残されていた願い


「くっ……!? これは……っ!?」


 脱出ボタンとしての役目を果たすべく、その力を解放したボタンゼルド。


 自身が押されたと思った次の瞬間。彼の目に飛び込んできたのは、光の白と闇の黒。そして無数の光が渦を巻く無限大のエネルギー領域だった。


 そのエネルギーの嵐の中、ボタンゼルドは脱出ボタンとしての姿を失い、人間だった頃の姿へと戻っていた。


「ぐ――――ッ! うおおおおおおおおおッッ!?」


 だが、今のボタンゼルドにそれらを認識する余裕はなかった。


 凄まじいエネルギーの渦はボタンゼルドの自我すら蝕み、散り散りに引き裂こうとその暴虐の牙を剥く。

 

「このエネルギーは……! そういう、ことか……っ!」


 荒れ狂うエネルギーの荒波の中。それでもボタンゼルドはなんとか自我を保ち、その研ぎ澄まされた感覚で全てを理解する。


「俺の周囲に渦巻く光一つ一つが……! 俺がここで彼らを諦めれば、全て消えてしまうというわけだな……!」


 自身の肉体を駆け抜けていく光。それに触れたボタンゼルドは理解していた。

 この周囲を埋め尽くす無数の光こそが、世界を救うために生み出された無数のシミュレーション宇宙の光。


 ボタンゼルドやノルスイッチが生まれた世界も、ミナトがその命を賭けて救おうとしていた異世界も、全てがこの輝きの中にあるのだ。


 それだけではない。一見同じように見えるが、恐らくこの光の中にはヴェロボーグたち四人の創造主が生まれた本当の宇宙の光も混ざっているはずだ。


 今この時。それら無数の宇宙は、全てが等しくボタンゼルドという脱出ボタンの力によって、こうして膨大なエネルギーとなって渦巻いているのだ。


「つまり――――! それを寸分の狂いなく、新たなる宇宙として! それが俺に与えられた責務と言うことだなっ!」


 全てを理解し、己の果たすべき役割を認識したボタンゼルド。


 彼は渦巻く粒子の中でその両目を見開き、かつて自らの世界で200年続いていた戦争を終わらせた時と同様――――いや、それすら遙かに超えた領域まで自身の認知を広げた。


 だがそれは、ボタンゼルドにとってだった。


 拡大されたボタンゼルドの認知は全てを見た。

 万を超える宇宙。そしてそこに生きる無限にも等しい命の願い。


 それは、ボタンゼルドという個人の容量を遙かに超えていた。


 自らの世界で無数の死を見つめ、絶望と恐怖を叩き付けられて尚破壊されることのなかったボタンゼルドの心が――――自我が、一瞬で悲鳴を上げる。


「うおおおあああああああ――――ッ!?」


 流れ込む極大の情報はボタンゼルドの自我を侵食し、意識の境界を破壊する。

 それはまるで、自分自身が宇宙そのものになったような感覚。



 

 俺一人では、全ての宇宙を救うことは出来ない。


 

 消えゆく自我を守ろうと、ボタンゼルドの本能がそう訴える。

 既に肉体の痛みは何処かへと消えた。


 ボタンゼルドの心の中から、流れ込んだ無数の願いが響く。


 生きたい。生きたいと。

 それは鼓動のようにボタンゼルドの心を叩く。

 

 薄れゆく自我の中。ボタンゼルドはこのままこの願いに身を委ねれば、と理解した。


 だがそれは、ということ。


 このままボタンゼルドが自身の認知を拡大させ続ければ、全ての宇宙を救う代わりに、ボタンゼルドは無数の宇宙を内包する広大な領域と一つになり、そのまま消えることになるだろう。



「俺は……全てを……救う…………脱出……ボタン…………」



 渦巻くエネルギーに、朧となっていく自我で手を伸ばすボタンゼルド。


 

 かつて彼が願ったその祈りは、


 かつて、万を超える命と願いを踏みにじったボタンゼルド。

 今こそ、その罪滅ぼしをする時ではないのか?


 だから、

 未だ叶っていない無数の願いのために、自らを犠牲にしても――――



「だめ、だ…………ッ! 俺には…………俺には、まだ…………っ!」



 だがしかし、ボタンゼルドは脳裏をよぎったその考えを否定する。

 


「俺は……なんと大馬鹿者なのだ……っ! 今の今まで、にすら気付いていなかった!」


 霧散する自我をたぐり寄せ、再びその瞳に決意の炎を宿すボタンゼルド。

 彼のその心に炎を灯したもの。それは――――


っ! と! 俺は何も分かっていなかった! 俺は――――っ! いつまでも、君と一緒にいたいっ! たとえどんな罪を犯そうと、たとえどんなに辛い目に遭おうと! それでも俺は――――! 君と一緒にいたいのだ――――っ!」


 光が満ちる。

 

 それは初めてボタンゼルドが口にした、嘘偽りのない至純の願いだった。


 そしてボタンゼルドがその願いを自覚したのと同時。それまで彼が気づけなかった、ティオの、ラエルノアの、クラリカの。ミナトの、ユーリーの、そしてキアの。

 

 ボタンゼルドが今までに因果を結んだ無数の命の願いが、彼の元に集まっていく。


 なんの規則性もなく渦巻いていたエネルギーに、明確な流れが生まれる。それは整流の領域を生み、閉ざされていた世界に風穴を開ける。そして――――!


「そうか……お前にもそういう感情があったのだな。ボタンゼルド……」


「お前は……ノルスイッチ!?」


。貴様一人では無理でも、二人ならば少しはマシになるはずだ」


 その渦を抜け、眼前に一つの光が舞い降りる。それはかつて幾度となく刃を交え、死しても途切れることのなかった宿敵――――ノルスイッチだった。


「今更このようなことをしたとしても、私が貴様たちにした行いの贖罪になるとは思っていない。だが頼む――――私にも、お前の成そうとしていることを手伝わせてくれ」


「ノルスイッチ…………助太刀、感謝する……っ!」


 その場に現れたノルスイッチはボタンゼルドと目を見合わせて頷く。

 そして共に眼前の光にその手を差し伸べ、到達へと至ったその認知を拡大。


 二人の到達者の持つ力に制御され、光とエネルギーが規則性を持って流れていく。

 全ての宇宙が、救済と再構築に向けてまっすぐに飛翔する。


「因果だな…………私ももっと早く、貴様とこうして肩を並べていれば…………」


「ノルスイッチ……」


 目の前を流れていく美しい光。それを見上げながら、ノルスイッチは並び立つボタンゼルドにぎこちない笑みを浮かべた。


「ボタンゼルド……。たった今自覚した貴様の願い……絶対に諦めるな」


「ああ……俺もそのつもりだっ!」


 遠ざかっていく無数の光。

 それはやがて夜空に輝く星々のように瞬き、その動きを止めていく。


 ボタンゼルドとノルスイッチ。二人にはその輝きの中で、無数の命と願いが息づいているのがはっきりと感じ取ることが出来た。


 その責務を完璧に果たし、脱出ボタンとしての役目を終えたボタンゼルド。


 薄れゆく意識の向こう。彼はずっと戦うことしか出来なかった最強の宿敵が、穏やかな笑みを浮かべて去って行くのを最後まで見つめていた――――。


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