その少女の想い
ラエルノアとストリボグによる完成された種の解答。
そしてそれを元にした今後の作戦行動の計画。
数時間に及んだ会議は終わり、各々がようやく一息ついている頃。
「――――考え事か、ティオ」
「あ……ボタンさん……」
青い地球を眼下に見下ろすラースタチカの左翼通路。
通路横に設置された円筒形の透明なチューブの中を、虹色に発光する宇宙クラゲがふよふよと漂っている。
そこで一人物思いにふけっていたティオに、手のひらサイズの円盤生物――――ボタンゼルドは穏やかに声をかけた。
「ごめんなさい、ボタンさんに何も言わずに……」
「誰だって一人になりたい時はある。特に最近のティオは、なにやら悩みを抱えているようだったからな――――俺も心配していたのだ」
ボタンゼルドは和やかな笑みを浮かべ、ティオがその身を預ける大きな透過木材の窓枠へと飛び乗った。
「――――チェルノボグの言ったことが気になるのか?」
「それもそうです。でも――――なんだか最近、とても怖くて」
「怖い?」
ティオは言いながら、自分の手元にやってきたボタンゼルドの体にそっと手を添えた。ティオの暖かな手のひらが、ボタンゼルドの硬質の体にぬくもりを伝える。
「最近、夢を見るんです。僕が見たこともない景色の夢を――――」
「――――何度か話してくれた、ティオの父上の記憶だな?」
「そうだと思います……実は、最近は夢だけじゃなくて、今まで一度も勉強したこともないはずの知識や記憶が突然混ざってくることもあって……」
ティオはボタンゼルドに添えていた片手にもう片方の手も加えると、不安な内心を伝えるようにボタンゼルドの顔を見つめ、その大きな瞳を震わせた。
「怖いんです……ある日突然、今の僕が別の何かに変わってしまっているんじゃないかって…………そうじゃなくても僕……最初は男の子だったのに、今は女の子になったりもして…………」
「うむ……それは確かにそうだな……もし自分の身にそのようなことが起こったらと思うと、俺もどうしていいかわからん!」
「ぼ、ボタンさんは……僕よりもっと大変なことになってるような気もしますけど……」
そもそも自分自身がティオ以上に珍妙な変貌を経験していることを棚に上げ、腕を組んでうむうむと頷くボタンゼルド。
そんなボタンゼルドの姿に、ティオは僅かに頬を緩める。
「チェルノボグさんは言ってました……僕はお父さんのバックアップだって。もう一人のお父さんだって……このままあの人が言うように、お父さんの記憶が全部戻ったら、今の僕の意識も――――ボタンさんのことを大好きなこの気持ちも、無くなってしまうのかもって――――」
「ティオ……」
「嫌、なんです……っ! 僕はもう性別が変わったり、どんな姿になったりしても平気です。でも……でも、この気持ちが消えるのは……絶対に嫌なんです……っ」
ティオはボタンゼルドを包む手に僅かに力を込め、その大きな瞳を潤ませる。
ボタンゼルドは真剣な眼差しをティオへと向け、黙ってその言葉を聞いていた。
「せっかく大好きだって気づけて……ボタンさんからも同じように想って貰えて……それなのに、それが全部消えちゃうのかと思うと……どうしたらいいのか……っ!」
やがてその双眸から涙を零し、ティオは縋るようにしてボタンゼルドの小さな体を自身の胸に抱いた。
ティオの個人としての記憶は完全に戻ってはいない。
あるのは断片的にヴェロボーグと過ごした思い出。父からかけられた言葉。
それ以外のティオとしての記憶は、未だに復元されてはいないのだ。
にも関わらず、ここ数日の間で怒濤のようにわき出してくるのは、父であるヴェロボーグが体験したであろう記憶と光景ばかり。
すでにその記憶の総量は、ラースタチカで過ごした約一年の情報量を超えている。
チェルノボグの言葉と合わせれば、それは自身の基盤となるアイデンティティが希薄なままティオにとって、恐怖以外の何物でもなかった。だから――――
「ティオ……俺は君を愛している」
「っ……! ボタン、さん…………」
「それは決して君が俺に好意を伝えてくれたからだけではない。俺は君と共に過ごした日々の中で、君だけが持つ優しさと強さに惹かれた。君だったからこそ、俺はこれからもずっと共にいようと決めたのだ」
ボタンゼルドはその伸び縮みする両腕を伸ばしてティオの背に添えると、力強い瞳と共に頷いた。
「この先に何があろうと、俺は君の傍にいる。君が笑えば共に笑い、君が辛い時は俺も一緒に君の辛さを背負おう。これからのティオの――――いや、俺たち二人の日々を、最後の刻まで君と共に歩ませて欲しいのだ」
「うぅ…………そうして……そうして欲しいです……っ! そうして欲しいよぅ……っ! ボタンさん……っ! 僕も、ボタンさんとずっと一緒に居たいんです…………っ! 離れたくないんです……っ!」
「君の気持ちはちゃんと俺に届いている。もう君一人だけで抱えている物ではない。もしティオが消えてしまうというのなら、その時は俺がこの命を賭けて連れ戻す。この俺が、絶対に君を消させたりはしない」
「はい……っ」
二人はそう言って互いにその身を寄せ合うと、小さな影と、さらにとても小さな丸い影を重ねた。
青い地球の輝きに照らされた二人の姿。
漆黒の宇宙を飛ぶラースタチカから覗く二人の影は、そのままいつまでも寄り添いあっていた――――。
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