02

 あのメモがどうなったのかというと、意外な事に要望は断られることなく、叶えてもらえるようだった。

 何故なら、その次の週に届けられた荷物の中には一冊の雑誌が追加されていたからである。

 その雑誌は季節やトレンドの情報をまとめたファッションもので、特別な情報は一つも無い。何を以てこの本を追加してくれたのかは分からないが、毎週届けられる同じような品物とは異なるこのアイテムは、退屈に支配され不貞腐れていた私の心を動かすには十分だった。

 少しだけ季節のずれたファッション雑誌。それでも、私にとっては新しく面白い情報には変わらない。この変化は素直に嬉しい。まるで、手に入れたばかりの玩具に喜ぶ子供のように、私はたった一冊の本を大切に抱きしめ表情を和らげる。

 しかし……その暇つぶしも直ぐに限界が来てしまうものだ。

 結局のところ、たった一冊の雑誌に収められている情報なんてそう多くはない。一週間もあれば百ページにも満たないそれは直ぐに読み終わってしまう。繰り返し読むのだって数回が限度。直ぐにまた、退屈という二文字が戻ってきてしまうのだ。

 それならば、と。次に要望を出したのは雑誌以外の本。出来れば物語が良いと希望を添えて、回収を待つ折りたたまれたコンテナボックスに貼り付ける。この週もまた、決まった時間にいつもの男性が、中身の詰まったコンテナボックスと引き替えに畳まれたコンテナを回収して去っていく。次に彼が来るまで一週間。この一週間は、いつも以上に長く感じてしまった。

 次に荷物が届けられたとき真っ先に開いたのは、食料ではなく生活用品の入ったボックスである。探し物は回収して貰ったメモに記したもの。それは、三つめのボックスを開いた時に見つかった。

 同梱されていたのは有名な児童書。タイトルを聞けば誰でも分かると思われる物語。

 暫くの間、その本は私の大切な相棒だった。

 ページを捲る毎に広がる新しい世界。文字で綴られた架空のキャラクター達が数多の試練に立ち向かい、そして成功を掴み取る。そんなサクセスストーリー。

 始めて読んだときは純粋に好奇心が刺激された。

 次に読んだときは感情を揺さぶられた。

 三度目、四度目と、読む度に異なる視点に囚われ、その都度見える情景が異なる事が面白い。

 だが、それも暫くすると限界が来てしまった。

 結局のところ、変化のない日常には刺激という物が存在しない。退屈を感じた瞬間から、時は自分で思う以上に長く感じられるようになってしまうのだろう。それを紛らわせる方法は、限られた空間では見つける事が非常に難しい。だからこそ、より新しい刺激を求めて変化を望むのかも知れない。

 届けられた本の内容に飽きた頃、私は新しい本が欲しいとメモを貼り付けた。今度は一冊ではなく、何冊か有ると嬉しいというメッセージを添えて。

 するとどうだろう。メモの言葉通り、今度は五冊ほど新しい本が届けられた。

 この本の作者の名前は初めて見る。タイトルも私の記憶の中には存在しないものだ。読んでみると、内容はシリーズ物のようで、主人公が次々と事件に巻き込まれていくタイプのミステリーもの。話自体は一冊ずつ綺麗に完結はしているが、少しずつ時間の軸が進んでいくことからシリーズとして楽しめもする。そんな感じの物語になっていた。

 この二度に分けての試みは、然程問題視されることなく叶えられることが分かった。ならばと今度は、読み終わる前に新たな本の要望を出してみる。それを何度か繰り返していると、そのうち定期的に本の差し入れがコンテナボックスの中に追加されるようになった。

 届けられる冊数はその都度変わる。本の種類も実に様々で、頭の痛くなるような専門書からカジュアルな雑誌、小説、絵本など、バリエーションに飛んで居た。

 そのうち、届けられた蔵書が部屋の至る所に放置されるようになり、何だか手狭に感じ始めた。

 それがとてもストレスだと思ったため、本棚が欲しいと要望を出してみることにした。

 本棚が届けられたのは、要望を出して二週間後のことである。

 それは既に組み立てられており、配送を担当している男性の手によって部屋の中に運ばれた。

「……別の人も居たんだ」

 本棚が届いたことを喜ぶよりも、配送のスタッフが複数人居る事に対して驚いたのが正直な気持ちだ。

「ありがとう……ございます」

 本棚の設置が終わった事を確認してスタッフにお礼を言う。彼らは言葉を交わすことなく、軽く頭を下げこの建物を出て行ってしまう。エントランスに置いてある畳まれたコンテナボックスは姿を消し、代わりに中身の詰まった新しいボックスが幾つか。玄関の扉が閉ざされると、直ぐにトラックの気配が消え静けさが戻ってくる。

「片付けよう」

 大きなコンテナはキャスターが着いているお陰で移動は楽だが、一週間分の備品を一人で片付けるのは大変で。ふと、何故この作業を一人でしなければいけないのかと言うことに疑問を感じてしまった自分に驚いた。

 そうだ。何故、この作業を一人でやっているんだろう。

 今まで疑問に思った事は何度かあるはずなのに、いつの間にかそれが意識の外に追いやられ、いつの間にか忘れてしまう。そして、その疑問を抱いたということを気にせずに、決められた作業を行う機械のように同じことを繰り返す。いつも、それがいつの間にか当たり前になってしまうのだ。

「…………あ」

 そのことに気が付いた瞬間、この静かな空間がとても嫌なものに感じ気持ちが悪くなってしまった。

 とは言え、そうは言ってもこの場所から逃げ出せるかというとそれは実に難しい話でもあった。

 両足があるのだから歩いて出れば良いというのは分かっては居るが、夜の森というものは見た目以上に恐ろしく感じてしまうもので。例え道具を揃え万全の状態で歩き始めたとしても、日が暮れてからの恐怖に打ち勝つ勇気は中々持てない。

 もしかしたら、一人で居る事に慣れすぎたのかも知れない。

 暖かな光と、得られる安心感を手放してまで自由が欲しいとはどうしても考えられなかったのだ。

 結局の所、私は臆病なのだろう。

 毎日続く退屈を変えたいと変化を望むくせに、その変化を起こすための勇気をいつまでも持てず閉じこもる。いつか誰かがこの状況を変えてくれるのだと期待して、変わる事のない日々を続けていく。このままではいけないと頭のどこかでは分かっているはずなのに、下らない理由をつけてその問題から目を背け知らんぷり。まるで私自身がこの建物の一部になってしまっているかのような錯覚に悩まされながらも、ただ流れゆく時の音に耳を傾けていた。


 本棚の中身が大分充実した頃だろうか。

 この建物に滞在してから始めて大きな変化というものが起こったのは。


 この日は朝早くから騒がしかった。私はいつもよりも遅く起床したせいで、始め何が起こっているのか理解出来なかった。

 玄関から聞こえてくる音。それに首を傾げつつ、廊下をゆっくりと進む。

 まだ半分ほど眠っている頭は直ぐに微睡みに囚われてしまいそうで、覚束ない足取りで何度か転倒しそうになりながらも音が聞こえる場所に近付いていく。

 途中、キッチンに立ち寄り冷蔵庫の脇にかけられたカレンダーの数字を見て瞬きを数回。

「……そうだ。今日は、配達の日……」

 代わり映えの無いコンテナが届けられる日だと言う事に気付くと、大きな欠伸が一つ零れた。

 瞼にたまる涙を袖で拭いつつエントランスに辿り着けば、いつもの人が忙しなくコンテナをトラックから降ろしていた。

「お早う、ございます」

 再び欠伸を零しながらそう言えば、彼は軽く会釈しただけで直ぐに作業に戻ってしまう。

 考えてみれば、私は彼が喋っているところを一度も見たことがない。話をするのは常に私から。言葉は挨拶やお礼といった簡素な物で、それ以上の会話に発展したことは無い。

 声をかける度、相手は困った様に会釈をして顔を背ける。まるで、会話をすることを禁じられているかのように私の視線から逃れると、荷物を置いてそそくさと建物から出て行ってしまうからだ。

「……あ、あの」

 でも、それだと面白くも何ともない。私だって人間だ。誰かと話したいと思う時だって有る。

 だからこそ、今日はこうやって、勇気を出し彼に話しかけて見ることにした。

「もし、お時間があるようでしたら、少しだけお話しませんか?」

 コンテナを抱えた状態で彼は一瞬動きを止めた。

「……えっ……と……」

 明らかに動揺している。それは彼の気配で直ぐに分かる。

「……すいません。ご迷惑、でした、よね……」

 矢張り誰かと話をすることは不可能なのだろうか。半ば諦めた状態で俯き小さく溜息を吐いた時だった。

「……本日は、この荷物以外にも、お届け物があります」

「……え?」

 急いで顔を上げ彼の方へと視線を向けると、目の前に居る空いては居心地が悪そうに視線を逸らしながら帽子の鍔を下ろした。

「直ぐに戻りますので、少々お待ち頂いててもよろしいでしょうか」

 私の返事なんて待たずに、彼は一度姿を消してしまった。エントランスに残された私は、先ほど言われた言葉を復唱し言葉の意味がなんなのかを考え一人唸る。

「他の荷物って……何だろう……」

 コンテナの数は全部で六つ。これは毎週届けられる荷物と同じ数だ。今週は本の要望を出していないはずだから、新しい本が追加されているとも考えにくい。

 そもそも、新しい本が届けられるとして、わざわざ『届け物がある』と伝えられるのは不自然だと感じる。この様に今まで荷物の配送時にコンテナの中身について、配達員の男性が口を開くことは無かった訳だし、運び込む荷物の全てを熟知しているとは考えにくいと思う。それならば何故、今日に限って「荷物がある」と言われたのか。その謎の答えに検討が付けられないまま悩んでいると、いつの間にか戻ってきた男が突然声を掛けてきて変な声が出てしまった。

「すいま……」

「ひゃあぁっ」

 少しの間漂う気まずい空気。

「す、すいません」

 何かを察したのだろう。先に男の方が謝り頭を下げる。

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