そんな軽いもんじゃねぇぞ

 幼少期の頃の記憶がほとんど存在しない私だが、よーく覚えていることが二つある。

 一つは二つ年が離れた弟とのデスマッチ。

 当時四歳くらいだっただろうか、何を思ったのか我が弟は戦隊モノのロボットの玩具を手にすると、横になって寝ていた私の眉間めがけて振り下ろしてきたのだ。

 そして記憶にはないのだが、一人で歩けるようになった直後に転倒してタンスの角にぶつけたのも同じ箇所らしい。

 ちなみに今でもうっすらとその跡は残っている。


 そして二つ目だが、こちらが本題だ。

 今でこそ対人スキルであるコミュニケーション能力に問題はないが、幼稚園児の頃から小学三年生の頃までは「超」がつくほどの極度の人見知りだったのだ。その度合いは病的と言った方が正しいのかもしれない。


 よく大人同士の会話で「私も人見知りだったんですよ~」というフレーズが一定の確率で飛び出してくるが、「いや、待て。それってファッション人見知りじゃね?」と、心中毒づいたことが何度繰り返されてきただろう。

 そういう人間に限って本質を理解しているとは到底思えないと感じてしまうひねくれ者な私だ。


 病的な人見知りとは、例えるならーー世の中の全ての人間が得体の知れない化け物に見えてしまうような、とにかく関わってはいけないんだと強迫観念に囚われている状態とも言える。

 話しかけられるのが怖い。話しかけてくる人間が怖い。見つめられるのが怖い。同じ空間にいるだけで怖い。

 とにかく生きづらさマックスの私の居場所は、決まって砂場の端っこだった。休みの時間は無心で穴を掘っていたことをよく覚えている。

 当時は何も考えずに掘っていたのかもしれないが、今になって思えば、「いつかはこんな自分でも幸せに暮らせる世界に繋がるのでは――」そう願ってひたすら穴を掘っていたのかもしれない。


 誰とも視線を会わせず、言葉も交わさず、稀に強引に遊びに引きずり込まれる以外に他人との交遊関係など築けなかった私も、とうとう小学校に入学するまでに成長したわけだが、根本的な部分で人見知りが改善することはなかった。

 ひたすら※絶を使って自分の気配を殺すことが日課になっていた。


 この時期はハッキリ言って思い出などない。覚えてないということもあるが、それを差し引いても何もない。

 宇宙には※超空洞ボイドと呼ばれる広大な空間が存在するが、まさにそれに該当するのが小学一年生から三年生の無の時期だった。


 その暗黒の時代に変化が訪れたのは、小学三年生の春――まだ梅の花が開花する前の肌寒い季節だった。

 あの日が、私の人生にとって最初の分岐点ターニングポイントだったのかもしれない。


 その後の私を支える存在となる「サッカー」との出会いだ。




 ※銀河がほとんど存在しない空間のこと。宇宙の構造は、石鹸を泡立てたときにできる積み重なった泡に例えられることがあり、超空洞は泡の内側に存在している。約1~1.5億光年程度にわたって何も存在しない。


 ※ハンターハンター内に登場する念能力の基本技の一つ。本来人間が持っているオーラを、精孔しょうこうを閉じることによって完全に封じる技術で、存在感が極度に薄れたりする。



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