陸ノ噺:コンクリートボックス

【赤い部屋】【顔のない】【ぐちゅぐちゅ】

 気が付いたら、いつの間にかそれはそこに在った。

 何故それが此処にあるのかは知らない。

 それでも、それは此処に在り、消える事は無い。


 それは一つの箱である。


 箱……という表現は少々語弊があるだろう。

 実際は、扉を開けることの出来ない部屋という方が正しい。

 どうやらこの建物は、この部屋を中心に回廊のように部屋が配置されているようだった。


 中央に在るものは部屋なのに何故『箱』と称したのかというと、それには理由がある。

 この部屋にはまず、窓というものがない。いや。窓だけではない。廊下側と箱の内側を繋ぐための扉。それを開くためのドアノブというものがそもそも存在していないのだ。

 回廊の中心にある真四角の空間。その造形から『箱』という表現が相応しいと、そう感じたからである。


 ところで。

 この奇妙な部屋のある建物だが、建っている場所も実に奇妙である。

 この場所が地図上の何処に存在しているのかなんて知るはずもない。もしかしたら、この場所は地図上に記載されていない可能性だってある。

 それならば何故、この建物が在る場所が奇妙だと言ったのか。それについては至って簡単で、単純にこの地形に特徴があるから。ただそれだけである。

 この建物は、鬱蒼と茂る森を抜けた先にある。

 噎せ返るような一面の緑は足場が悪く、申し訳程度に整備された道路の上にすら、大小様々な砂利が転がっている有様。整備されなくなって久しいアスファルトには幾つもの亀裂が入り、外に逃れようとして伸び出した草の緑がそこかしこに点在している。

 この建物から森の中を通る道を戻れば都市部にアクセス出来るメインの通りに出ることは可能なのだが、実際の距離は随分と遠い。とてもではないが、人の足で歩くには向かない。それくらい長さがある。

 舗装されたアスファルトは、主要道路から建物が建つ敷地の入り口まで蛇行しながら続いている。

 建物の外観が見えると土地は一気に開けるのだが、この建物は正面には広いスペースが確保されているのに、背面は直ぐに崖になっているというとてもアンバランスな形で建てられていた。窓を開けたら緑の海と言えば聞こえはいいのかも知れない。だが、実際はそこから落下したら二度と生きては戻れないと分かるほど、その距離は長く、とても深いのだ。

 では。

 この建物のことをもう少し詳しく説明していこう。

 この建物の造りは実にシンプルである。

 一階建ての鉄筋コンクリート造のそれは、見た目以上に広い構造をしている様だった。実際に上から撮影し全景を眺めたわけではないため憶測による意見ではあるが、多分、大きな正方形のような形をしているのだと思われる。

 ただ、完全なる正方形というわけではなく、入り口の部分にだけ前にせり出すようにして、ブロック一つ分の余計なスペースが存在しいている。その様な形になっていた。

 建物内に入るとまずエントランスがある。可視性の高いこの建物は、プライベートゾーンを除く殆どの壁が硝子で区切られているようだった。その為、エントランスに入ると左右に伸びる廊下のどちら側にも大きな硝子の壁が存在しているのが分かる。

 当然、目の前に続くリビングも同様で、部屋と部屋を区切る硝子の壁が向こう側に広がる光景を隠してくれることは一切無い。一応、ブラインドカーテンというものは設置されてはいるが、これは後付けで設置したもので、家主が仕方無く付けたというような印象を受ける。

 部屋の概要はリビング、ダイニング、バスルームとトイレは共用の物がそれぞれ一つずつあり、後は洋間が幾つか存在している。

 洋間の造りは簡易な物で、シングルのベッドと小さなデスクセット、備え付けられたシャワートイレと簡単な炊事が出来る小さな調理スペースがあるといった感じになっている。調理スペースにはシンクの側に小さな冷蔵庫が一つ。中には何も無く空っぽの状態だった。

 洋間に関してはどの部屋も同じ造りで、個々の違いは一切無い。家具のデザイン、カーテンの模様、ベッドカバーの柄一つにしても、全て同じ物で統一されているのだから実に気味が悪い。

 これらの部屋は全て建物の外周に添って配置されていた。エントランスを抜けて、直ぐ目の前にある中央の一番広い部屋がリビング。その左側にキッチンとダイニング、右側にバスルーム。奥に進むと先程説明した洋間となっている。そして、どの部屋からも更に奥へと進む扉が一つずつ。その扉を開けると、内側にある回廊のような廊下へと出る。

 この廊下は外側に向かって部屋の数だけの扉が存在していた。これらは各々の部屋から廊下へと移動するために設置されているもので、扉から扉までの間隔は、配置されている部屋の面積によってばらつきがある。建物の入口側は扉の数が少なく、奥に向かって等間隔に配置されているそれは、モダンな造りの木製のものだ。どの扉も部屋の内装と同様に、全て同じデザインで統一されていた。

 反対側はと言うと、冒頭で説明した通り、中央に真四角の空間が存在している。四方を無機質なコンクリートで固められた壁。硝子張りのこの建物の中で一際異質に見える物がこの部分である。

 可視性が高い硝子の壁を持つ建物の中心にあるもの。それが先ほど『箱』と称したこのコンクリートの立方体。

 一見するとこれはただの支柱だと思えるだろう。しかし、これは歴とした部屋なのである。

 何故そうだと言い切れるのかというと、北側の壁に扉らしき物が存在しているからだ。

 とは言え、この扉は開くことが出来ない。

 そうで無くとも、よく見なければ『扉』であると気付けないほど、壁と同調してしまっているから質が悪い。

 当然、この扉の開け方を知るものはいない。この扉が電動で開くのか手動で開くのかは勿論、開くための解除コードがあるのか、鍵という物が存在しているのかすらも分からない。だから、この冷たいコンクリートの向こう側に何が有るのか、誰も何も知らなかった。

 コンクリートの表面を指でなぞると、僅かに感じ取れる隙間とずれ。それだけが、ここに扉という物が存在していると分かる証拠。ただ、それだけである。

 ところで。

 この建物には、人の気配が無い。

 人の気配だけに限らず、生き物の気配というものが一つも感じられないと言う方が正しい。これだけの家具や設備、調度品が揃っているのに、生活の痕跡が皆無だと言えば伝わるだろうか。

 まるで機械的に管理されている空間。そんな印象が付いて回る不思議な雰囲気が感じられる。

 この建物に食料と生活に要する必需品が届けられるのは週に一度。いつも決まって同じ男が、同じ時間にやってきて荷物を置いていく。

 その荷物の量はいつも同じ。時々増えたり減ったりはするのだが、それは極稀に起こる事だった。


 この建物に何時から居たのか。その記憶は実に曖昧である。


 そもそも、どうやってこの場所に訪れたのか。その記憶ですら良く思い出すことが出来ない。

 何となく覚えて居る事と言えば、とても強い光。それが目の前を白く染めていき私という存在を呑み込んでいく。たったそれだけだ。

 気が付けば、この奇妙な建物に一人。私は存在していた。

 私はひたすら考えた。この場所が何のために存在しているのかを。

 何故それを考えようと思ったかと言うと、単純に暇だったからである。

 この建物には私しか存在していない。

 私以外誰も居ないのだから、当然誰かと会話をすることも出来ない。

 暇を潰すものを探してみても、生活に必要と思われる最低限のものは有るのに、娯楽を得るためのものは何一つ見つける事が出来なかった。

 テレビを始め、ラジオ、音楽、パソコン、携帯端末。本ですらこの建物の中には存在しない。本当に暇つぶしを行うための手段が見つけられないのだ。

 仕方なしに建物の周辺を散策してみたりしのたが、建物から主要道路までの距離が長く、この場所から一番近い都市のシルエットすら確認することは不可能で。道を外れると鬱蒼と茂る木々に覆われた森が、容赦無く私を呑み込み奥へと誘っているかのに感じてしまうため、怖くて直ぐに引き返してしまった。

 小川の潺や、涼やかな木陰といった癒される場所を求めて少しずつ範囲を広げてみても、矢張り結果は変わらない。そんな素敵だと感じられる場所など、この建物の周辺には存在して居らず、一歩足を踏み入れると呑み込まれ囚われてしまうような森だけがただひたすらに続いている。

 逃げ場がない。

 そう自覚するまで、さほど時間は掛からなかった。

 逃げられないと自覚してからは、如何にしてこの退屈を誤魔化そうかと言うことばかり考え始めた。

 始めに行ったのは建物の観察。先ほど説明した事は全て、今までの暇つぶしで集めた情報である。

 それでも、その時間の無駄遣いもあっと言う間に限界を迎えてしまう。何故なら、暇を潰すための方法が限られてしまっているからだ。

 毎日同じように建物を見て、毎日同じように出口を探し歩く。何度も何度も繰り返す同じような行動は、やがて習慣化し、次第に飽きを感じ始める。何十回と繰り返す内、その行動自体が馬鹿馬鹿しく感じられるようになり、その内その行動をすること自体止めてしまった。

 次に試みたのは、配達の内容を指示すること。

 毎週一度だけ届けられるのは食料、衣服、生活雑貨の三つに限られている。食料以外はいつだって同じ物がコンテナケースの中に入れられて置かれていて。ケースの外側には見覚えのない会社のロゴが印刷されていた。

 中身が空になったコンテナは、畳んで入り口の収納スペースに立てかけておくのが暗黙のルール。このコンテナは一週間後の同じ時間、毎週やってくる配達員が新しい荷物と引き替えに回収していく手はずになっていた。

 その行動を起こそうと思ったのは、ほんの思いつきである。

 有るとき、回収して貰うために畳んだコンテナに小さなメモ用紙を貼り付けて、共に回収して貰えるかを試してみることにした。

 メモの内容はシンプルに一言。

『本が欲しい』

 ただそれだけを記しただけだ。

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