02
「頼むから対向車なんて来ないで下さいよぉ……」
普段は何車線もある広い道路でしか運転しない人間にとって、走り慣れない道というものは恐怖しか感じられないものだ。
「ってか、白木さん、自分で運転出来るのに何で僕が……」
「嫌よ。私、運転下手クソだもの」
言葉通り、私はお世辞にも運転が上手いとは言えない人間だ。そもそも、都会暮らしが長くなったお陰で自動車を所有するという必要性を感じることが少ない。移動は主に電車だし、頻繁にバスやタクシーを使う事も無いのだから、高い金を払ってまでそれを所持する理由もないのだ。お陰で取った免許は身分証明でしか利用されず、何年も前からペーパードライバー。
「確かに……白木さんの運転は怖いですけども」
過去に一度だけ、青鹿を乗せて車を運転した事はあったが、その時の反応は頗る悪く、『白木さんの運転する車には、もう絶対乗りません!』とまで言われてしまった。
「分かってるなら聞かないでよ」
「うぅぅ……反論が出来ない……」
相変わらず蛇行した道が続く。変化の乏しいこの道程は、気を抜くと意識が落ちそうになってしまうから困ったものだ。カーステレオをラジオに切替合わせるダイヤル。チューニングした放送局は電波が悪いせいかノイズが酷くて聞けたものでは無い。FMからAMに切り替えれば多少音質は増しにはなったが、流れる音楽や内容が好みではないため直ぐに止めてしまった。
「ねぇ」
「何です?」
「CDとか無いの?」
少しでも退屈を緩和出来るものがないのかと青鹿に問えば、歯切れの悪い言葉で「あるにはあるんですが……」と返され傾げる首。
「それ、かけてもいい?」
「あー……デスメタルですが、それでも良いのなら」
「デスメ……なるほど」
人は見かけによらない。そんな失礼なことを思ってしまったのは、隣に座る同伴者の印象が音楽から受けるものと正反対だったからだ。とは言え、どのようなものを好むかなんて、それは個人の自由でもある。
「聞きます?」
掛けるならバッグを自由に漁って下さいと貰った許可。
「うーん……」
一瞬だけどうしようか考えてから、私は丁寧にその提案を断った。
音情報の選択肢が殆ど無いこの状態で、眠気を堪えるために選んだのは会話を続ける事。「眠たいのなら寝ていても良いですよ」という提案に大分心はぐらつきつつも、それは申し訳ないと欠伸を噛み殺し流れゆく景色を眺める。
「あっ。見えてきました、看板」
言葉通り目の前に現れたのは如何にもと言った雰囲気の立て看板だ。
「一応、自然が身近に体験が出来ることを観光の売りにしているって話だし、温泉もあるみたいだからこういうのはあっても不思議じゃないのかもね」
ようこそという文字と村の名前が彫刻されている大きな看板は、立てられてから十数年は経っているようだった。それでもメンテナンス自体はされているようで、朽ちて倒れそうといった雰囲気ではない。夜になると闇に紛れてしまわないように、ご丁寧にもスポットライトまで設置されているくらいだ。
「雰囲気が良い感じだったら、一泊くらいしていきたいですね」
目的地が近づいてきた実感を得られたことで、青鹿の声が明るくなる。
「私は兎に角、帰って寝たいわ」
このドライブも、もう暫くすれば一段落。身体を締め付けるシートベルトを手で緩めながら、一度だけ大きな欠伸を零し、溢れ出た涙を袖で拭った。
木々に囲まれた狭い山道が終わると、急に視界が開けてくる。
目の前に広がるのはのどかな農村の風景で、点在する建物と建物の間は随分と距離があった。多分、建物よりも田畑の方が圧倒的に多いのだということが容易に想像が出来る。
「一応、場所を確認しておきましょうか」
比較的道幅に余裕がある場所を探し停車させる車。ギアをパーキングに入れサイドブレーキを引き、エンジンが切れたところで外すシートベルトの金具。危険から自身の身を守るためとは言え、長時間拘束されていた締め付けから漸く解放されると、村全体に流れる澄んだ空気が肺いっぱいに飛び込んできて気持ちが良いと感じる。
「あっ! すいませーん!」
先に運転席から飛び出していた青鹿はというと、畑を耕していた男性の姿を見つけたようで、気が付けばその男性の元へと走り寄り声を掛けていた。
「此処に行きたいんですけど……」
「あー、金元さんのお宅?」
そんなやりとりを耳半ばで聞きつつ仰ぎ見た空。緑に映える透き通った青と、そこに浮かんでゆっくりと流れていく白の色がとても綺麗で。耳に届いた高い声は、頭上で旋回を繰り返している鳥の声なのだろう。そう言えば、こうやって自然を愉しむ機会は随分と久しぶりだということを思いだし、思わず表情が和らいでしまう。
「白木さーん!」
「ん?」
「目的地までの行き方が分かりましたよ」。声のする方へ顔を向ければ、得意げに笑いながら青鹿が駆け寄ってくるのが見える。
「それじゃあ、さっさと向かいましょうか」
「そうですね」
そう言って運転席に乗り込もうとした彼の手に感じた小さな違和感。
「ねぇ、青鹿」
「何ですか?」
「それ、何よ?」
車を降りたときはそこには無かったものが今、確かに彼の右手には握られていて。
「え? これです?」
「そう。それ」
それは真っ白な変哲も無いレジ袋で。何か重たい物が入っているらしく、大きく撓み青鹿の指に食い込んでいた。
「ああ。さっき貰ったんです。あの人に」
そう言って道を尋ねた男性の方を見て軽く会釈。男性はそれに応えるように、腕を軽く上げ笑ってみせる。
「沢山採れたから、持ってけって」
「へぇ」
袋の中には数種類の野菜が入っているようで、見せて貰った中身は芋の数が随分多い気はしたが、葉野菜も何束か混ざっている。
「いいですね、こう言うのって」
「採れたては美味しいと思うから、良かったじゃない」
「はい!」
そう答える彼は本当に嬉しそうで。後で白木さんにも分けてあげますねなんて、声が随分と弾んでいるから分かりやすい。
そこからまた再開されることになったドライブ。とは言え、今度は目を楽しませる景色がある分、大分気が楽だと感じている。先輩が訪れる予定だった屋敷は、道を確認する必要があったのかというくらいその存在を主張していて分かりやすい。
「きっとあれですね」
大分距離がありはしても、目視で直ぐに分かってしまう一際大きな建物。ある程度村の中まで入ってしまえば、入り組んだ道というものは殆ど無いらしく、まるでその場所に向かうのが当たり前だとでも言うように真っ直ぐに目的地へと続いているようだった。綺麗に舗装されたアスファルトの上を軽快なスピードで転がるタイヤ。いつの間にかなだらかな坂に切り替わっていたようで、徒歩で向かう場合は体力を消耗するなぁなど考えつつ迫る建物を眺めていると、あっという間に広けたスペースに到着してしまった。
「着きました!」
「お疲れ様」
今まで長時間ドライバーを務めてくれた相方の肩を軽く叩き助手席から抜け出した後、ポケットに放り込んだまま放置していた携帯端末を取り出し響かせたコール音。何度か呼び出し音が繰り返された後で、スピーカーを通して穏やかな女性の声が耳に届いた。
「お世話になっております。先日お電話致しました、河野の代理で白木という者ですが……」
病室で暇を持て余していた先輩は、こういう準備だけは抜け目が無くて。口頭で事情を説明し家の前に到着したことを伝えると、電話越しに返される好反応。
「……ったく。何だって私がこんな目に……」
そう文句は言ったものの、これは仕事なのだと自分に言い聞かせ納得させることで気持ちを切り替える。給料を支払って貰っている以上、やっぱり嫌ですと帰るわけには行かないのだ。後部座席から荷物詰め込んだショルダーバッグを引っ張り出し、今一度見上げる建物の外観。
「……凄い迫力よね」
随分と年期の入った建物だわ、と。そう言いかけて、何故か覚えたものは怖気だった。
「如何にもって感じで凄い迫力ありますね、このお屋敷」
次の瞬間、この状況に似付かわしくない機械音が耳に届き我に返る。隣にはデジタル一眼レフカメラを構えシャッターを切る青鹿の姿。建物の迫力に圧倒され呆けていた私とは異なり、彼は既に仕事モードに気持ちを切り替えているようで焦ってしまう。
「それじゃあ、行きましょうか」
閉ざされた門の前に立ち設置されたインターフォンを押せば、少し遅れて鳴り響くビープ音。建物の外観で勝手に思い込んでいた印象とは異なり、閉ざされていた観音開きの扉がゆっくりと左右に開いていく。
「へぇ。自動なんですねぇ」
「そうみたいね」
てっきり門の向こう側に人が居る者だと思っていたのに、開かれた扉の反対側に人の姿はない。どうやらこの扉は自動で動くように設定されているようで、意外にもハイテクな造りに素直に驚きつつ足を踏み入れた屋敷の敷地内。足下の石畳は几帳面に重ね合わされ、隙間を嫌うかの如く綺麗に敷き詰められていた。所々に設置されているのは防犯カメラだろう。私達が動く度、小さな機械が追尾するように動いている。
「お待ちしておりましたわ」
いつの間にそこに立っていたのだろうか。玄関先に立つ老年の女性が、私達に向かって軽く頭を下げていることに気が付いた。
「あっ。お邪魔しております。私、白木詠子と申します」
慌てて取り出した名刺を差し出しながら挨拶をすると、上品な仕草でそれを受け取った彼女が一言、「綺麗なお名前ね」と褒めてくれた。それが妙にくすぐったくて、私は照れを隠すように視線を逸らしながらお礼の言葉を述べる。
「それじゃあ、こちらへどうぞ」
重厚な面持ちの引き戸。それが小さく軋みを上げながらゆっくりと開かれる。
「玄関も広いんですね」
都会の賃貸なんて比べものにならないと、青鹿は笑いつつシャッターを切った。
「あっ。写真、すいません」
「いいえ。お気になさらず」
一応、事前にカメラを入れる事は説明し、承諾は得ている。とは言え、家人を前にいきなりシャッターを切るのも失礼な話ではあると。肘で相方の脇腹をつつくと、スイマセンと返されるジェスチャ。
「気になるところがあれば自由に撮影して構いませんよ」
しかし、彼女はそれを気にするどころか、自由に撮影しても良いという許可を出してくれる。この時ばかりは、家主の懐の深さを心底有り難いと感じてしまったのは言うまでも無かった。
黒光りのする板張りの廊下を進む度、一定のリズムで足下から響く軋みの音。それは大きな音ではないが、矢張りこの屋敷に歴史が有るのだと感じ息を呑む。部屋数は思った通り多いようで、その殆どが普段は使用されていないとのことだった。それでも、掃除だけはしっかりとされているようで埃一つ落ちていないことに感服してしまう。
「時期によってはお客さまに開放していたりするんですよ」
決して有名なものではないと言葉を添えつつ案内される建物の中。その間取りと内装の印象を広げた手帳に簡単にメモしていく。この建物は外観から感じた印象通り、かなり広く大きなもので間違いは無いらしい。良い意味で風流はあるが、悪い意味では不便を感じてしまいそうだと勝手に想像してしまった。
「お住まいになられているのは、旦那様と奥様のお二人ですか?」
ふと気になったこと。何故それを尋ねたのか考えれば、その答えは直ぐに分かった。
「ええ。主人と二人きりですのよ」
この屋敷には人気が無いのだ。
これだけの規模で結構な設備が整っているのであれば、それを扱う為の使用人を数人雇っていたとしても不思議ではないはずである。そうで無くとも、数歩前を歩く女性の年齢は、失礼ながら随分と上の印象で。お子さんが居たとしても不思議ではなさそうなのに、何故かこの場所からは生活感を感じることが出来ない。
「こんな広い屋敷に二人きりって、掃除が大変そうですね」
隣を歩く青鹿が放った空気を読まない一言。
「ええ。掃除をするだけで毎日が終わってしまいますの」
その言葉が面白かったのだろう。女性は上品に口元を隠しつつ小さな声を出しながら笑う。そのお陰か、張り詰めていると感じていた空気が変わった気がして、少しだけ気が抜け漸く息を吐き出すことが出来た。こういう時、デリカシーのない相手の何気ない一言がとても有り難いと感じてしまう。
「そう言えば、白木さんは、東京の出身でしたっけ?」
今まではこちらが主導の会話で、尋ねる立場だったのが逆転。突然話題を振られたことに私は慌てて口を開いた。
「いっ、いいえ。生まれは地方の人間なんです」
何をそんなに焦っているのだろうと苦笑を浮かべながらそう答えると、彼女は大きな目を一度見開き、嬉しそうに目を細めて「そう」とだけ答える。
「僕は九州の出身で、実家は海側にあるんですよね」
「そうなの?」
「ええ。だから、こんな風に山に囲まれた環境って、すっごいワクワクします!」
誰に対しても臆することなく人懐こい性格の青鹿は、頼まれもしないのに郷里のことを話始めた。それに家主の女性は、静かに相槌を打ちながら楽しそうに耳を傾けている。
「青鹿を連れてきて本当に良かったわ」
余りプライベートな部分に踏み込まれたくないせいで、なかなか人に心を開くことが出来ない私だとこうはいかなかっただろう。二人の会話を聞きながら、手元ではペンを走らせ取り続けるメモ。
「そう言えば……」
奥の座敷まで辿り着いたところで、青鹿が思い出したように口を開く。
「このお屋敷って、座敷童が居るって本当ですか?」
先輩の言っていた『有名な』という部分を思い出す。それはどこから仕入れたのか分からない怪しい情報ではあるが、この屋敷には『座敷童』が居て、訪れた人間に幸福をもたらすというものらしい。今回は、それが本当なのかどうかを調べ、それを記事にするというのが目的だと先輩は言っていた。
「良くやった、青鹿」
聞こえないほど小さい声で相棒を褒めると、脇の辺りで作るガッツポーズ。正直、どこ辺りで話を切り出すべきなのか、私はそのタイミングを伺っていたのだ。なかなか話の骨が折れる所を見つけられず悩んでいる間に、有能すぎる相棒はあっさりとそれをクリアしてしまった。
「どこで耳にしたのかしらねぇ」
その質問を投げかけられて、女性は一度困った様に眉を下げた。
「それじゃあ、座敷童っていうのは単なる噂なんです?」
「……そうねぇ……どう説明したら良いものか、少し悩んでしまうわね」
何とも歯切れの悪い解答。私は一度、青鹿と顔を合わせ首を傾げた。
「座敷童というものがどういう姿をしているのか、私は見たことがないの。だから、実際それが棲んでいるのかというと、正直分からないのよ」
「はぁ」
矢張り、噂は噂で真実ではないと言うことなのだろうか。多少期待もしていたのだが、現実的に考えれば不可思議なことは何も無い、ただ歴史がある建物というのが真相なのかもしれない。そう書き留めようとペンを走らせた時だ。
「ただ……」
実に言いにくそうに間を置いて、女性はゆっくりと話し出す。
「確かに、それに近いものはあるのかも知れないわね」
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