脱出


 かつて、一つの宇宙があった。


 そこで生まれた人々は繁栄を極め、自分たちが生まれた星を旅立ち、広大な世界へと飛び立った。


 やがて長い時が過ぎ、その宇宙が滅びに瀕した時。

 そこに住む人々は滅びを回避するための方策を求め、自らの手で無数の新たなる宇宙を作った。


 滅びが迫る宇宙の人々にとって、そうして生み出された世界はあくまで偽物。

 自分たちの宇宙が救われれば、用済みとなるシミュレーションの世界。


 殆どの人々がそう信じる中で、一人の天才はそう思っていなかった。


 このシミュレーション世界の中で生まれた、最も価値ある物はなにか。

 シミュレートした世界の分岐だろうか。

 幾度となく繰り返せる試行錯誤だろうか。


 長い時の果て、一人の天才は、そのシミュレーションの中で生まれたが、生命にとって最も価値ある物だということに気付いた。


 夢が願いを生み、願いは欲を生む。

 欲は願いを生み、願いは夢を生む。


 自分たちが作り出した数多のシミュレーション。

 それはただ宇宙と選択を増やしていただけではない。


 自分たちが生まれた宇宙も含むこの次元全てに、願いと欲を増大させていたのだ。


 天才は見いだした。


 その限界を超えて増加した欲と願いが、やがて命にとっての始原の願い。

 という願望を叶える、究極の存在を生み出すであろうことを――――。



 ――――――

 ――――

 ―― 



「じゃ、じゃあ! ボタンさん……填めますね……っ!」


「うむっ! やってくれ、ティオ!」


 辺り一面の白に埋め尽くされた空間。

 そこは先ほどまで巨大な塔として見えていた場所の内側。


 やはり白で塗り込められたその空間には、人の腰の高さほどの台座が一つ。

 

 その台座には一分の狂いもなく、ぴったりとボタンゼルドのサイズに合わせて設けられたソケットがぽっかりと空いていた。


 戦いは終わった。

 互いの欲をぶつけ合い、競わせ、輝かせる時は終わったのだ。


「後は、僕がボタンさんを押せばいいんですね?」


『うん。そうすれば、ボタン君の認知と力の及ぶ限りの宇宙と、ボクやストリボグが生まれた外の宇宙が助かる。ヴェロボーグは、本当に凄い答えを導いたと思うよ』


 そのソケットにボタンゼルドを填めたティオが、隣に立つスヴァローグに最後の確認を行う。

 台座に押し込まれたボタンゼルドはなにやらうむうむと感触を確かめ、やはり何事かを考えるように眉間に皺を寄せていた。


「すんなり上手くいくと良いのですが……ティオのお父様は自信があったようですけど、事前にテストのようなことはしていなかったのでしょうし……」


「まあ、ここまできたらもう祈るしかないね。ティオとボタン君の力を……」


 ラエルノアとクラリカもまた、祈るような思いでその様子を見つめる。

 クラリカの言う通り、この脱出は決して成功を保証されてはいないのだ。


 一同が見守る中、ティオは最後にごくりとつばを飲み込むと、ゆっくりとボタンゼルドの顔に手を――――。


「待つのだティオ! 俺に考えがある!」


「え?」


 だが、今正にティオがボタンゼルドを押すというその時。

 ボタンゼルドはその閉じていた瞳をかっと見開き、満面の笑みで叫び声を上げた。


のだ! そうすれば、きっと俺一人で脱出するよりも多くの世界を一緒に脱出させることが出来る!」


「お二人にも……っ!? でも、確かにそれなら……!」


「なるほど、それは面白い考えだね。気休めかも知れないけど、力になれるなら私も出来ることはするよ」


「私とラエルにも? では、ティオと一緒に貴方を押せば良いのですか?」


「うむっ! クラリカもラエルも、俺とは違うとても優れた力を持っている……きっと、俺とティオだけでやるよりも良い結果になるはずだ!」


「スヴァローグさん、どうでしょうか。そうしても構いませんか?」


 ボタンゼルドのその提案に、二人は驚きつつも同意する。

 そしてその試みについて、ティオはスヴァローグに念のため確認する。


『うん……! いいと思うよ! もしかしたらなんの意味もないかも知れないけど、これを考えたのはあのヴェロボーグだからね。やってみる価値はあるかもしれない!』


「ありがとうスヴァローグ殿! ならば今度こそ! !」


「フフフ、これは僥倖ぎょうこう……実はんだよ。まさか、こんなところでその夢が叶うなんてね……!」


「おや、のですか? 実は私もボタンゼルドの押し心地については非常に興味がありまして……むにゅむにゅ……」


「あ、あの……! ボタンさんは、その……なので……っ! あまり、乱暴には……」


「ラエルもクラリカも、そんなに俺のことを押したかったのかっ!?」


 実はボタンゼルドの押し心地に興味津々だったらしい二人はノリノリで台座の前に立ち、そして今度こそ、互いの手を重ねてボタンゼルドの上に置いた。


「ボタンさん――――これからも、ずっと一緒ですよね?」


「ああっ! 約束する! 俺たちはずっと一緒だ!」


「――――はいっ!」



 そして――――



 『スキルリリース――――絶対脱出バニシングイジェクト。フルロード』



 脱出ボタンは押された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る