第21話 現世竈食ひ(うつしよへぐい)

「それではレークシア様、王都でお待ちしておりますわ」


 玄関前でアリスさんの言葉に頷きを返す。

 かたわらに居るアポロン君と母親のヴァネッサさんも旅装を整えている。

 親子揃って馬で駆けて行くそうだ。

 二人から楽しそうな雰囲気を感じる。


 王太子が居るから大名行列並みに物々しいのかと思ったがそうでもないみたいだ。

 馬車も意匠が凝ってたりもせず必要最低限という数だ。

 もしかしてお忍びだったのかな。


 ルイス殿下からも挨拶を受けアリスさんと同じ馬車に乗り込むのを見届ける。

 御者の合図で馬がいななき一行が出発していった。


「では私も失礼します」


 残っている辺境伯とユーノさんに向かって言う。


「ぜひまたお越しください。当家はいつでも歓迎いたします」

「レークシア様、本当にありがとうございました」


 ユーノさんはすっかり元気になっている。

 仲睦なかむつまじい夫婦みたいだしヴァネッサさんが王都へ行ったのは二人の時間を作ってあげるためでもあるのかな。


「コレットさんのことは頼みましたよ」

「お任せください」


 声を抑えて手短に言う。

 彼女とはあれから会っていない。

 昨日は聞き取りをする予定だったはずだが今日も姿が見当たらない。

 聞き取りが長引いているのだろうか。


「コレットなら今朝早くに孤児院に向かったそうですよ」


 周りの使用人たちを見渡していたらユーノさんが教えてくれた。

 私が不在の間はユーノさんの侍女として仕えることになったそうだ。


「しかしレークシア様のお見送りに来ないとは何かあったのか? 護衛をつけているから大事ないとは思うが……ん?」


 辺境伯が言葉を切って一点を見つめ出した。

 その視線を辿ると正門から走ってくるコレットさんが見えた。


「レークシア様!」


 目の前で止まり息を切らしながら私の名前を呼ぶ。

 後ろから追って来た護衛らしき人も息を整えている。


「コレット……そのような格好で失礼だろう」

「申し訳ありません。久しぶりに子どもたちと会ったら遊び倒されてしまいまして……」


 コレットさんの服はところどころ汚れている。

 彼女の言葉通り子どもたちにやられたのだろう。

 たぶん護衛の人も同じだな。少しやつれて見える。


「あなた、いい機会ですよ」

「そうだな、みな聞いてくれ。知っての通りレークシア様はヤヌスアトラス様と同じ龍神であらせられる。そのレークシア様がコレットをご自身の侍女として任命なされた」


 辺境伯の言葉に使用人一同が騒然となり視線がコレットさんに注がれる。


「レークシア様のご希望でコレットは今後も当家に勤めることになります。しかしその身は龍神様のものです。今まで通り仲良くしつつもそれを忘れないように」


 ユーノさんが言葉を引き継ぎそう締めくくった。

 これで彼女の心配はしなくて大丈夫だろう。

 そう思いコレットさんを見るといつものおどおどした雰囲気はなく、何かを決意したような顔つきになっていた。


「レークシア様……私、コレット・クウルは、生涯を貴方あなた様に捧げ、この身が尽きるまでお仕えすることを誓います」


 スッと綺麗な所作でひざまずいたかと思うといきなりそんなことを言い出した。


「忠誠を誓う作法です。手を差し伸べてください」


 驚いて固まっていたらユーノさんに囁かれた。

 逡巡しゅんじゅんしてしまうがここで拒否したらコレットさんの立場が無くなってしまう。

 そう思い私は右手を差し出した。


永遠とわの忠誠を」


 コレットさんが私の右手をそっと掴み自身のひたいに押し当てる。

 彼女の人生を背負わなくてはと思うと振り解きたくなってしまう。


「コレット・クウルの忠誠、アズラス・レイ・フェブルスがしかと見届けた」


 その言葉を皮切りに私と彼女を称賛するような拍手がパチパチと起こる。


「突然申し訳ありません。居ても立っても居られなくて……」


 私の手を離したコレットさんに小さな声で謝られる。

 まったく……私なんかに忠誠を誓わないでほしい。

 魂を消す方法が見つかれば早々に死ぬつもりなのに。


 感触が残る右手を握りながらそんなことを思う。


「では私はこれで……」


 彼女の顔を一瞥いちべつもせずに体を魔法で浮かび上がらせる。

 背丈ほどの高さまで浮かぶと歓声のようなどよめきが広がり拍手が激しくなっていった。


 ……やめてくれ。


 透明化の魔法も発動させ私は逃げ出すように飛び去った。






 ◇






「だー」

「……」

「あー」

「……」


 ──どうしてこうなった。


 辺境伯の館から逃げ出した私は無心になって空を飛びあるところへ向かった。

 そう、あの子がいる村へと。


 元々そのつもりで王都行きには同行しなかったのだがまさかこうなるとは思わなかった……。


「いやー、クシャナが来てくれて助かったよ」

「本当ね。この子ったら起きてる間はずっと泣いてるから困ってたのよ」


 そう口にするのは私の両親……父と母だ。

 なぜかこの人たちは私のことをクシャナと呼ぶ。


「そんなに泣く子には見えませんけど……」

「今だけよ! クシャナちゃんが来たらピタッと泣き止んだんだから」


 不思議よねー、と呟きながら私の腕の中にいるあの子……ディアナのことを優しく突っついている。

 とうのディアナも私の顔に手を伸ばしている。

 どうやら目隠しが気になるようだ。


 さっき上空で父に見つかったときも目のことを心配された。

 めっちゃ心配されたので思わず「しゅ、趣味です……」と答えてしまった。

 きっと父の中では痛い子になってる。


「ほらディアナ、お姉ちゃんが困ってるだろう」

「びえええええええ!」


 父が私の腕からあの子を抱き上げるとすごい声で泣き始めた。

 赤ちゃんってこんなに泣くのか……。


「よーしよし、泣かないでー」

「ほらお母さんもいるわよー」

「ぎゃああああああ!」


 二人して泣き止まそうとするがさらにすごいことになっている。

 ときどき魔力線を通じて遠隔治癒魔法をかけてるので病気や怪我ではないはずだ。

 ……大丈夫だよね?


「クシャナ〜、助けて〜」


 父が情けない声で私に助けを求めてくる。

 助けたいのは山々だがどうすればいいんだ。

 そう思いながらも差し出されたディアナを受け取り抱いてみる。


「うー」

「……泣き止んだね」

「……ほんとね」


 あやしたりもしてないのに急に泣き声がおさまった。

 まだ少しぐずついているがさっきより格段に良くなっている。

 なぜだ。


「クシャナ、今日は泊まってかない? というか泊まってね」

「え?」

「今日だけと言わずしばらく居てね?」

「え?」


 疑問に思っていたら父と母に笑顔でそう言われた。

 表情とは裏腹に絶対に逃がさないという意思を感じる。


「だー」

「ほら、ディアナもそう言ってるよ?」


 どう言ってるんだ。

 赤語はわからぬ。


 内心でそうツッコむが私の服を掴んで離さない姿はそう言ってるとしか思えなかった。


「……少しの間なら」


 気づけば小さな声でそう呟いていた。

 すぐにしまったと思うが二人にはしっかりと聞かれていた。


「決まりだね。じゃあ今夜はご馳走だ。獲物えものを捕ってくるよ」

「ふふ、いってらっしゃい」


 ささっと支度をして父が出て行った。

 あの人いつもあんな感じなのだろうか。

 さっきだって急に……。


 扉をぼーっと見つめていると母が優しい声で話しかけてきた。


「急にごめんなさいね。ゼルテスってばいつも動き回ってるの」

「だー」

「そうねー、さっきはびっくりしたわ。いきなりクシャナちゃんを抱えて来るんだもの」


 ディアナを構いつつそんなことを言う。

 びっくりしたのは私も同じだ。

 空から様子を確認しようとしたらすぐに現れてあれよこれよと小脇に抱えられ家に連れ込まれた。

 なんでバレたのかわからん。

 王太子から貰った指輪壊れてるんじゃないかな……。


「でも本当に助かったわ。この子のこんな顔を見たのはいつぶりかしら」

「キャッキャキャッキャ」


 私の腕の中を覗き込み母が満面の笑みになる。

 ……その表情は前に見たことがある。

 あのときも今みたいに幸せそうな顔で……って私の髪がー!


「こらディアナ! お姉ちゃんの髪を食べるのはやめなさい!」

「んばー」


 私のひかるさらさらヘアーが……ベトベトに……。

 何気に自慢だった髪を汚されてしまい感傷に浸っている場合ではなくなった。


「ごめんなさいね、こんなに綺麗な髪なのに。すぐにお風呂を沸かすから!」

「え、いえだいじょう……ぶ」


 最後まで言い切る前にピューと姿を消していった。

 父より速いんじゃないか……?


「ばー」


 部屋に残されたのは私とこの子だけだ。

 そう、私たち双子だけ……ベトベトの。

 あなた口周りがきちゃないですよ。


「げんき、だった……?」

「だー」

「そうですか」


 いやそうですかってなんだ。

 意味わからん。

 尻込みしながら話しかけた結果がこれって。


 やはり赤語はわからぬと首を振る。

 しかし私の口元には笑みが溢れていた。


 ……とりあえず治癒魔法をかけておこう。心配だし。


『癒しを』


 ディアナに手をかざして癒しの魔法を発動する。

 前回のユーノさんのときは見栄えが悪かったので今回は光を照らしてみた。


「おーーーー!!」


 いきなり奇声が響きビクッとしてしまう。

 何事かと思ったが声の正体はディアナだった。


「どうしたの!?」

「……魔法を使ってみたらこんなことに」


 戻ってきた母の目には興奮する赤子が映っている。

 手足をバタつかせながら私の光る手に触ろうと必死だ。


「そういえばクシャナちゃんは魔法が得意なんだってね。ゼルテスがすごいって褒めてたわ」

「おーーーー!!」


 魔法が得意といってもほとんどは魔力のゴリ押しだ。あまり誇れるものでもない。

 というかこの赤ん坊をどうにかしてくれ。


「そうだわ。よければ魔法でお風呂を沸かしてくれない? 普段はゼルテスがしてくれるから困ってたの」

「わ、わかりましたからこの子を……」

「助かるわ。ほらディアナー、ちょっとお姉ちゃんから離れましょうねー」


 母がディアナを引き取って私に平穏が訪れる。

 また泣き出さないか心配したが興奮の方が勝るようだ。

 今も私に手を伸ばしている。


「お風呂場はこっちよ。一緒に入っちゃいましょう」

「はい……え?」


 いや今一緒に入るとか聞こえたんだが……。

 聞き間違いだよね?


「クシャナちゃんがいればゆっくり入れそうだわ。ディアナの泣き声が気になってリラックスできなかったの。それにこの子お風呂では暴れるからちゃんと洗えてなかったのよね」

「……」


 そう言われると断りづらい。

 まあお風呂はアポロン君とも入ったしな。

 母は気づいてないとはいえ親子なんだしいいだろう。

 そういうことにしておこう。


「ほら、クシャナちゃんも脱いじゃって」

「え……あ……」


 気づいたら脱衣所にいて目の前にメロンが二つあった。

 大きい……いや、私の方が少し勝ってる。

 って何を張り合っているんだ。


「ディアナの準備もできたわよー。はいクシャナちゃんも」

「あ!?」


 すっぽんぽんになった母に服を脱がされる。

 こっちの人は帯とか締めてないのになぜか手際がいい。


「あら? これ……」


 そう呟いた母の手には私の首に下げられている小袋……森に捨てられたときに祖父が置いていったそれが握られていた。


「これ、私が昔お父さんにあげた袋にそっくり。これも消臭袋?」

「消臭袋、ですか?」

「そう、においを消す薬草を入れておく袋。これを身につけておけば魔物に気づかれにくくなるの。森に入る人の必需品よ」

「……」

「中見てもいい?」


 胸に様々な想いが浮かぶなか、私は母の問いに頷いていた。


「乾燥しててもう効果はなさそうね。ちゃんと交換しないとだめよ?」

「……」

「どうかした?」

「……貰い物なんです。これ」


 私は今どんな顔をしているのだろう。

 わからないけど目隠しをしててよかった。


「そう……。きっとその人もクシャナちゃんの無事を願って渡したのね。私もお父さんのときそうだったわ」

「だー」

「あ、ごめんねー、いい子で待てたねー。さっ、こんな格好じゃ風邪ひいちゃうわよ」


 その後は三人でゆっくりお風呂に入った。

 ディアナも暴れることなく楽しそうにおけのお湯を堪能していた。

 私の長い髪を洗うのを母が手伝ってくれたりもした。

 きっと胸が温かいのはお風呂が温かいからだ。


「レティ、お風呂かい?」

「そうよー、仲良く三人でねー」

「クシャナも? じゃあ下拵したごしらえしてるからごゆっくりー」


 脱衣所の方から父の声が響く。

 狩りに行くと言ってたからもっと時間がかかるのかと思っていた。


「そろそろあがりましょうか。ディアナも寝ちゃいそうだし」


 チラッと視線を向けるとたしかに船を漕いでいた。

 眠いからか母が抱いても泣くことなく体を任せている。


「魔法で乾かします」


 タオルを取った母にそう言って体についた水滴を乾かす魔法を発動させた。

 ディアナを起こさないために視覚的な効果はつけていない。


「わ、すごいわね。お風呂も一瞬で沸かしちゃうし本当に便利ね。ありがとうクシャナちゃん」

「いえそんな」

「でも次は私に拭かせてね? クシャナちゃんの髪を拭くの楽しみだったんだから」

「……次はそうします」


 私の髪を母が優しく撫でてくる。

 顔が赤くなるがきっとお風呂でのぼせたんだな。うん。

 早く服を着て戻ろう。


「あれ? 早かったね?」

「クシャナちゃんの魔法のおかげよ! ディアナも大人しかったし頭が上がらないわ」

「はは、クシャナ様様さまさまだね」

「本当よ。あ、あとは私がやっておくからお風呂入ってきたら?」

「助かるよ。解体してきたから血生臭くてね。クシャナ、ありがとね」


 私に手を振って父がお風呂場へと向かっていった。

 手持ち無沙汰になりリビングにポツンとたたずんでしまう。


「じゃあディアナのことお願いね。私はお料理してるから」

「え、私一人でですか?」

「クシャナちゃんなら大丈夫よ。ディアナと一緒に寝ててもいいわよ?」


 そう言い残して母が部屋から出ていった。

 また私たち双子だけだ。

 なにかあったらどうしようと心配になるが、とうのディアナは気持ちよさそうに眠っていた。

 まったく……人の気も知らないで。


 そう思いながらもディアナの隣で横になり、そっとお腹に手を置いてみる。

 優しくポンポンと一定のリズムをとっていると、いつの間にか私はに眠っていた。





「クシャナちゃん、起きて。ごはんよ」

「うーん……」


 囁くような優しい声に重いまぶたがゆっくりと開く。

 いつもなら起きようと思ったらパッと目が覚めるがなぜかうまくいかない。


 ……あれ? 私魔法で眠ってない?


 その事実に気づいたとたんバッと体を起こす。

 ……結界が消えてる。


「静かにね? ディアナが起きちゃうから」


 その言葉に反応してかたわらを見る。

 そこにはディアナが寝ている姿があった。


 妙な安心感に包まれていると息が漏れたような笑いが聞こえた。

 視線を向けると母がいて目線が合う。

 艶やかな黒髪に私とディアナと同じような青い瞳をしている。


 長いようで短い時間をそうして見つめ合っていると母が微笑みながら口を開いた。


「ディアナとそっくりな目ね。綺麗なんだから目隠ししなくてもいいんじゃない?」

「え?」


 顔からパサりと何かが落ちる。

 手に取ってみると私がしていた目隠しだった。


 結界の魔法も、透視の魔法も、そして龍脈の接続も……眠ってしまい全てが解除された私がそこにいた。


「あ、クシャナ起きた? シチューよそっちゃうよ」


 そう言いながら鍋を持った父が現れる。

 ヨイショ、と呟きながらテーブルに鍋を置き、その蓋が開けられた。

 モワッと湯気がたちこめたかと思うと豊かな匂いが広がり鼻腔びくうを刺激する。


「ゼルテスが捕ってきたウサギを煮込んだの。絶品よ」


 立ち上がった母に手を差し伸べられる。

 私なんかがその手を握っていいのかと悩むが、体は勝手に動いていてその手を掴んでいた。


そのままテーブルに連れられると目の前に美味しそうなシチューが置かれる。


「それじゃあいただきますか」

「はーい、いっぱい食べてねー」

「……いただきます」


 ──その日、私はこの世界に生まれてからはじめての食事をした。

 父と母の手によって作られたそれはとても美味しく、どこか自分が受け入れられたような感覚がした。


 魂を消滅させるという目的は変わらない。

 でも……もう少し周りに目を向けよう。


 食卓を囲みながらそんなことを思った──。


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