その男の今


『は……はは……! や……ったぞ……! 私は……ついに……っ!』


 ノルスイッチが最後に見た物。

 それは確かにボタンゼルドを殺したという確信と、目の前に広がる閃光だった。


 ノルスイッチが編成した部隊は、外惑星連合と内惑星連合の最終決戦に参戦しなかった。否、参戦はしていたが、決して戦わずじっと息を潜めてその時を待っていた。


 ボタンゼルドを殺す。

 全てを奪われ、殺意だけに囚われたノルスイッチ。


 しかし彼にはある確信がった。


 太陽系の行く末を決める最後の戦い。その激戦ですら、恐らくボタンゼルドは生き残るだろう。しかし、その戦いの後であれば――――?


 全ての武装を使い果たし、エネルギー残量も僅かとなり、被弾した自軍を庇いながらの戦闘であれば、いかに死神であろうと必ず殺せる。


 ノルスイッチは、ボタンゼルドを殺すためだけの計画に賛同する者を集めた。


 もはや外惑星連合の敗北は決定的。しかしそんな中だからこそ、ボタンゼルドによって多くを奪われた者たちは、いとも容易く集めることが出来た。


 彼らは皆ノルスイッチの分身たち。ボタンゼルドを憎み、死神を殺せるならば他には何もいらぬと決意した、殺意の刃たちだった。


『死ね! 死んで地獄で待つ者達に詫びろボタンゼルドッ! それが貴様に出来る唯一の贖罪しょくざいだッ!』


 果たして――――彼らの願いは叶った。


 外惑星連合降伏の連絡から僅かに後。

 帰還の途につくボタンゼルドの前に、突如として現れた三十四機のMAW。


 彼らの急襲を、消耗した自身の機体のみで迎え撃ったボタンゼルドは、襲いかかった全機を撃墜した果てに、ノルスイッチと相打ちになって死んだ。


「ああ……ノーラス、ベニア、ナカオミ……ペネロペ……」


 閃光に飲まれていく彼の意識に、失ったはずの仲間たちの――――そして最愛の妻の姿が浮かび上がる。


 ノルスイッチの意識に寄り添うようにして現れた彼らの表情は皆、悲しげだった。そして――――


……お前たちに、平和を見せると約束しておきながら……私は……っ」


 全てを失い、今正に自分自身の肉体すら失おうという最後の刻。


 まるで苦しみ抜いたノルスイッチを迎えるように集まった最愛の人々の姿に、彼は


 あまりにも不甲斐なかった。

 

 ボタンゼルドを殺すという、至純の願いはなのに。

 彼の胸を満たすのは、満足感ではなく空しさだった。



 


 

 愛する妻と。

 心から笑い合える仲間たちと。


 全てが終わった後の世界を、一目見たいだけだった。



 美しい栗色の髪の女性――――最愛の妻であるペネロペが、悲痛な表情で自らに向かって手を伸ばしているのが見えた。


 

 もうずっと傍にいて欲しいと。


 ノルスイッチには、ペネロペがそう叫んでいるように聞こえた。


 だが、ノルスイッチが彼女の声に応えるよりも先。

 眩く輝く閃光は、彼の中に残されていた全てを飲み込んでいった――――。



 ――――――

 ――――

 ――



「おはようございますノルスイッチさん! こんな時間にお目覚めですか! いつもは機械のように規則正しい貴方にしては、珍しいこともあった物ですね!」


「どうやら……お前のは上手くいったようだな」


 漆黒の宇宙を望む艦船のブリッジ。

 そこに立つのは黒髪の青年――――チェルノボグ。


 チェルノボグは背後に現れた気配に振り向くと、その赤い瞳を輝かせて元気よく挨拶した。


 一方のノルスイッチは、その掌サイズの円盤ボディを気怠げに動かすと、何の感情も窺えぬ瞳でチェルノボグに尋ねる。


「あー! そちらのことならそれはもう上手くいきましたとも! おかげで太陽系は大混乱! あっちでドカーン! こっちでドカーンの大騒ぎですよ! 甲斐がありました!」


「そんなことはどうでもいい。ボタンゼルドたちはどうなった?」


「フフフ。よくぞ聞いてくれました! それが何を隠そう――――」


 現れたノルスイッチに向かい、ツカツカと足を踏みならしながら歩み寄るチェルノボグ。彼は自身への嫌悪の色を隠さないノルスイッチに、わざとらしく両手を広げて口を開いた。


「――――全然駄目でした! ボタンゼルドさんたちの被害はゼロ! 内乱が拡大する気配もなし! 文明同士の同盟も依然変わりなく! はぁ……嫌になっちゃいますね……! ただ大騒ぎになっただけで終わってしまいました!」


「そうか……」


「安心しましたか? ノルスイッチさんの与り知らないところでボタンゼルドさんが死んだりしなくて」


「ボタンゼルドか――――」


 道化じみた口調でそう話すチェルノボグ。しかしそれを見るノルスイッチは、特にその瞳に何の色も浮かべずに答える。


――――私が興味を抱いたのは、お前が引き起こした混乱を受けても大事へと至らぬ、現在の。私の世界では、とてもそうはいかなかっただろうからな――――」


「ええ、ええ! それはもう。ノルスイッチさんの仰るとおり、この世界の皆さんは全員とても優秀ですよ。なんたって、であるヴェロボーグさんが作ったのですからねぇ――――!」


 ノルスイッチのその言葉に、チェルノボグはまるで自分自身が褒められたかのように喜びを露わにする。そしてくるりとその場でターンまで決めてみせ、同じように浮かれた声色でノルスイッチに語りかけた。


「そしてやはり! この優れた世界を壊すのは、! この世界だけではありません。この宇宙の外に広がる無数の世界も、それらを内包する全ての世界も! なにもかもを消し去る自爆スイッチ! それこそが貴方の存在理由! 貴方の内にあるその空虚な心――――それごと全てを消し去ってしまいましょうねぇ!」


「……私にその力があるのなら、そうさせてもらう」


「フフフ……期待していますよ。ボタンゼルドさんと対になる、もう一人の到達者アーテナーさん!」



 そう言って笑うチェルノボグの前。

 仁王だつままに微動だにしないノルスイッチ。


 かつて、最愛の人と共に見た夢で満ちていた彼の心。

 それらを失い、殺意によって補填された彼の心。



 その殺意すら失い、空となった彼の心には――――もう何も残っていなかった。


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