ネグレクト

 さて、詳しく書き出すと小学生時代だけで埋まってしまいそうなことが判明したので、スピーディーに話を進めるとしよう。

 何事も円滑が重要だ。私の人生はそうはいかないが。


 あれは十二歳の頃だった。二次性徴も迎える時期の話だ。


 その頃の家庭環境だが、人生で一番最悪だったと断言してもよい。

 その後も下層の生活を過ごすはめになるのだが、それはまた別の機会に話をするとして、何が最悪かというとこの時期より以前はわかりやすい「育児放棄ネグレクト」を受けていたことだ。


 今でこそネグレクトという言葉が広く一般的に浸透するようになったが、まだそんな専門用語すら誰も耳にしたことがない時代に、私と二つ歳が離れた弟、それに十も歳が離れた三男を母親はすぐ近所に住む祖父母に預け、連日のように遊び歩いていたのだ。


 実は昔から帰ってこない日は週に一回くらいはあったのだが、三男が生まれて二歳を過ぎる頃になるとその頻度が次第に増えていき、一番酷いときでは週四日は帰ってこない週もあったほど。


 両親共々酒と煙草が好きで、明け方酔っぱらいながら帰宅してくる母親から漂う臭いが、それはそれは大嫌いだった。

 酔い潰れてなにも聞けやしない母を、何度も泣きながら罵倒した。

 酒が体に入ると理性が飛んで、我が子のことすら頭から消し飛んでしまう母親が、引きちぎってしまいたいほど憎かった。


 そのときは自分のことよりも、むしろ生まれてきたばかりの弟が不憫で仕方なく、泣けば母親の代わりにオムツを換え、また泣いたらミルクを与え、自らの子育ての失敗を棚に上げてはグチグチ文句を垂れる祖母の小言をひたすら聞き流し、それでも弟のために頑張らねば――と耐える生活がしばらく続く。


 父親は父親で同じように何日も家を空けることが多く、「仕事だ」「付き合いだ」と称しては、パトカーに乗って帰ってくることもしばしばあった。

 これまた似た者夫婦で帰ってくるとだいたい酒の臭いを漂わせ、少しでも気にくわないことがあればすぐ手足が飛んでくる。

 こういう時が一番暴力的で、なにをしてもだいたい殴られるから、それはもう我慢するしか方法はない。

 嵐が過ぎ去るのをじっと待つように、心だけは頑丈な金庫の中に保管して。


 父親と呼ぶのも面倒なので「アイツ」と呼ぶことにするが、アイツは家庭にろくに金をいれない癖に、趣味の車に湯水のように使い、気がつけば自家用車が変わっていることなど日常茶飯事だった。

 ――こちとら粗末な洋服で我慢しているというのに、この男は……。

 実の親を、もうこの人間はダメだと見切りをつける子供は、果たしてそう多くはないだろう。



 つくづく思うが、家庭が貧乏なだけならまだ救いはある。

 それが良い環境とは決して言えないし、当事者も他人も「お金より大事なものがある」なんて口が裂けても言えやしない。言うべきではない。

 たけど、まだ生きていられる。

 まだ、笑う余裕があるのなら。

 本当に辛いのは、親から愛情を一粒も貰えなかったことだ。

 生きている意味を見いだせないことほど、辛いものはない。


 もし、あの頃の自分に話しかけられるのなら、「よく生きてくれた」だ。


 だが、生き地獄はまだ続く。

 どうやら出口はなかなかに遠いらしい。


 中学一年生になり半年を過ぎた頃、

 私はイジメに遇う。

 そしてボロボロに滅茶苦茶になった家庭は、ついに離婚を迎えることになる――




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