【前編 / 02】 流星に至る ─── 05

 待ち合わせの駅は賑やかだった。人々がせわしなく行き交い、清潔な印象の構内は、ざわめきと足音に溢れている。

 俺は何度目になるかわからない、腕時計を確認する仕草をして、きっと頬を引き締めた。

 ――やっとここまでこぎつけたのだ。ヘマをしてはなるものか。

 昨夜から、何度この言葉を唱えたかわからない。脳内でシミュレーションを繰り返し、あれこれと準備をして、俺は今日に挑んでいた。

 ふう、と息をつき、爪先から腕の先まで、自分の格好を見下ろす。カースト最上位者と休日に出かけるのだ。まともそうな格好を選ぶのに苦労した。服装についてなんてまるで知らない。しょうがないので、店員が話しかけてこないことで有名なファストファッションの店に入って、一番最初に目に入ったマネキンの商品を、頭からてっぺんまでまとめ買いした。

(変なとこ、ないといいけど……)

 そわそわと身体をひねり、背中の様子や服のシワなんかを意味もなくチェックする。あまりにも落ち着かない。俺はもう一度、ふう、と息を吐いた。

 俺と宗像は最寄駅が違うため、K駅のある路線への乗り換え駅で待ち合わせとなった。改札を出てしまえば余計な運賃がかかる。だがホームで待ち合わせるのは心許ない。結果、改札のすぐ内側での待ち合わせとなっている。

 落ち着かない心臓を押さえ、改札を出入りする人々をぼんやり眺めていると、ふっと目の前に影が落ちた。顔を上げる。

「悪い。待たせた」

「え、あ、うん……いや、十分くらいしか、待ってないけど」

 宗像が無造作に手首を見た。最新式のスマートウォッチに視線が落ちる。その眼差しが、あれ、という表情に変わり、彼は軽く首を傾げた。

「三島、そんな早く来てたの」

 今は待ち合わせの二十分前だった。どうせこの完璧な男は、早く到着するに決まっている。そんな男の好感度を上げるなら、さらに早く行くしかない、と思ったのだが。三十分前に着いていたというのは――おかしいのだろうか。経験値がなさすぎてわからない。

「は……早く目が覚めたんだよ」

 早口でぼそぼそとつぶやき、顔を背ける。宗像が、ふうん、と小さく笑った。俺は居心地の悪さを感じつつ、横目でそっと宗像を盗み見た。ごくシンプルな格好なのに、びっくりするほど格好がいい。長身だからだろうか、あるいは身体つきがしっかり作り込まれているからだろうか。俺とは大違いだ。

 ぎゅ、と鞄の持ち手を握りしめ、俺はちらと宗像の手首を見た。

「それ……前の冬に出たやつ?」

「ああ、これ?」

 ひょいと手首を持ち上げる何気ない仕草が、むかつくほど決まっている。ちら、と袖をめくった先には、一番メジャーなスマートウォッチの最新型が収まっていた。

「GPSがついてて心拍数が測れるからさ。走り込みのとき便利だと思って。お年玉とか、貯金崩して奮発した」

「へえ……」

 正直、こういう機械ものにはちょっと興味が引かれる。どんなことができるんだろう、と覗き込んでいると、宗像が小さく笑う気配があった。

「あとで触らせてやるよ」

「え。いいの?」

「いいよ。人に見せらんないものはこっちだから」

 とんとん、とスマホが入っているのだろうポケットを叩く。人に見せられないもの、と聞いて年頃の男子がイメージするものが想起され、俺はかすかに目元が熱くなるのを感じる。こういう軽口も平気で言えるあたりが、人望の秘訣なのだろうか。

 しげしげとスマートウォッチを見下ろしていると、あれ、と小さい声が耳元に降ってくる。時計をつけていない方の手が動いて、さら、と耳元の髪をかきあげられた。

「な、な、な、なに」

「ふは、また吃ってる。いやな、その耳」

「え? ああ」

 一瞬戸惑ったが、すぐに納得する。俺は耳元に手をやって、金属の金具に指先でちょんと触れた。青いピアス。

 普段は透明な樹脂ピアスで隠しているけれど、今日は人とでかけるということで、ちゃんとしたものを着けてきたのだ。ちなみに普通のピアスは、この一つしか持っていない。

 うちの学校は進学校特有の『ゆるさ』がある。学業に精を出してさえいれば、他のすべては目をつぶる、というやつだ。制服だっていくら着崩しても文句は言われないし、成績が落ちなければバイトも自由。ピアスだって染髪だって、一切なにも言われない。だからいちおう、違反ではないはずだ。

 とはいえ、これを開けたのは高校入学前のことだ。

 M高に落ちて、母が急に俺を無視するようになって。それでも卒業式だけは義理のように参列していたけれど、母はこのあと仕事なの、と言って、式のあと俺を待たずにさっさと帰ってしまった。

 写真だの寄せ書きだのでわあわあうるさい教室内、俺の居場所はとくに見当たらなかった。俺の受験を応援してくれていたはずの先生は、目立つグループの女子に囲まれて涙ぐんでおり、俺には一瞥もくれなかった。誰にも気付かれないまま鞄を持って、最後の教室を一度だけ振り返って、外に出た。

 親子連れで賑わう校庭は涙と祝福ムードに満ちていて、その端っこをひとりで歩いていると、無性に息が苦しくなった。足元が不安定になって、半透明の世界の中で、自分が急に希薄になっていく気配。校門を出ても行く場所などどこにもなくて、ああもう俺は立っていられない、と思った。

 その帰り道、駅構内の雑貨屋でピアッサーを買って、駅のトイレで耳に穴を開けた。一緒に買った青いピアスをつけようとして、すでにファーストピアスがはまっていることに気がついて、なんだ、とポケットに戻した。ピアッサーがそういう構造なのも知らなかった。

 あの日、耳に穴を開けた理由なんて、今でもわからない。ただ、ピアスは俺の錨にはならなかった。結局のところ、俺は今までのやり方を捨てられなかったのだ。空っぽの、なにもない自分に、知識だけをざらざら詰め込んで、落ちてきたものが内側にこすれていく感触で、かろうじてなにかの実感を得ているだけの。

 胸をよぎる意味のない過去に、俺はかすかに眉をひそめた。気持ちを切りかえ、ふっ、と顔を上げようとして――俺をじっと見つめている眼差しと、目があった。

「……宗像?」

 色のない、よくわからない表情。なにか静かな眼差しが、俺をまっすぐに見つめている。なめらかな表面に映り込む、不慣れな格好をした俺の姿。こういうのに慣れていない。いたたまれなくなる。

「な、なんだよ。どうしたんだよ」

 どぎまぎして早口で言い募ると、宗像はいや、とだけ言ってまばたきをした。それきり、あの得体の知れない眼差しは消えていた。

「なんか意外だなと思って」

「俺はむしろ、おまえが開けてないことのほうがびっくりだよ」

 わざと口数を増やして、そわそわをごまかす。宗像はたまに言われる、と笑うと、自分の耳元をちょいと触った。

「運動するときに引っ掛かったら邪魔だろ」

「ああ、そういう」

 それは確かに、死活問題だ。流血沙汰は嫌だもんな、とくすりと笑う。宗像はそういうこと、と笑い返すと、ちらりと窓の外を見た。居並ぶ線路、ホームの上に、ごったがえす人の波。六月頭、空梅雨の、休日の空気。

「晴れてよかったな」

 嬉しそうに宗像が言う。そういうものなのかと思う。天気なんて大雨や豪雪でもない限り、どれでも一緒だと思っていた。あいまいに頷く。

「じゃ、行くか。えっと」

「5番ホーム」

「準備いいじゃん」

「う。まあ、うん……」

 じゃあ行こうぜ、と宗像が歩き出す。大股の歩幅を追いかけて、俺も小走りについていく。宗像はすぐに歩く速度を落とした。おそらくは俺に合わせての歩き方に、相変わらず完璧な男だ、と思って、ちらりと隣の男を見上げた。凛々しくも雄々しい横顔がちらとこちらを見下ろして、なんだよ、と淡く笑った。やっぱり、嫌味なくらい格好よかった。



 

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