少年期

こんにちは。糞っ垂れな世界。

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 昭和六十三年。青森と函館を繋ぐ青函トンネルが開通し、東北新幹線・上越新幹線が開通し、ドラゴンクエスト3が発売され、竹下改造内閣が発足し、カラオケボックスが人気になった、バブルが崩壊する二年前。

 エイブラハム=リンカーンの誕生日でもある二月十二日に、私は東京都町田市に生を受けた。


 両親はどちらも不良上がり。短ランにボンタン。聖子ちゃんカットにロングスカート。薄っぺらなカバンを片手に担いで歩く旧遺物のような不良だった。(現在の北関東辺りにまだ存在してるかもしれない)

 まこと腹立つのは、父親の方は不良の癖して私立大学上位のH大学に現役合格していているということ。

 後に記すが、私は残念ながら学力の面では成績が良くなかった。落ちこぼれともいえる。そのせいで父親とは揉めに揉めることになるが、それはまた後程。


 で、なんだったか、そうだ。

 その両親が出来ちゃった婚をして生まれ落ちたのが私なのだが、時代はバブルが崩壊し、失われた二十年と呼ばれる氷河期が始まったばかりの平成初頭――

 当時住んでいた家は、現在の東京では見る機会が激減した、錆色のトタンの壁に風雨に晒され続けた瓦屋根という※バラックとも言えそうな掘っ建て小屋だった。


 たぶん十代の若者は、「掘っ建て小屋」という言葉自体聴いたことがないのかもしれない。知らなくてもいいし、実際にそのような家に住んでる人なんてごく僅かに過ぎないだろう。

 しかし、対象が昭和の世代になると、その言葉の認知度は飛躍的に上昇する。呼んで字の如く、「穴を掘って建てたような小屋」

 言っとくが一切の誇張はない。隙間風は容易く侵入してくるわ、雨漏りは当たり前だわ、刑務所の方がよっぽど快適な環境に違いない。較したことがないのでわからないが。


 また、近所も似たような家が多く、友達の家に遊びに行くようになるまでは、それが普通だと思っていた。

 まるで開発が及ばない少数部族のような環境だったと、今になって思う。

 それでも、外の世界を知らない限りはそれで良かった。知ってしまったが故に、底辺に属していることを知ってしまったから。

 ハッキリ言って、近所のどの家も貧困層に属していたし、見上げる空はいつだって灰色にくすんでいた。

 本当に一切の誇張もなく、本当に灰色の人生だった。



※本来は駐屯兵のための細長い宿舎のこと。転じて、空地や災害後の焼け跡などに建設される仮設の建築物のこと。

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