肆ノ噺:シアワセのレシピ

第4話:【図書館】【写真】【料理】

 料理をするのは好き。美味しいモノを食べるのが好きだから。

 それを誰かに食べて貰えるのも好き。美味しいって笑ってくれる顔が好きだから。

 だから私は考える。美味しいって喜んで貰えるために色々と。

 何が良いのか悪いのか。それは口にしてみるまで分からない。

 頭の中にある理想と、口にしたときの現実は、イコールになることもあればならない事もあったりする。

 それは当たり前の事だけど、失敗したときは悔しいって思っちゃう。

 何か美味しいものを作らなきゃ。


 そうすれば、誰かは私に笑いかけてくれるかも知れないでしょう……?


「はぁ……」

 今日の予定はキャンセルされた。帰るにはまだ少し早いといった時間。家に居てもやるせなさしか感じられ無さそうで、仕方なく目に止まった書店に入ってみた。そんな感じ。

 最近は、本を読むという事も余りしなくなったせいで訪れる事も少なくなってしまったその空間は、以前と比べて随分並べられた商品の質が変わってしまったなと感じてしまう。ずっと好きで買っていた漫画はいつの間にか連載が終了し、平積みにされていたはずの販売ブースからは最新刊以外の表紙が消えてしまっていた。代わりに今期で、アニメがスタートしたタイアップ作品がパワープッシュされ、店員による手作りのポップで大々的に宣伝されている状態だ。

 そう言えば、何巻から購入していないんだっけ?

 そんなことを考えても、ある程度の巻数を超えてしまった辺りで、表紙の違いは分からなくなってしまっていて。大体この辺りと見当を付けて手に取ってみても、それを所有しているのかどうかが分からず、結局本棚へと逆戻り。

 携帯端末でWebブラウザを立ち上げ、通販サイトの試し読みで中身を確認しないと『この本はまだ購入していないから買おう!』と思えないところがとても悲しいと感じてしまう。

 あんなに好きだった話なのにな。

 購入したくない訳では無いし、手持ちのお金が足りないと言うわけでもない。続きは一応気になっているはずなのに、それでも『購入する』というところまでどうしても意識が向かない。

 もう一度だけ手にとって表紙を見る。次にひっくり返して裏表紙。税込み価格に表示が改訂されたことで支払う金額は分かりやすくなったが、それ以外の感想は出てこない。もう一度だけひっくり返して小さく唸った後、手に取った本をやっぱり本棚に戻してしまった。

「次に来たときにでいいや」

 こう言ってしまうと、その本は数ヶ月先まで購入するきっかけを失ってしまうのだろう。部屋の掃除をするときに漸く、手持ちの巻以降のストーリーが無いと言うことに気が付いて、有名な通販会社のサイトから追加購入する可能性の方がかなり高い。最悪、本という媒体を手放し、電子書籍で購入し直す可能性だってあったりするのだ。売上げに貢献出来ないことに申し訳なさは感じてしまうが、それでも『今』『ここで』『必要かどうか』を考えると、曖昧な情報で購入して荷物を増やすという気には到底なれなかった。

 手に持ったままの携帯端末。電源ボタンを押してディスプレイに表示させたのは、現時点での時刻を示すデジタル数字。

「……まだ、こんな時間かぁ」

 店に入ってまだ十分も経っていない。まだまだ出来ない気持ちのリセット。誰も居ない部屋に戻っても、帰宅後の時間がただ長くなるだけ。それはちょっとしんどいな。

「うーん……」

 漫画が並べられている棚の周りをゆっくりと歩く。好んでよく読むのは少女漫画。その隣には最近流行のボーイズラブが続き、それが途切れると、今度はネットで人気のあるノベライズ本の棚が続く。背を向けている方に振り返ると、右から有名な雑誌の少年漫画。少しマイナーな少年漫画。年齢が高めの青年漫画と続き、出版社がマイナーでサイズの大きなワイド版がまとめられた本棚の下にはコンパクトなサイズにまとまった文庫サイズの漫画が並べられている。

「………………」

 これだけ沢山の本が陳列されているというのに、感じる印象は「ああ。そうなんだ」。勿論、気になるタイトルが全く無いというわけでは無い。ただ、以前に比べ、強い興味が湧いてくるまでの時間は掛かってしまうようで、結局一冊も手に取ることをせず、漫画のコーナーから移動する。

 この書店は決して狭いものでは無い。

 駅に近い立地のため、テナントビルの三フロアに渡って書籍を取り扱っている割と大きな全国チェーン店。それでも自分が学生の頃に比べると、大分売り場は縮小したのだろうなと思ってしまう。

 上のフロアへ向かうべく乗り込んだエスカレーター。自分で歩く必要の無い便利な機械が昇る度、先程までいたフロアが遠ざかっていく。動く階段の中腹にまで来て改めて全体を眺めると、全体的に本が並べられているわけではなく、半分ほどはステーショナリーや雑貨で占められていることに気が付いた。

「本って、こんなに売り場が縮小されていたんだ」

 改めてそう言葉にすると感じる寂しさ。それを振り切るように緩く首を振ると、もう少しで到着する上の階へと視線を向けた。

 あれから一時間ほど、目的も無く店内を移動して回る。特に興味の無いジャンルは素通りし、気になるタイトルが目に入ると足を止める。それを繰り返す事で漸く潰せた一という数字の時間。その間で得た収穫品は、残念ながら零である。

 結局、何も手に取らず再び戻ってきたのは最初のフロアで。店に訪れたときに足を運んだコーナーとは反対方向へ歩き、最新の情報誌が並べられているブースに足を踏み入れると、丁度目に止まったのはレシピブックだった。

「……そいう言えば……最近、作るレパートリーにバリエーションが無くなっちゃったんだったな」

 一人の食事は実に味気ないものだ。共に卓を囲み食べてくれる相手が傍に居ること。それだけで【料理】という行為は何よりも楽しい物になるというのに、その存在が消えてしまうだけで少しずつ楽しいという感情は色を失っていく。

 私の中で【楽しい】の色が薄れ始めたのは数ヶ月前の話。些細なことで始まった擦れ違いは、いつの間にか大きな溝にまで成長してしまっていた。その溝を埋める方法は未だ見つけられていない。ただ、時間だけが過ぎていく、そんな状態。

「……美味しそう……」

 ページを捲る度にこみ上げる切ない気持ち。仕上がりイメージはどれも綺麗で美味しそうな写真で、その隣のページにはメインの食材はコレ、作り方はコレと料理に対しての詳細情報が記載されている。お手軽に作れると言うことを謳っているだけあって、一品作るだけのコストは抑えめ。それでこれだけのクオリティならば、食べる方としても作る方としてもさぞかし有益なことには間違いは無いのかも知れない。

 無言でページを捲り続けると、次第に視界が滲み始める。別に泣きたい訳では無いのに、堪えきれない涙を誤魔化すように鼻を啜って瞼を押さえた。

「……嫌んなっちゃうなぁ……もう……」

 お肉がメインの料理。お魚がメインの料理。卵がメインの料理に、お米がメインの料理。パスタがメインの料理……どれもこれも全部【美味しそう】なものばかり。材料の分量はどの料理も【二〜三人分】。【一人分】の分量じゃないところが狡いって感じてしまう。

「この本、幾らなんだろう?」

 途中まで読んで本を閉じ、裏表紙に記載されている価格を確認すると、値段は思ったよりも少しだけ高かった。

「そっかぁ……」

 その数字を見てでたのは溜息だ。

「この本、良いなぁって思ったんだけどなぁ……」

 またしても始まる自問自答。

 この本は、私に取って必要なもの?

 今までだったら迷わず購入していたかも知れない。でも、今日はそんな気分にはなれない。

 結局、この本もレジに持って行くことはなく、棚に戻してサヨウナラ。美味しそうな料理の写真と情報に名残惜しさは感じたが、荷物が増えなかったことを喜ぶべきだと自分に言い聞かせて店を出る。

 気が付けば日が少し傾きかけたところ。もう暫くすると空の色も青から茜へと変わっていくのだろう。

 家まではバスを使えば大分早い。

 そんなことは分かっているが、今日は直ぐに帰りたい気分じゃなかった。

 珍しく徒歩で帰宅することを選び歩く町。普段見ようとしない風景は、少しだけ新鮮だと感じてしまう。

 先ほどまで居た駅前から、近所の商店街までは少し距離がある。そこに至るまでに続く住宅地は、昔からこの場所に暮らしている住民が生活している場所だ。

 元々この土地の人間ではないため、あまり土地勘があるとは言い切れず、筋道に入るのは未だ怖い。だからバス停を伝って本通り沿いに進むのがやっとと言うところ。幸いにも、そこまで複雑な地形をしている訳では無いこの町は、メインとなる通りが一番大きく分かりやすかった。

 すれ違う人や自転車を避けながらのんびりと歩く。途中、学校帰りの小学生とすれ違うと、今にしては珍しい元気な声で挨拶をされる。

「お姉さん、こんにちはー!」

 そう言ってニコニコと笑うのは五人の子供達。三人の男の子と二人の女の子のグループは、三年生か四年生くらいだろうか。

「ええ、こんにちは」

 そう言って小さく手を振ってあげると、「さようならー」と手を振り返して彼等は去っていく。振り返ってその小さな姿を目で追いかければ、すれ違う人々に同じように挨拶をしていて心が温かくなった。

 そんな小さなことで落ち込んでいた気分にリセットがかかる。それはほんの少しだけ前向きになれた何かではあるが、それでも今の自分には有り難いものだ。

 肩にかけたトートバッグの紐を軽く握ると、先ほどよりも軽い足取りで歩き出す。俯いていた顔を上げるだけで、見えていた景色は面白いほど変わってくるのは不思議な感覚で笑ってしまった。

 前方に十字路が見えてくると進行方向の信号は赤に切り替わったところ。横断歩道の手前で足を止めれば、左手に小学校の建物が見える。

「あの子達は、あの学校の生徒なのね」

 こんな場所に小学校があるということは始めて知った。普段は最寄りの駅から電車に乗るか、先ほどの駅までバスを使うかで近寄ったこともないため気が付かなかったこと。実際、この場所にくる理由は考えたことも無く、この小学校に訪れる理由なんてものも一つも思い浮かばないのだから、それは仕方のない話ではある。

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