第九話 欲深き者

道化


『いくよ――――! ボタン君!』


『ああ――――! 待っていたぞ、ラエル!』


 光。


 ラエルノアが自身の操るノア・シエラリスの細剣でチェルノボグの肉体を寸分違わず貫くと同時。眩い閃光が辺り一帯全ての空間を包み込み、全ての事象が時を止める。


 それは救済の光。


 創造主ヴェロボーグが生み出した、全てを救う脱出ボタン発動の輝き。

 チェルノボグの暴虐をその目で見たティオは、沸き上がる激しい怒りによって創造主としての力の片鱗に目覚めていた。


 ティオはそのまま、チェルノボグによってその存在を抹消されたかに見えたラエルノアの祖母、先王リリエリスの残滓を認識すると。ボタンゼルドの持つ脱出ボタンとしての力を使い、チェルノボグに掌握されたリリエリスの存在だけを脱出させようと試みたのだ。


 それは賭けだった。


 いかに創造主の力に目覚め始めたといってもティオはまだ何も知らない。

 全ての記憶を取り戻したわけでもない。


 対してチェルノボグは、実質的にはヴェロボーグとほぼ同等の力と経験を持ち、世界の理の全てを知る存在。

 そのような存在を相手に、無事リリエリスを救い出せるかどうかは完全な博打だったのだ。そして――――


「…………ここは?」


 目もくらむような輝きの向こう。

 不思議な浮遊感と僅かな息苦しさを感じたティオが、おそるおそる目を開く。


 するとどうだろう。そこは先ほどまで自分がいたはずのバーバヤーガのコックピットではなく、どこまでも広がる広大な白い平面空間だった。


「――――大丈夫かティオ? どうやらここは、かつて俺とティオが君のお父上によって招かれた、のようだ」


「ボタンさん……!」


 驚きと共に辺りを見回すティオに、すぐ隣から力強い声がかけられる。


 そこにはかつてティオが一度だけ見た、金色の髪をなびかせた精悍な容姿の青年――――本来の姿となったボタンゼルドが、その青い瞳をティオに向けていた。


「ボタンさんっ、ラエル艦長のお婆様は……っ!?」


「まだだ、ティオ――――恐らく、ここまでは俺たちの狙い通りだ。しかし、俺たちがここにいると言うことは――――」


「その通り――――! まさかできの悪いバックアップでしかない貴方が、自力でこの階層まで到達できるとは。本当に驚きましたよ」


 その時。ティオとボタンゼルドの耳に、道化じみた声が響く。


 純白の平面。傷も染みも存在しない、ただ白いだけの床の一角にぽっかりと穴が開き、そこから灰色の軍服を着た黒髪に赤い瞳の青年が現れる。


「先ほどはどうも! まさかお二人だけでなく、あの救世主様までがあそこまでの力を持つとは。この私ともあろう者が、完全に見誤ってしまいましたよ。反省しないといけませんねぇ!」


「あ、あなたはっ! でも、あなたはさっき確かにラエル艦長に攻撃を受けたはずなのに――――!」


「お前がチェルノボグだな。ラエルの祖母君は返して貰うぞ」


「はてさて……それは構いませんが、? 確かにそこのの持つ権限と、脱出ボタンである貴方の力でこの階層へは到達できたようですが。いかに到達者アーテナーとはいえ、生身で一体なにができます――――?」


 怒りと決意を露わにする二人を前に、先ほどまでの狼狽ろうばいぶりの全てが茶番であったかのように、現れたチェルノボグはつかつかと白い床を踏みならして悠然と歩きだす。


 そしてその床面の一点へと手をかざすと、先ほどと同じように、割れた空間から一人の美しい少女が深い眠りについたまま出現する。


「その人――――さっき少しだけ見た、ラエル艦長のっ!」


「返して欲しいのは、ですよね――――? それで、どのような条件でコレをお返しすることにしましょうか? ここで私と殴り合いの決闘でもしますか? ああ、……なんてのも、洒落てていいですねぇ?」


「黙れ――――。俺たちは、ただ彼女を連れ戻すために来たのだ。お前の許可を取るつもりはない」


「アハ――――。そういうところ、にソックリですよ。フフフ」


 未だにその目的も、考えも掴めぬチェルノボグ。


 しかしボタンゼルドは、チェルノボグが繰り出す全ての戯言を切り捨てるようにただリリエリスだけを見据えると、そのまま決然と歩みを進めた。


 そして軽薄な笑みを浮かべるチェルノボグのすぐ目の前を一顧だにせず通り過ぎると、少しの躊躇もなくリリエリスの小さな体を自身の腕の中に引き寄せ、抱きかかえる。


「――――帰るぞ、ティオ」


「ボタン、さん……?」


 歩き、抱き上げ、そして再び歩く。


 本当にただそれだけの動作であったにも関わらず、そのボタンゼルドの姿をじっと見つめていたティオは、思わずその身を襲う緊張からごくりとその喉を鳴らした。


 ボタンゼルドは怒っていた。


 ティオは今まで自分自身の怒りに囚われて気づけなかったが、ボタンゼルドもまた、チェルノボグに対して強烈な嫌悪と怒りを燃やしていたのだ。


 思い返せば、ティオは今まで一度たりともボタンゼルドの怒りに触れたことがなかった。初めて見たその青年の怒りは、ティオが今まで見たどのような怒りよりも静かで、途轍もなく重かった。


 ボタンゼルドの放つ静かな怒り。


 それは、ただそこに立っているだけのティオの柔らかな肌をびりびりと震わせ、彼女の全身をじっとりと汗ばませる程の凄まじい物だった。しかし――――


「おやおや――――もうご用件はお済みですか? 折角来たのですし、もう少しゆっくりしていっては。お茶くらいなら出せますよ?」


「俺は――――」


「はい?」


 しかしチェルノボグは、そのボタンゼルドからの怒りを一身に受けながら、平然と笑みを浮かべていた。


 先ほどまでラエルノアに対して無様に命乞いをし、焦りからエルフたちに暴言を吐いていた存在と同一とは思えない、底知れぬ不気味さを感じさせる立ち姿だった。


「俺はお前と問答をするつもりはない。お前の目的にも、お前の動機にも興味はない。俺は俺の目的を果たすために、仲間と共に死力を尽くす――――そう伝えておくがいい」


「おおっと!? なんとまあ、まさかまさかですよ! はこちらにとっての隠し球。自爆スイッチの存在は知れても、それが彼であると言うことは最終決戦まで秘密にしておくつもりでしたのに。まさか既にご存知だったとは! 流石ですねぇ!」


「行くぞ――――ティオ」


「あ……は、はいっ!」


 ボタンゼルドの発した言葉に、大層驚いたという様子のチェルノボグがその両手を叩いて快哉かいさいを上げる。


 しかしボタンゼルドはもうその男に注意を向けることはなかった。

 緊張した様子のティオの心をなだめるように穏やかな笑みを浮かべると、一度だけ頷く。


「フフ……お二人をおもてなし出来ず、とても残念ですよ。実は私が作ったケーキやクッキーなんかも用意していたのですが――――ああ、そうそう――――?」


「っ?」


 互いの手を握りしめ、白銀の粒子を纏いながらその空間から帰還しようとするティオとボタンゼルド。

 しかしその最後の時、チェルノボグはなんということもないという様子でティオに向かって声をかける。


「せっかく来たのですし、ついでに良いことを教えて差し上げますよ。貴方のお父さん、ヴェロボーグさんがわかりますか? この宇宙では無敵のはずの彼が――――脱出ボタンを使えば、消耗しながらでも外宇宙に脱出できたはずの彼が、なぜ死んだのかを――――」


「ティオ、惑わされるな。だ、まともに聞けば飲み込まれる」


 握った手をさらに強く握りしめ、ティオを支えるボタンゼルド。

 ティオもまたボタンゼルドの言葉に頷き、その胸に顔を埋めて自身の耳を塞ぐ。だが――――


「私が彼に毒を撃ち込んだのです――――彼のデータを侵食し、徐々に破壊するウィルスをね。だからヴェロボーグさんは、貴方というを生み出さざるを得なかったのです。つまり貴方は。か弱く――――それが貴方なのですよ」


 閃光の中に消えゆくチェルノボグは淡々と、しかしはっきりとティオの出自について語った。


 やがて光り輝く世界は遠ざかり、かつてと同様に薄暗いバーバヤーガのコックピットの感触がティオの肌に触れた。


 連れ戻したリリエリスの小さな体をその伸び縮みする腕でなんとか支えると、再び脱出ボタンの姿に戻ったボタンゼルドは何も言わず、ただ俯いて押し黙るティオの肩をいつまでも抱きしめていた――――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る