03

「あ、いえ……大丈夫です……」

 未だ煩く鳴り続ける心音。ゆっくりと呼吸を繰り返し気持ちを落ち着けてから大丈夫だと伝えると、相手は安心したように表情を和らげ肩の力を抜いた。

「預かったものはこちらです」

 羽織っていたジャケットのポケット。そこから取り出されたのは小さな鍵だ。

「これは?」

「さぁ?」

 その鍵は何に使うのか。この質問をすることは自然なことだろう。しかし、目の前の相手はこの質問に対しての答えを持ち合わせていないようで、困ったように眉を下げ頭を掻いて視線を逸らしてしまう。

「私はこれを届けてくれと頼まれただけですので」

 考えてみたらそれは仕方の無いことなのかも知れない。この男性はこの建物に荷物を運ぶために雇われているだけで、荷物の中身を把握しろとは言われていない可能性が高い。この鍵にしたって、届けてくれと言われたから届けた。その理屈は筋が通っている。

「……そう……ですか……」

 この鍵が何かを変える切っ掛けになる。そんな小さな期待は呆気なく打ち砕かれる。それを残念がっているのは誰でもない。私自身である。

「すいません。何も分からなくて」

「いいえ。貴方のせいじゃないですから」

 そう。彼は何も悪くない。彼はただ、自分の仕事を忠実にこなしている。それだけなのだから。

 その後、二、三言葉を交わしてから彼とは別れる。鈍い音を発しながら掛かるトラックのエンジン。マフラーから黒煙を吐き出した後ゆっくりと動き出すタイヤは、少しずつ回転数を上げ速度を付ける。整備の整っていないアスファルトの上を不安定に揺れながら小さくなるトラックの後ろ姿。やがて、いつもと同じ静寂が建物を包むように辺りを支配した。

 それから暫くの間、トラックの消えた方を見つめながらその場に立ったまま。ぼんやりと風が揺らす木々の音を聞いていた。

 どれくらい時が経ったのだろう。小さく動かした指に当たる硬い感触。改めてそれが何かを確認し、広げた手の平へと視線を落とす。

「…………この鍵、何の鍵だろう?」

 手の中にあるのは小さな金属。洋白という合金は銅と亜鉛とニッケルをかけ合わせた一般的なもの。特別重たいわけでも形状が特殊なわけでもない。形状も実に平凡な形をしている。それくらい何処にでもあるようなありふれた物にしか見え無い。

 しかし、この鍵がどの扉を閉ざしているものなのか、私には覚えがなかった。

 この建物は基本的に鍵という概念が存在しているのかが怪しい。玄関の扉は生体反応で開くようになっているのか、特定の人物だけ出入りが出来るように設定されていることは何となく理解している。何故そう考えたのかと言えば、玄関脇に設置されているパネルの存在。ここで情報を登録しておくことで、玄関の扉に設置されたセンサーにより即座に生体認証の処理が行われ解錠される仕組みになっているようだった。

 そうで無くともこの建物に出入りするのはここで生活を続けている私と、荷物を届けに来る配達員の二人。盗まれるような調度品が全く無いと言えば嘘になるが、この場所に気付く人間がそもそも居ないようなので、新しく人が訪れる気配が一切無いのだ。防犯なんて有ったところで意味を成さないというのはこう言うことだろう。

 建物の中はというと、窓は内側からしか開かない仕組みになっていた。開いた窓は閉ざしてしまうと自動的にロックがかかる仕組みになっていて、外から開けようとしても開くことは不可能になっている。また、窓及び壁に使用されているのは合わせガラスのようで、簡単に壊せるようなものでは無かった。そのため、この建物に入るにはどうやっても玄関の扉を開く以外方法が無いと言えるのだ。

 それでは部屋と廊下を繋ぐ扉はどうかと考えたが、シリンダーが着いた扉は、残念ながら一枚も存在していなかった。とは言えこれは多少語弊がある。

 この建物に於いて自由に出入り出来る部屋は三つ。キッチンとリビング、そしてダイニングルームの三箇所である。これらの部屋を仕切る扉は各部屋にたった一枚だけ存在しており、その全てが中央の廊下と部屋を繋ぐためだけに存在していた。

 バスルーム、トイレと個室に関してはそれぞれ鍵が掛けられるようになっている。これはプライバシーを確保するためにそうなっているのだろうと予測出来る。但し、鍵の形状が少々特殊になっており、鍵という媒体を使わずにロックをすることが可能なようになっているのだ。

 バスルームとトイレはともに、人感センサーでロックの切替がされるように設定されているようで、廊下側からアクセスをする場合は、部屋に近付くだけでロックが解除される。バスルームとトイレ側からのアクセスの場合に於いては解除コードを入力することで施錠を解除出来る仕組みとなっているようだった。解除コードはというと各部屋の出入り口に設置されているパネルの上部に印字されており、誰が使用しても内側からなら開くように設定されているから閉じ込められる心配は無い。

 一方個室はというと、こちらに関しては指紋認証で開くようになっており、扉に設置されているパネルに指を押し当てることで鍵を外すことが出来る仕組みになっていた。これは中央の廊下から個室に戻るときも同様で、一方的に移動が出来るのは個室から廊下に出る場合のみということになっているようだ。

 備え付けられているデスクにはデスクワゴンと言ったオプションは無く、ベッドの脇に置かれたサイドボードの引き出しにも鍵を欠けるためのシリンダーは存在していない。バストイレの扉は鍵が掛けられない仕様になっているし、棚も鍵が掛けられるような造りにはなっていない。

 共通で使う家具にしてみても、やはり鍵を掛けるためのシリンダー錠は存在していない為、この小さな鍵が何処で使用される物なのか皆目見当が付かないのも仕方が無い話だろう。

「ダメだ。全然分からないや」

 早々に考える事を放棄し、誰も待つことのない建物の中へ戻ろうと振り返ったときだった。

「…………?」

 視界の端に捉えた奇妙な違和感。何故かそれがとても気になって仕方が無い。

「…………何?」

 ゆっくりと顔を動かし、その違和感の正体を突き止めるべく視線を彷徨わせる。

「……何? あれ……」

 目の前には金属のボックス。それは妙な威圧感がある大きな箱だった。

「……いつの間に、こんなもの……」

 この様な箱はこの場所にあっただろうか。私の中にある数少ない記憶の引き出しを開きながら、必死にコレが何かという答えを探す。

「……いいえ。こんなものは、なかった、はず……」

 しかし、幾ら考えてもこの奇妙な金属の箱が今までここに在ったという事実は見つけられない。少なくとも私の中にある記憶では、つい先ほどまではこの場所には何も無く、向こう側に広がる森の姿がしっかりと見えていたはずである。

 ならば何故、この金属の箱がこの場所に存在しているのだろう?

「……これ、何処から……」

 無意識に周囲を見回し警戒を強める。私に気付かれずこの様な大きな箱を設置するなんて、どうやって出来るのかという謎に胸がざわついて仕方が無い。身構えながら誰か居るのかと大声を上げ様子を見るが、幾ら待っても反応が返ってくることはない。気が付けば周囲の音は消え、耳に痛いほどの静寂が場を満たす。

「……………………どうしろ…………と…………」

 口の中に溜まる唾液。引き攣った喉を動かしゆっくりと飲み込むと、意を決して箱に近付いてみることにした。

「……………………」

 この箱は近くで見ると思った以上に大さがあることが分かる。見た目は完全に金属にみえるそれ。表面は周りの景色を移し込む鏡のように磨き上げられ、汚れはおろか指紋一つ附着していない。試しに触ってみると手触りは実に不思議な感触で、固いのに柔らかいという形容しがたいものだった。日の光を浴びる場所に置かれているのだから多少は熱を持っているのかと思えば思ったよりも冷たく、そのギャップにも驚いてしまう。

「これ……何の金属で作られてるんだろう?」

 金属の箱を観察するようにゆっくりと歩きながらそんなことを考える。一番納得出来る答えはこの世界に存在しない物質で作られている可能性。だが、それは現実的にあり得ない話だと言う事も理解はしている。これだけ科学が発達し、世の中に溢れる様々な不可思議が解明せれている世の中だ。別の次元や惑星から物質が突如現れるなんてこと、どう考えても不可能だということは考えなくても分かることだった。

 ならば次に思いつく可能性は今、この状況の全てが夢という現象だと言う事。

「まだ目覚めてない……なんて、そんなこと…………」

 そう口に出しながらも、試しに自分の腕を軽く抓って痛みがあるかを確かめる。これが夢であれば当然、痛みは感じないはずだ。

「…………痛っ……」

 しかしその願いも虚しく、力を込める右手の指により捻れた皮膚の表面から、内側を伝って鈍い痛みが広がっていく。確かに感じる痛覚にこれは現実で起こっていることなのだと思い知らされ溜息が出てしまった。

「夢……じゃない……」

 さて。どうしよう。

 不思議な箱を前に呆然と立ち尽くす。どんなに考えたところでこの不思議な箱がなんなのかという答えは、私には分からない。だからといって不気味な物体が敷地内にある事も気持ちが悪い。なんとかしてこれを目の着かない場所に移動出来ないかと考え始めた時だった。

「……………………?」

 四面有る内の一面にだけ存在する小さな丸いもの。それは箱の下部にあり、太陽の光を反射し眩しく存在を主張している。一体何なのかと覗き込んでみると、それは小さなキーホールだということに気が付いた。

「…………もしかして」

 ふと思い出したのは先程手に入れたばかりの鍵の存在。改めて鍵を確かめキーホールの大きさと照らし合わせてみると、驚くことにその大きさはほぼ一致している事に気が付いた。

 恐る恐る差し込んでみると、鍵は素直にキーホールへと吸い込まれていく。

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