弐ノ噺:ヨビ紙
第2話:【体育館】【青い紙】【白い手】
どこの学校にも、怪談話というものは存在していると思う。
どういった話なのかは学校によって異なるだろうが、良く耳にする有名なものだったり、その学校独自のものだったりと、種類は様々だろう。
例え同じような話であっても、地域によって少しずつ内容は変化していたりするのかも知れない。
ただ、どの話にも共通している事は『話の真意は不明』だと言う事だ。
結局のところ、噂は噂で真実ではない。それは人から人へ語り継がれることで、少しずつ形を変えていくからである。
しかし極稀に、その『曖昧な噂』の裏側を見てしまう人間も存在している。
午後の授業を退屈そうに過ごしている
学校という環境は嫌いではないが、勉強が好きなわけではない。そういう生徒は多いと、渡真利は勝手に思っている。現在の時刻は午後一時四十八分。昼休みが終わり、五限目の授業が始まったばかりだ。
「…………であるから、この場合、このように…………」
興味のある授業以外は全てが雑音。そんな感じで広げたノートに書かれたのは授業のメモなどではなく、最近読んでいる漫画のキャラクターを描いた落書き。手に持ったシャープペンシルを器用に回しながら、渡真利は窓の外をぼんやりと眺めていた。
この時間の授業を受け持つ教師は五十路過ぎの男性教師で。昔気質の教育指向が強いせいか、一方的に教師の話を聞きノートを取りなさいというスタイルを取っている。オマケに担当教科が公民ときたものだから、この教師の授業は毎回、真面目に授業を聞く優等生以外は適当に授業を聞き流し、時間を潰しているという生徒の方が多かった。
黒板に次々と書き込まれていく文字の羅列は、大事な単語を強調するために装飾をするなんて工夫は余りされる事がない。ついでに言えばその文字は達筆すぎて、解読が非常に面倒臭い状態で。こんなんだから、教科書を机に立てたまま突っ伏して眠りこけている奴だって存在していたりする始末。
それでもそんな生徒の授業態度を指摘し改める気配が無いのは、数字で出る結果を重く考えているからだろう。結局のところ、教える立場の人間は己の話をきちんと受け止める出来た人間が好きなのだ。良く言えば真面目、悪く言えば面白味が無い。そんな数字として結果を出す相手に対してだけ、授業をしていれば良い訳だし、それが実に心地良いと感じていることは、相手の態度を見ていれば何となく分かる。
勿論、全ての教師がそういう考えをしている訳では無いだろうが、少なくとも今授業を進めているこの男性教師は、そのタイプのようだった。
「ふわぁぁぁ……」
で、渡真利の事に話を戻そう。先ほどから、窓の向こうに広がる青空と、目の前のノートを行ったり来たりしながら、薄いグレーの罫線が印刷された紙の上にキャラクターの顔と吹きだしを描いている渡真利はと言うと、不真面目ながらに一応は授業を受けてはいる側の人間だった。成績こそ特出して良いわけでは無いが、可もなく不可もなく結果は出しているといった所。実際、ノートの扱いこそ自由奔放だが、話の中で気になる部分にはこうやって落書きのついでにメモを取るくらいはしている。授業のコツさえ覚えてしまえば、教師よってテストの傾向が分かってくる。そんな容量の良さは多少なりとも持ち合わせているから実に狡い人間なのだろう。
そんなわけで、今日も手は落書きを描くのに忙しく動かしながら、教師の話を耳半ばで聞き授業が終わる事を告げる合図を待ち続けていた。
「ん?」
何度目かの欠伸の後、突然机の上に現れた小さな紙に渡真利は回していたペンを止める。
「何だ? コレ」
ノートの上にあるのは、丁寧に折られた小さな便せん。犯人を捜すべく辺りを見回すと、斜め前の席に座るクラスメイトの女性がゴメンとジェスチャをしている事に気が付いた。
「…………」
黒板の前に立つ教師は、チョークで授業の内容をひたすら書き殴っている途中。会話をするわけにもいかず、コレをどうするべきかを動きで相手に尋ねると、彼女は後ろの席に居る別の女生徒に渡して欲しいとお願いしてきた。
「リョーカイ、リョーカイ」
中を開いてメッセージの内容を確認するなんて野暮なことはしない。指示された通り振り返って相手に渡すと、有り難うと小さな声で礼を言われた。
「別に」
女生徒の間で流行っているこういう手紙のやりとりは、何も珍しいものではない。今まで何度か貰い事故は経験しているため、いつもの事だと片付けて終わり。それにしても、ただメッセージを伝えるためだけなのに、色んな形に折られたメモだの便せんだのは器用だなと渡真利は思った。男同士なんて、ノートの切れ端を適当に丸めて相手の背中にぶつけるくらいしかしないのに、この辺りは流石女と笑ってしまう。再び描き始めたノートの落書き。教師の言葉で気になった単語をキャラクターに言わせる形でメモしていくと、自分だけしか分からないようなオリジナリティ溢れる誌面のできあがり。それに一人満足していると、今度は背後から背中を軽く叩かれる。
「何?」
「ごめん。これ、前に回してくれる?」
犯人は先ほど手紙を渡した女生徒だ。どうやら、今度は逆の事をしたいようで、その中継地として渡真利を経由したいということらしい。
「コレを前に回すのか?」
小声でそう確認すれば、彼女は小さく頷いてお願いと手を合わせポーズを取った。
「分かったよ」
言われた通り前の席に座るクラスメイトに事情を説明し、更に隣に座る女性とへと手紙を手渡して貰う。そのやりとりは、この授業が終わるまで暫く続いた。
「………となるから……」
そこで鳴り響いたのは授業終了を告げるチャイムの音。
「あぁ。今日の授業はここまでだな」
そう言いながら教師は使っていた道具を片付けると、教卓の板の上で教材と教科書を叩いて揃えながら学級委員に指示を出す。
「ありがとうございました」
形式的にかわされるこの挨拶は、小・中・高で変わる事はなくずっと続いているものだ。それに対して疑問を持たないのも、それが当たり前のことだと定義付けられてしまっているからだろう。正直に言えば必要なのかどうかを疑問に思わない訳では無い。それでも、この号令があるからこそ、授業が終わったと実感が得られるのは間違いなかった。
「次までに予習はしておくように」
置き土産のような言葉を残して、教師は教室を出て行こうとする。既に彼の話を聞く者など、半分も居ない室内は、休憩という時間がやってきたことで随分騒がしくなっていた。
「ん? これは」
「どうしたんですか? 先生」
「いや。何か落ちているんだが、誰かの落とし物か?」
後一歩踏み出せばこの教室から廊下へと移動出来る。その手前で足を止めた教師は、屈み込んで落ちていたものを拾い上げる。
「ただの紙……だな」
それは一枚の白紙だった。サイズにしてA7というとても小さなもので、一枚だけのペラのもの。授業用に印刷したプリントの用紙サイズとは異なるし、ノートを切ったものでもない。メモかと思えば、メモにしては中途半端なサイズ。そんな白い紙だった。
「先生?」
教師の立っている位置に一番近い席の女生徒が不思議そうに声を掛ける。
「ただのゴミのようだ。捨てておくから気にしないでいいぞ」
「そうですか」
それだけを言い残すと、教師は教室から姿を消した。何て事は無い。学校ではよくある、そんな普通の光景。ただそれだけだ。
ところが、この白い紙事件は、この日を境に何日も続くこととなる。特に被害があるわけではなく、授業が終わると必ずA7サイズの紙が一枚、教室の出入り口付近に落ちているという状態。それに気が付くのは決まって、授業を終えたばかりの教師だった。毎時間、毎時間拾い上げられるこの小さな紙は、今日で一体何枚になったのだろう。それを数えるのを忘れてしまう程、教室で授業があるときは必ずこの紙が扉の近くに落ちている。
不思議な事に、その紙の存在を生徒が気が付くことはなかった。幾ら教室に大勢の人間が居て、沢山の机が並べられているからと言っても、開けたスペースに落ちた一枚の紙に付近に座る生徒が気が付かないなんて事はあるのだろうかと思うだろうが、教師がそれを拾い上げるまで誰一人としてその紙が落ちていることに気が付かない。紙を拾って始めて『そこに紙があったのだ』と気付き、次の授業には忘れてしまう。それをずっと繰り返している。
始めは二、三日。それが一週間。ついには一ヶ月経っても紙はそこに現れ続けていた。
「いい加減にしなさい!」
と、幾度となく生徒の悪戯を疑って叱られることはあったが、生徒達は皆口を揃えてこう答える。
「知りません」
と。中には嘘を吐くなと怒り出す教師も居はしたが、生徒達も戸惑い不安そうな態度を取るせいか、それが悪戯でされているものなのかという判断は、非常に難しいと感じている教師も少なくは無かった。その内、若い女性教師は怯え、教室に入るのも嫌がるようになってしまうし、気の強い男性教師にしたって、それに気付きたくないと無視して教室を出ることも多くなった。回収されなかった紙は、気が付けば何処かに消え、また授業が終わるとどこからとも無く現れる。実に薄気味悪い状態がここ数ヶ月ずっと続いている。そんな感じだった。
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