05

 

 あれから数時間。暗い道が続くのではと感じていた不安が消えたのは、給油所の煌々と灯る明かりが見えてきたからだ。メーターのメモリがギリギリのところで駆け込んだその場所で給油を行い、私たちは一番近くにあったファミリーレストランへと立ち寄り一息吐く。

 気持ちが落ち着いたら思い出したのは空腹感で。随分と遅い時間ではあったが、丁度良いと腹を満たすものを注文し、今日あったことを互いに話し整理していく。

「…………こんな感じかしら」

「そうですね」

 メモを元に草稿を作り青鹿に確認して貰うと、彼は歯切れの悪い反応で小さく頷いてみせた。

「思い出したくないわよね、やっぱり」

 メモを見て蘇るのは先ほど体験した不可思議な出来事。

「……ねぇ、白木さん」

「何?」

「一応写真、見てみます?」

 カメラバックから取り出された一台のデジタル一眼レフカメラ。電源を入れボタンを操作し、バックパネルに撮影したデータを表示させると、二人で一枚ずつそれを確認していく。

「……ちょっと待って」

 そこで私たちはあることに気が付いた。

「これって、あの部屋で撮った写真よね?」

「多分、そうだと思いますが」

 その写真に確かにある違和感。

「だとしたら、これはおかしいわよ!」

 私は思わずカメラを掴み声を荒げた。

「何故、映っていなければいけないはずのものが映っていないの!?」

 あの場所で写した写真は、何も一枚というわけではない。それなのに、画面をスクロールさせデータを全部確認しても、そこにあるはずのものはどこにも見あたらない。

「青鹿! アンタも見たわよね!?」

 もう一度、最新の日付から順にデータを確認しながらそう聞けば、彼は何度も首を縦に振りながら自分も見たと言葉を返してきた。

「あれは、一度見たら忘れられないですよ!! あんなの、普通じゃない!」

 何度も何度もスクロールさせ確認するデータ。しかし、そこに映し出されているのはたった一枚の閉ざされた襖。

 それは彼岸花の描かれた白い襖で、蝋燭の灯りが届かない黒い土塀の間に浮かび上がるようにして存在感を放っている。

「アレは一体何だったの!?」

 屋敷の外観、庭の様子、座敷の雰囲気、廊下の状態。光量が十分に確保出来た空間の記録は正常に残されているのに、閂のかかった観音扉と、塗り固める途中の土塀、壁の中で嗤う生きているのか死んでいるのかも分からない女性の画だけが存在しない。あの空間で撮影したであろう写真は、フラッシュの切り替えをし忘れた真っ黒な二、三枚を除くと、全て同じ襖の画像に置き換わってしまっていた。

「……これ、どうすればいいのよ……」


 後日、私たちは先輩にありのままを報告して原稿をチェックして貰い、それを上司に託す形でこの件との関わりを一切断つことにした。

 病室のベッドで不自由な生活に退屈を感じていた先輩は、「ああでもない」「こうでもない」とブツブツ呟きながらも、この不可解な現象に興味を持ったようで。怪我が完治したら一度訪れてみたいと嬉しそうに笑っていたから内心呆れてしまう。

 上司は中途半端な出来の原稿に苦い表情を見せたものの、「不思議は中途半端な状態が一番興味をそそられるからなぁ」とまとめ、「謎が解明されてしまったらその時点で終わってしまうだろう? 後は読者に任せておけば、また面白い噂が出来るかも知れないな」なんて無責任なことを呟き出て行ってしまった。

 結局、私たち二人が体験したことは、どう説明を付ければ良いのか分からないし、この先それが分かる事なんてないのかもしれないと感じている。

 だが、この謎を解明しようという気は私には一切無い。それは、今回行動を共にしてくれた青鹿も同じ事だろう。

 部長の言うように、今回の記事がきっかけであの村や屋敷に興味を持つ人間は増えるのかも知れない。そして、いつか誰かが私たちの体験したことについての答えを見つけてくれるかも知れない。


 ただ、私はこんな風に思っている。

 興味を持つのは勝手だが、触れてはいけない真実というものも存在している。

 それを紐解こうとするのは、とてもリスクが大きいことなのだろうと。


 今回取材させて貰った屋敷の情報は、プライバシーの関係で詳細を伏せさせて貰っている。この手のネタが大好きな読者の人達はもう既に見当は付けてしまっているかも知れないし、そうでなくとも観光を売りにしているのだから、何かのきっかけでその地を訪れる事もあるかも知れない。

 私としては、あの場所に訪れたいからと言われても、場所を教える気は起こらないだろう。そう思ってしまうほど、今回の経験は苦いものになってしまった。


 でも、もしも、私たちの見たものを知りたいとあの村に訪れる場合は、是非自己責任で出掛けて欲しいと思う。

 願わくば、何も起こらない事を心から祈っている。


 


 漸く騒がしかった複数の蝉の声も落ち着き、夏の終わりを名残惜しそうに告げる蜩の鳴く声が響く。木々は少しずつ紅や黄色が混ざり、足元には朱い華が一面に広がっていた。

「ここが、そうなの?」

 停止した車から降りる男女。女性の方先に口を開き相手に問う。

「どうやらそうみたいだぜ」

 ダッシュボードを漁り取り出した一冊の雑誌。ページを捲りながら彼女の隣に立つと、男性は誌面を軽く指で叩きながら彼女の問いに答えた。

「綺麗だけど、なーんにもないね」

「そう言うなよなぁ」

 この場所に来た理由は小さな好奇心からだ。ネットの掲示板で見かけた小さな情報に先に興味を持ったのは男性の方である。「座敷童に会えたら宝くじでも当たったりしてな」と、冗談半分で付き合っている彼女に零したら、「それイイじゃん! 行こうよ!」と女性も乗ってきた。色々調べて辿り着いたのが、一冊の雑誌の情報で、それを元にやってきたのが、今、彼等が居るこの村である。

「で、座敷童が居る家ってどこよ?」

「んー……この村で一番でけぇ屋敷って言うから……」

 そう言って彼は一度手元の雑誌から顔を上げると、辺りを見回し場所を探す。

「あれじゃね?」

「あっ。ほんとだー」

 目的の建物は、記事に書かれたとおり直ぐに見つける事が出来た。尤も目立つそれは、村の入り口からでも目視で目に止まるほど立派で。道もその場所に向かうのが当たり前だとでも言うように、障害物もなく真っ直ぐに伸びている。

「何か温泉もあるらしいし、宿泊もOKだって書いてあるから、ついでに泊まっちまおうか?」

「どうしよっかなぁ」

 そんな会話を楽しみつつ向かう目的地。村の中心に近づくにつれ、ぶら下げられた朱い提灯と、等間隔に立つ登りが増えていく。

「ねぇ、何か聞こえない?」

「ん?」

 窓を開け耳を澄ませると、どこからとも無く聞こえてくるのは祭り囃子の音だった。

「お祭り?」

「かなぁ?」

 普段は静かなこの村が、年に一度賑やかになる。そんな日にこの地に訪れる事が出来たのは、どんな偶然だろうかと。

「後で行ってみようか?」

 そう言って男性は楽しそうに笑うと、女性もそれに同意するように小さく頷き微笑み返した。

「でもまずは、先に目的地に行くか!」

「そうだね」

 車は進む。屋敷に向かって。辺りには賑やかな音が響き、ふんわりと美味しそうな匂いが漂う。どこまでも続く朱い色。それは屋敷に辿り着くまで途切れることはない。

「あのー。すいませーん!」

 この村で一番大きな屋敷に着くと、先に彼女が車を降りて門を叩いた。

「本を見て来たんですけどぉ」

「はぁい」

 声に遅れて開かれる門。向こう側には、エプロンを着た四十代くらいの女性が立っている。

「お客様? お待ち下さいねぇ。今、奥様を呼んできますんで」

 そう言って女性は一度母屋へと引き返した。暫くして、和服姿の女性と共にエプロンを着た女性が戻ってくる。

「いらっしゃい。どうなさったのかしら?」

「あの……俺たち、この雑誌を見てきたんですが」

「雑誌?」

 突然の来訪に迷惑だったか何て今更ながらにカップルは思いはしたが、その心配など杞憂で、和服の女性は快く彼等を屋敷の中へと誘ってくれた。

「貴方たち、丁度良い時期にいらしたわね」

「そうなんですか?」

「そう。だって、今日は、年に一回の特別な日。お祭りがあるんですもの」




 彼岸花は村を染める。


 朱く朱くどこまでも。


 今年も綺麗に染まる朱。


 綺麗に咲いたこの朱を。


 喜び祝い踊りましょう。


 祭りが終わればこの朱を。


 壁に収めて消しましょう。


 永く永くこの村が。


 栄え続けていくようにと。


 




 彼等は知らない。扉が静かに開かれていた事を。


 明日になれば、また新たに、壁に朱の華が咲く。


 


 


 今年の贄はだぁれ?


 もうすぐですよ、姫御様。


 ふぅん。それじゃあ、まだもう少し眠っていた方が良いのかしら?


 そうですね。もう暫くで、準備が整います。


 


 


 


 だからそれまで、ゆっくりとお休みなさいませ。

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