04

「………………まさか、ね……」

 完全に奥まで差し込まれた鍵。力を入れて軽く回してみると、目立った抵抗を感じることなく簡単に半時計回りに回転していく。と、同時に、小さな音を立てて錠が外れる手応えを感じ驚いた。

「…………ははっ…………嘘…………」

 まさかこうなるとは。

 想像もしていなかった結果に思わず出てしまった渇いた笑い。ゆっくりと引き抜かれた小さな鍵。先程配達員から手渡された謎の鍵は役目を終え、今は掌の上で太陽の光を受け鈍い光を放っている。それをぼんやりと眺めながら、取りあえず今までの情報を軽く整理してみることにした。

 正直に言えば、このアイテムは使われることのないまま記憶の中から薄れ消えていく、そんなものだと勝手に思い込んでいた。しかし、運命とは実に奇妙なものものらしい。突如としてこの場所に現れた謎の箱。有り得無いと疑いつつ物は試しに箱の下部に取り付けられたシリンダー錠に射し込んでみれば、驚くほど自然に吸い込まれていき、掛けられていた錠をいとも簡単に開けてしまったのだ。そして今、役目を果たしたその鍵はというと、私の手の中で転がされている。

「この鍵って、この箱を開くためのものだったんだ」

 未だ納得はしていない。それでも、訪れた結果が全て。不本意ながら数ある謎の内の一つは、この様な形で解明されてしまった。しかし、未だ解明されていない謎の方が多いのは事実である。

「鍵を外したのは良いけど……この箱、どうやって開くんだろう?」

 錠自体は鍵を用いて解いた。しかし、肝心の箱を開くための方法は分からないまま再び途方に暮れている。

 数秒なのか数分なのか。数十分なのか十数分なのか。目的を見失った私は、ただこの金属の箱の前で立ちすくんでいる。

 容赦無く照りつける太陽が、角度を変え紫外線を肌に突き刺してくる。汗腺から吹き出す汗がじっとりと衣服を湿らせていくというのに、何故かその場から動く事が出来ない。何かが引っかかる。その奇妙な感覚だけがずっと付きまとって離れなかった。

 改めて箱を観察してみると、やはりこの箱は奇妙だと言う以外表現する言葉が見つけられなかった。本来なら鍵を外した時点で箱を開けることが可能になるはずなのに、この箱はどうしても開けることが出来ない。何故なら、この箱には扉を開くための取っ手というものが存在しないからである。仕方無くシリンダー錠のある面に指を這わせ繋ぎ目が無いかを探ってみることにする。本来なら触れることはしたくないのだが、そこは興味の方が勝ってしまったため考えないことにした。

 相変わらず妙な手ざわりのそれは、熱くもなく冷たくもない不思議な温度で。引っかかる物も見つからず端から端へと指が滑っていってしまう。何回か往復したところでふと、指に妙な突起物が触れたことに気が付き動きを止めた。

「何? これ」

 もう一度。同じ位置を今度はゆっくりと逆方向に向かって指を動かしていく。それは丁度箱の中心辺り。見た目では分からないほどの僅かなずれが存在していることに漸く気が付き手を止める。

「もしかしてこれ、スイッチか何かかな?」

 声にして、それは違うと思う一方で、その考えは間違いではないのかも知れないと思う自分も居て。提示されたのは二つの選択肢。押すのか押さないのか、ただそれだけ。その事について誰かに話を聞きたいと願っても、この場所には私という存在が一人きり。どれだけ声を張り上げたところで、問いかけに答える声など聞こえてくるはずも無いだろう。だから決断は自分で行わなければならない。このズレの正体がなんなのかを見極めるのか、それとも気付かなかったことにしてこの場を立ち去るのか。

 暫く一人で悩んだ後、意を決してそれを押してみることに決める。もし、これがただの飾りのようなものならば、何も変化が起こることはない。もしこれがスイッチのようなものだとしたら、この箱の中に何が在るのかを確かめることが出来る。どちらの未来が訪れようと、今こうして分からないと言うことに感じる苛立ちを持ち続けるよりはマシである。

 ゆっくりと深呼吸を繰り返すこと数回。伏せた瞼をゆっくりと開くと、思い切ってその場所に添えた指に力を込め奥へと押し込んでみた。

「…………」

 確かに感じたのは箱の内側に向かって表面が動く感触。だが、確かにその感触は指に伝わるのに、何も変化が起こる様子はない。

「……何だ。スイッチ……じゃ、ないのか」

 そう言葉にした瞬間、一気に肩の力が抜け口元が緩む。確かに何かを期待はしていたが、それが叶わなかったことに対して感じたのは意外にも安堵だった。

 もうこれ以上何も出来ることはない。箱の表面に触れていた指を離し、一歩後ろに足を下ろした時だった。

『カチッ』

 目の前の箱から聞こえる小さな音。反射的に顔を上げ、身構えながらそれを凝視する。

『カタカタカタカタ……』

 次に聞こえてきたのは規則正くリズムを刻む音で、それはまるで絡繰りを動かす為の回る歯車の合わさる音のような錯覚を覚える。その音は暫く続き、徐々に大きくなると次の瞬間、一際大きな音を立てて動きを止めた。

『カチンッ』

「…………え?」

 その音を最後に、目の前の箱から聞こえていた音は止まる。

「……な…………な……に……?」

 聞こえていた音は何だったのだろう。確かめたいと思いながらも、箱に近寄り調べる勇気が出ない。どうすればいいのか悩んでいると、突然、箱の一部が軋むような音を立てて動き始めた。

『ギギ……ギ…………ギ…………』

 少しずつ開く金属の箱。小さかった隙間は徐々に広がり、向こう側が徐々に明らかになっていく。

「………なっ……!!」

 半分ほどそれが開いたところで私は急いで箱に向かって手を伸ばした。

 大きく傾く箱の中身。私の指先がそれに触れ、私の腕にその重みがのし掛かる。

「っっ!?」

 バランスを崩して大きく傾く身体。ぶれる視界に思わず視界を閉ざす。次の瞬間、背中に強い衝撃が走り肺が痛みを訴えた。

「……かっ……」

 開かれた口から奇妙な音が漏れる。それが自分の出した声だと気が付いた頃には、身体の至る所に鈍い痛みが走っていた。

「…………っっ……」

 何が私に起こったのか。無意識に溢れた涙を拭うこともせずに閉ざした瞼を無理に開けば、滲んだ視界に広がるぼんやりとした色が飛び込んでくる。痛みを訴える右手の指で涙を拭いゆっくりと上半身を起こし、改めて状況を確認すると、自分の上に覆い被さるようにして一人の女性が倒れていることに気が付いた。

「……そうだ……わた……し……」

 急速に結びついていく記憶と言う名の映像たち。今という時を基軸に目の前の箱が開かれた所まで一気に残像が巻き戻る。

 開く事のないと決めつけていた箱が開くと、中に閉じ込められていた物は支えを失い大きく傾く。それが何なのかに気が付いた瞬間、身体は無意識に動いてしまっていた。

 何故、そうしようとしたのか何てどうでも良い。

 気が付けばそれに向かって手を伸ばし、受け止めるようと動き出していた私の両足。地面へと引き寄せられるそれを掴むと、強く引っ張り上げ、急いで両腕を回す。曖昧になったバランスのせいで視界が大きくぶれるが気にして等居られない。

 それを抱き留めたことで自分が地面と衝突してしまうんじゃないかと言う事は、この時は考えなかった。気が付けばそれが結果として起こっていた。そんな感じで今に至る。

 漸くクリアになってきた頭で改めて状況を確認すると、開き方の分からなかった箱は確かに開き、内側が見える様になっていた。

「…………黒い」

 箱の内側は真っ黒に塗りつぶされていて、境界が分からない。目の前に現れた全てを呑み込む黒い闇。まるで内側に広がるブラックホールのように見えて眩暈を覚える。

 そこから現れたのは一人の人間。今、私の上で意識を失い多い被さっている女性がその人である。

 見た目は差ほど私とは変わらない年齢の様で、とても白い肌をした儚げな雰囲気を持って居た。

「……綺麗……」

 彼女の下から這いずるようにして抜け出すと、地面へと静かに寝かせ肩を揺すってみる。

「……あ、あの……」

 確かに感じる弾力と暖かさ。しかし、彼女の瞼が開く気配はない。力を込め先ほどよりも強い力で揺すぶってみたが、結果は変わらず彼女は意識を失ったままだ。

「……ど……どうし、よう……」

 彼女が何者かなんて私には分からない。新たに増えた謎に軽く眩暈を覚えはしたが、だからといって彼女をここに放置しておくのもどうかとは思う。暫く考えた後、私は彼女を建物の中へと運ぶ事に決めた。

「……よい……っしょ……」

 力を抜いた人間というものは、思った以上に重たい。意思を持たない腕を肩に回し何とか担ぎ上げると、引きずるようにして建物を目指す。箱の置かれていた場所から玄関まではそれほど距離が有るわけではないはずなのに、たった数メートルの距離が何よりも長いと感じてしまう。容赦無くのし掛かってくる人一人分の重さが煩わしくて仕方が無い。

『……早く、目を覚ましてくれればいいのに……』

 漸く玄関の前まで辿り着いたときには、全身が汗でぐっしょりと濡れて気持ちが悪かった。

 上がった息を整えるようにゆっくり呼吸を繰り返してから、既に開かれている扉を潜る。空調の効いている室内は外よりも大分涼しい。いや。涼しいを通り越して肌寒いと感じる程だ。それは多分、汗で濡れてしまった肌と衣服のせいだろう。とはいえ、ここで足を止めるわけにはいかない。取りあえずこの人を寝かせられる場所を。何処が最も適しているのかを考えた結果、リビングへと向かう事に決める。

「……はぁ……はぁ……」

 解放された一人分の重み。私の目の前には、ソファに横たわる一人の女性。まるで魔法で眠らされたお姫様のような彼女は、私なんかと違ってとても美しい見た目をしている。透き通るように白かった肌は、太陽の光によりほんのりと紅く色づいてはいるものの、時間が経てば元の白さを取り戻すのだろう。

「……可愛い人……だなぁ……」

 色素の薄いミルキーベージュの髪の毛は一つ一つが細く手ざわりがよい緩やかなウェーブ。睫は思った以上に長く目鼻立ちもハッキリとしたものだ。その中で最も映えるのは赤みのある艶やかな唇で。こんな人間が居るなんて狡い。と、そう思わずには居られない。

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