虚ろ匣

ナカ

壱ノ噺:紅華ノ壁

第1話:【壁】【死人花(ヒガンバナ)】【赤】


 その情報は元々、先輩からもたらされたものだった。


「面白いものを見つけたんだ」

 そう言って、大学時代からの先輩であるこうただのりは得意げに笑う。

「また、変なものでも見つけたりしたんですか?」

 それに対して、私……ことしらうたは呆れたように返事を返した。

「そんなこと言うなって。ほら、コレなんだけどな」

 机の上に広げられたのは一冊の雑誌。如何にもな文言で煽られたタイトル部分には、尤も目が付きやすいようにと選ばれた力強いゴシック体が、黒帯の白抜き文字で紙面中央に斜めに配置されている。本文はサイズの小さな明朝体。それらは縦書の三段組みで、見開き頁の右上から左下へと所狭しに配置されており、このレイアウトはいつ見ても読みにくいと感じてしまう。

「これ、他社の雑誌じゃないですか」

 到底読む気にはなれないと。そう目で訴えてはみるが、先輩は「まぁ、良いから。良いから」と答えるだけで一向に折れる気配がない。仕方なしに広げられた紙面へと落とした視線。そこに書かれているものは、何てことは無い。実に信憑性の薄い都市伝説のような話だった。

「で、何です? コレがどうしたって言うんですか?」

 昔から、河野先輩はこう言う話が好きだと言うことは知っていたが、余りにも節操がなさ過ぎではないだろうか。どうせまた嘘っぱち。記事に書かれた内容が本当の事だなんて、どこにも証拠はないのだからと呆れると、「今回ばかりは大丈夫だと思う」なんて、真剣な表情で彼は答える。

「その根拠はどこから……」

「何故ならこの家、結構有名な場所だからな!」

 嗚呼。出た。先輩が嬉嬉としてこう語り始めるときは碌な事が起こらない。早く話が終わって欲しい。そう心の中で願いながら、私はドウゾと手を差し出す。

「実はな……」

 そう言って先輩は静かに語り始める。先輩の口から紡がれるその内容は、矢張り何処かしら信じがたいような不可思議なものだった。


「……というわけで、今度はこの家について特集を組もうかと思ってるってわけ」

 一通り喋り終わったところで、得意げにそう締めくくられる噂話。

「部長に怒られますよ。また下らない企画を上げやがってって」

 耳半分で聞いていた内容など頭の中に半分以下も入って居らず、適当にあしらいながら叩き続けるキーボード。話を聞きながらの作業のせいで、いつも以上にミスタイプが多く思わず舌打ちが出てしまう。

「そう言うなよなぁ。確かに愚痴は言うだろうけどさぁ」

 そこで一度、先輩は言葉を切り部長のデスクへと視線を向ける。会議に出席しているためそこに主の姿はなく、机の上には乱雑に置かれた資料と原稿。立ち上げっぱなしのPCのディスプレイには、幾何学的な図形が変形を繰り返すスクリーンセーバーが表示されてしまっている。

「なんだかんだと一応、ページを割いてくれる辺り、良い上司ではあるよな」

 上司の器量の良さと懐の深さに乾いた笑いが出そうになってしまうのは、目の前の男が言った言葉が冗談などではなく、本当の事だからだった。

 そもそも、この部署で制作している雑誌自体が少々特殊なカテゴリで、一部のマニアが固定で付いているという一般受けしないもの。よくもまぁ、そんな無駄に予算を割けるよなと思いはしても、確かにある需要を満たすためには、実際の物を供給する必要はあるわけで。細々とした発行部数ではあるが、それでも先輩のような酔狂な人間が楽しく仕事の出来る環境として、この部署は存在している。

「少しでも面白そうだと思って入ったのが間違いだったのだわ」

 確かに仕事は面白い。ただ、少しだけ感じてしまうのは申し訳なさ。もっと、有効に予算を使えば良いのになんて野暮なことを考えてしまうのは、自分という人間が意外にも現実主義なタイプだからなのかも知れないと。目の前の先輩を見る度にそんなことを考えてしまう。

「でも、辞めるつもりは無いんだろう? この仕事」

「それはまぁ、無職になるのは怖いですから」

 このやりとりもいつも通り。それから暫くは、先輩の無駄話に付き合わされながら溜まっていた業務を片付けることに集中する。

 先輩の嬉しそうな声が室内に響いたのはそれから数時間後の事だ。予想通り、小言を言われつつも通った企画。承認が下り頁を貰ったことで上機嫌になった先輩は、いそいそとスケジュールを確認し電話をかけ始める。

「いつもながら作業が早いこと」

 思い立ったら即行動。それは昔から貫いている彼の信念らしい。元々フットワークの軽い人だ。興味が湧いたタイミングで行動を起こすことなど当たり前のことなのだろう。それが羨ましいと思う半面、面倒くさいとも感じてしまう。作業が八割ほど片付いたところで手を止め吐き出す溜息。喉の渇きを覚え立ち上がると、物は試しとアンバサダー契約をして導入したバリスタマシンの前まで歩き、決して安くはない嗜好品をカップに注ぐ。ふんわりと香る鼻孔を擽る匂いは、安っぽい市販品よりも少しだけ高級感が漂うもので、どうせあるなら愉しまなければ勿体ないと思えてくるから不思議だ。

「で、締め切りはいつなんです?」

 珍しく湧いた興味。聞く気なんて無かったのに、その言葉は自然と口から出てしまっていた。

「本が出るのが来月だから、逆算して大体……来週末くらいには記事をまとめておくって感じかなぁ?」

 アポイントメントが取れたのだろう。大雑把に見える先輩の手帳は意外と整理されていて、そこに決して綺麗だとは言えない文字で名前と時間が記されていく。

「取材は?」

「一人、一人。カメラも一緒に持って行くわ」

「ふぅん」

 大手の出版社ではないため、作業を兼業すること何て当たり前。今回もそうなのねと思いながら「頑張って下さい」とかけた声。

「ゲラ、上がったらチェックお願いすると思うから」

「うわぁ……勘弁してくださいよぉ……」

 そう言いながらもデスクに戻り卓上カレンダーを手に取ると、大体このくらいと見当を付けた日付に丸をつけてしまう自分に対し、思わず浮かべた苦笑。

「一応チェックはしてあげますから、面白い物を書いて下さいよね!」

 そう言ってやれば、先輩は右の親指を立ててから「任せておけ」と歯を見せながら笑ってみせる。

「期待しないで待ってます」

 それは冗談のつもりで言った言葉。だが、私は今、そう言ったことを別の意味で後悔していた。


 場所としては地図を広げても位置の見当を付けるのが難しいと思えるほどの山間部。テレビ番組で見るように、ネット上で上空写真を眺めながら情報を集めた上で出向いた集落は、立地の条件にしては珍しく人の数が多い村だった。それでも、アクセスは決して宜しいと言えるものでは無いようで。片道何時間も車を走らせやっと辿り着くという感じで気は滅入る。

「白木さん、人使い荒いんですから」

 運転席でハンドルを握りながらぼやきまくる相方に、ゴメンと謝りながら差し入れるペットボトル。

「後でご飯奢ってあげるから」

「約束ですよぉ、もう」

 本来ならば、この場所に訪れるのは河野忠則のはずだった。だが彼は不幸なことに、直前で事故に巻き込まれ入院してしまうことになったのだ。呼び出された病室で、私が彼から一番言われたくない言葉を告げられることになったのが、つい先日の話である。

『何やってるんですか』

 お見舞いの本とラジオを差し入れしながら白い目で見れば、特に悪びれる様子も無い先輩が豪快に笑いながらこう答える。

『いやぁ! 吃驚したわ! まさか巻き込まれるとは思わなかったもんなぁ』

 その事故は決して小さいものではなく、ニュース速報で流れ、数日間は報道されるような内容で。死者こそ出なかったものの、運び込まれた怪我人の数は先輩を含め五人以上は居る。中には緊急手術で一命を取り留めた人も居るのだから、足を一本折るだけで済んだ先輩は相当な幸運の持ち主には違いなかった。

『でもなぁ。お陰で行けなくなっちまったよ』

『何処に?』

『アポ取ったでしょ? 噂のお屋敷』

『ああ』

 言われた言葉に思わず出てしまう溜息。この人は何て脳天気なんだと肩の力が抜けてしまう。自分の怪我や状況を悲観するよりも先に、興味が充たされない事を嘆くのだから、頭のネジが吹っ飛んでいるに違いない。

『お前、顔に出てるぞ』

 隠す必要の無い感情は相手にも直ぐに分かってしまうものらしい。面白く無さそうに先輩が零す愚痴に、手を腰に当てながら威圧的にこう返す。

『今更でしょう? 隠す必要もありませんし』

 それを不満に感じたのだろうか。先輩は子供のように頬を膨らませながら分かりやすく拗ねてみせると、上目遣いで私のことを軽く睨み付けこう言い放った。

『悪いんだけど、白木。お前、ちょっと行ってきてくんねぇ?』

『はぁ!?』

 その言葉は一応、想定はしていた。それでも、面倒臭さが勝り、嫌そうに顔を歪め先輩を睨み付ける。

『嫌ですよ』

『そこを何とか!』

 そこから先は、暫く攻防戦が続いた。私の主張としては、そんな面倒なお使いは御免被りたいと訴えたのだが、先輩の言い分としては、紙面に穴を空けるわけはいかないし、折角アポが取れたんだから、伺わなければ相手に対しても失礼になると。あの手この手で煙に巻かれ、結局は私が折れるまで粘られてしまう。

『もう! 先輩はいつも身勝手です!』

『そう言いながらも、こうやってお願いを聞いてくれる白木チャンのこと、俺好きだよ』

『煩い!!』

 そんなわけで手渡された資料と暫く睨めっこ。で、結局予定された日に目的地に向かうことになってしまった私は、生け贄要員としてカメラマンのあお鹿なおつぐに白羽の矢を立て強制的に巻き込むことに成功した。その結果がこの状況で、今に至ると言うわけだ。

「それにしても、凄い道ですよねぇ」

 同伴者である青鹿がそう言うのも仕方の無い話で。舗装されて居るとは言っても、道幅は車が二台擦れ違うのがやっとと言うほど細い。片側は剥き出しの岩肌、片側は崖という山道は、ガードレールが申し訳程度にくっついているだけのスリリングなものだった。

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