていなかったアイツは、間抜けにも口を半開きにさせて阿呆面を晒していたが、直後に烈火のごとくキレて皆さんのご想像の通り滅茶苦茶殴られた。
そしてその日から、飛びかたを覚えた鳥のように家を空けて夜遊びをするようになる。
遊び相手は同じ中学のヤンチャな同級生と、苛めから救ってくれた不良の友達、それに彼らの友人が日によって入れ替る多くて十名程度のグループだった。
遊ぶ場所は大抵地元の駅の外れにあるボロいゲームセンターと決まっていて、そこはそれなりに柄の悪い連中がよく集まる店で、普通の子供は寄りたがらないことで有名だった。
結果的に他所の不良と衝突を繰り返すこになり、もちろんその場にいた私も巻き込まれたもんだ。
誉められたことではないが、他に居場所がなかったのだから致し方ない。
危ない空気に身を置きながらも、馬鹿をしながら夜を駆けていたあの時間は楽しかった。
具体的な内容はここでは伏せるが、若気の至りということでどうか理解してほしい。
それでも生きたまま死ぬような家にいるより、何万倍も生を実感できたし、それに彼らには大いに助けられた。
服もろくに買ってもらえない私を見かねた友達のA君は、サイズ違いの服やスニーカーを定期的に譲ってくれたし(あいにく私には全く似合ってなくて笑われていたが)、B君はよく私を呼び出しては実家でご飯をご馳走してくれたりと、とにかく世話になりっぱなしだった(B君は高校入学後、傷害事件で少年院に入ることになる)。
仲間と馬鹿騒ぎして、時間を潰しては日をまたいでから家に帰って眠りにつく毎日が続いた。
私が家事をしなくなったぶん家は次第に汚れていき、非情になりきれなかった私は仕方なく積まれた洗濯物や食器類を片す。
自分でどうにかしようと思わないのかと、家族という名の同居人に余計腹が立ち、その鬱憤が失望に変り、さらに家を離れる時間は増えていく。
出来ることならさっさと自立したい。常々思うようになっていた。
ちなみにだが、昼はちゃんと学校に通っていたし、サッカーも中高と計六年間続けた。
別に心から不良になりたいとまでは思っていなかったが、かといって真面目でいられるほど心に余裕があるはずもなく、不安定な精神状態がその後も暫く続くことなる。
ほんと余計な苦労なんてするもんじゃない。
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