第16話 閑話 アリス・レイ・フェブルス 

 わたくしの名はアリス・レイ・フェブルス。

 フェブルス辺境伯家の長女です。

 厳密に言えば侯爵家ですが長年この地を守ってきた誇りから辺境伯を名乗り、周囲からもそう呼ばれています。


 そんな我が家では今日は久しぶりに家族全員で食卓を囲んでおります。

 これもレークシア様がお母様を治してくれたおかげですね。


「こうしてみなで食事をするのも久しぶりだな」

「そうですね。レークシア様には感謝しかありません」


 お父様とお母様が笑いながら話しています。

 レークシア様にお会いしてからというものあのお方の話ばかりしています。

 かくいうわたくしもそうですが。


「それで勉強の方はどうなのだ?」


 お父様がわたくしに話しかけてきました。

 誰について聞きたいのかは言わなくてもわかります。

 レークシア様にはまだ数時間しか教えておりませんがすごい勢いで言葉を覚えていってわたくしも驚きました。


「順調すぎるくらい進んでおりますわ。一度教えた事はすぐに覚えてくださるので予定より早く終わりそうです」

「そうか、さすが龍神様というべきか……」


 龍神様……この国では文字通り神として崇められている存在です。

 そのむかし建国王がこの地へ来た時に黒きドラゴンが助けてくださったので敬意を込めてそう呼んでいます。

 そのころはこの地のほとんどを魔の森が覆っていたそうですが、龍神様が森を切り開くことを認めてくださりファスティス王国は繁栄することができました。

 ですのでこの国では各地に龍神様を祀る寺社が建っておりますの。

 貴族の名前にレイをつけるのも龍神様への敬意を表している証です。


「……はぁ、またあのお姿を拝見したいですわ」

「はっは、またそれか。アリスがそこまで言うのだからさぞ美しいのだろうな」


 初めてお会いしたときのレークシア様を思い浮かべていたら口に出してしまったようです……。

 でもあのドラゴンのお姿は本当に綺麗でした。

 白銀に煌めく美しい鱗、灰のような色も混ざっておりましたがそれがより深みをもたらしており美麗という言葉がぴったりです。

 それでいて威厳も感じさせるまさに龍神と称するべきお姿でした。


「ふふ、武芸ばかりで芸術品には目もくれないあのアリスがね」


 恍惚という表情をしていたらお母様に笑われてしまいました。

 たしかにおっしゃる通りですがお母様だってきっとこうなりますわ。


 魔の森の奥に生息するはずのグレーターウルフの群れに襲われ命を失うところだったのです。

 そんなところにレークシア様が現れ一瞬で狼たちの命を散らしわたくしたちを救ってくださいました。

 あのときは気が動転してなにを言ったのかもよく覚えていません。

 龍神様は黒きドラゴンだと伝えられておりましたがそれは間違いだと思ったことは覚えています。

 実際レークシア様も龍神様だと判明いたしましたが。


「早馬で知らせが来たときは驚いたぞ。まさか龍神様とまみえあまつさえ対話までするとは」


 わたくしも驚きました。

 最初こそ殺されるのかと思いましたが頭に響く綺麗な声に耳を傾ければそんな思いも吹き飛んでしまいます。

 そして怪我の治療をしてくださるというお言葉の通りわたくしたちを癒してくださりました。

 周囲一帯を覆う荘厳な魔力に心も体も震えたのを今でも思い出します。

 その魔力が狼たちの首を刈り取った時には畏怖しましたが。


 けれどレークシア様が人間の姿へと変わりまたしてもその美しさに圧倒されます。

 まるで女神様がご降臨されたのかと思いその場に居た全員が我を忘れて見つめてしまいました。

 あのお優しい微笑みを見れば誰でもそうなります。

 叶うならばこのお方にお仕えしたいとも思いましたわ。


 そのあとの村での様子を見ていたらより一層その想いが強くなりました。

 あの不安そうに怯える表情、ちょっとだけ泣いているようにも見えるあのお姿にキュンとしてしまいました。

 これがギャップ萌えというものでしょうか……。

 あれだけのお力を有していながらわたくしたちと同じような感情も持ち合わせており安心した部分もあります。


 そうしてレークシア様との繋がりをなんとしても維持すべく行動しましたがこうして我が家でお迎えでき本当に良かったです。


「失礼いたします」

「おおセバス、レークシア様のご様子はどうだ?」

「今しがたメイド候補をお連れしたところです。コレットとスカーレットが会話できることが判明いたしましたので交代してまいりました」


 コレットは孤児だったところを引き取りメイドになった子ですね。正確な年齢はわかりませんがわたくしと近しいのでよくお話をします。

 スカーレットはフェブルス領の一地区を任せられている貴族の娘です。そのため主従関係を重んじているのか少し距離を感じることもあります。

 二人とも優秀なので大丈夫でしょう。


「あの二人なら十分にレークシア様のお役にたてますわ」

「私もそう思います」


 ヴァネッサ様に視線を向けたら賛同してくれました。

 以前は家のことはお母様が取り仕切っておられましたが体調を悪くしてからはヴァネッサ様とわたくしで補助しておりますの。


「アリスもヴァネッサもありがとう。これからはわたくしも動きますね」

「もったいないお言葉です。しかしご無理はなさらないでください」

「わかっているわ。でも今まであなたには苦労をかけたわね。ヴァネッサは家のことなんかより外の方がいいでしょう?」

「それはそうですが……」

「ふふ、まだ体は衰えてないかしら? 今度アポロンと遠乗りにでも行ってあげなさい」


 ヴァネッサ様はもともと冒険者として活動していたため体を動かす方が好きなようです。

 お母様が毒に倒れたときはご自身の命で償おうとまでしましたが、その忠誠心を見込まれて第二夫人となりました。

 自分より弱い男とは結婚しないと常々言っておりましたのでいい結果になったのでしょう。

 実際ご両親にはいたく感謝されたと聞いております。本人も今が幸せとおっしゃっておりましたし。


「母上、ぜひ行きましょう!」

「アポロンったら……わかったわ。でもついて来れるかしら?」


 アポロンもヴァネッサ様も嬉しそうでなによりです。

 今までアポロンにも苦労をかけてしまったので親子で楽しんでほしいですね。

 本当にレークシア様には感謝してもしきれないです。

 ……そういえば。


「そういえばアポロンはいつの間にレークシア様と仲良くなられましたの?」


 そうアポロンに問いかけるとみるみるうちに顔が赤くなっていきます。

 どうしたのかしら? なにか変なものでも食べ……もしかして毒!?


「大丈夫アポロン!?」


 お母様も同じ考えに行き着いたのか慌てております。

 その様子に皆が気づき場が騒然となりました。


「だ、大丈夫です! 毒ではありません!」


 アポロンの一言により落ち着きを取り戻していきます。

 でもまだ顔は赤いままです。

 本当に大丈夫かしら?


「本当に大丈夫か? 体調が悪いなら医者を呼ぶが……」

「本当に大丈夫です。ちょっと思い出していただけと言いますか……」

「思い出す? 何かあったのか?」


 お父様が問いかけますがアポロンは言い淀んで答えません。

 ……レークシア様と何かあったのかしら。

 先ほどは弟のようだとはおっしゃっておりましたが。

 そうだわ、セバスなら何か知ってそうだわ。


「セバスは何か知っておりまして?」

「……なんと申せばよいのか。わたくしめはフェブルス家にお仕えしておりますがレークシア様の事をみだりに話すのはいかがなものかと」


 確かにセバスの言う通りですね。

 普通のお客様ならばいざ知らず相手は龍神様であるレークシア様です。

 あの方が否やとおっしゃればそれに従うのが道理です。

 たとえ王族が相手でも我が家……いえわたくしは抗います。


 そう決意を固めているとアポロンが小さな声で呟きました。


「その、レークシア様は少々スキンシップが激しいのです……」

「スキンシップ? レークシア様に気に入られたのならばよいではないか」


 お父様のおっしゃる通りです。

 スキンシップが激しいなどむしろ羨ましいくらいですわ。

 わたくしだってもっと抱かれて頭を撫でて欲しいですのに。

 叶うならばアポロンと代わりたいですね。

 ……あぁ、もう一度ネコになったレークシア様を吸いたいです。


「旦那様、事はそう単純ではないかもしれません」

「ん? どういうことだ?」

「……もしかするとですが、レークシア様は異性としてアポロン様を見ているやもしれません」


 異性として?

 それってつまり恋人とか結婚相手……いえ、レークシア様はドラゴンですしつがいという方が正確なのでしょうか。

 それにアポロンが選ばれたと?


「……それは本当か?」

「あくまで可能性です」


 お父様とセバスの視線がアポロンへと移ります。

 皆の視線に晒されるなかアポロンが口を開きました。


「それはないと思います」

「なぜそう言い切れるのだ?」

「お、お答えできません。レークシア様がおっしゃらない限り僕からは言えません」


 レークシア様に口止めされているのでしょうか。

 それならば無理に聞くことはできませんね。

 気になりますが仕方ないでしょう。


 ……それにあれだけ強い口調で言うのですから異性として見ているというのも間違いです。きっとそうですわ。

 け、決して嫉妬なんてしていません!


「そうか……もし本当にレークシア様に選ばれたのならば自分の気持ちを優先しなさい。家のことは気にしなくてもよい」

「……わかりました」

「うむ。さあ食事が冷めてしまうぞ」


 お父様の号令で食事を再開します。

 本当はレークシア様と共にしたいですがかたくなに拒んでいるようなので無理強いはできません。

 歓待しようとすると拒否されますが何か理由があるのでしょうか。

 思い返せば夜の砦でお話をした時もどこか陰のあるご様子でした……。


「結婚といえばアリスはどうなの?」

「ごほっごほっ」


 お母様がいきなり聞いてきたせいで咽せてしまいました。


「そういえばゼルテスと会ったらしいじゃないか。なんでも子どもが産まれると聞いたぞ」

「あらそうなの? おめでたいわね。何かお祝いの品を贈らなきゃ」

「ゼルテスの家には迷惑をかけてしまったし良い品を贈ろう」


 咽せている間にゼルテスの話に変わってますわね。

 このまま話が流れますように……。


「それでアリスはどうなの?」


 流れませんでしたわ!

 うー、こうなったら話を逸らすしかありません!


わたくしのことよりアポロンですわ。次期領主なのですから相手は慎重に選ばなければなりません。そうですわ! ゼルテスの子が女の子でしたら婚約者に据えるのはいかがでしょう?」

「ふむ、ゼルテスの子か……たしかに悪くないな」

「そうでしょう! アポロンもまだ八歳ですしいいのではないですか?」


 そう言いながらアポロンを見ます。

 男性は若い女性の方が好ましいようですしきっといいですわ。

 そうすればレークシア様はわたくしがお世話できます!


「……僕は年上の方が、いえなんでもないです」


 アポロンがなにか言ったようですが声が小さくよく聞こえませんでした。

 よくよく考えたらまだ八歳ですし色恋ごとは早いですかね。

 貴族だと婚約はありふれていますが我が家は基本的に自由恋愛を重んじていますし。


「はぁ、アリスもヴァネッサみたいに言ってないで早く相手を見つけなさい」

わたくしはただお父様より強い人と言っているだけですわ!」

「はっはっは! パパは誰にも負けないぞ!」

「余計にハードルが高いじゃない……」


 お父様より弱い人など恋愛対象になりえませんわ!


 ゼルテスなら良い勝負をするでしょうが素敵な奥様と出会ったようですし、あとは第一王子ぐらいですかね。

 でも王子はすでに婚約者もいらっしゃるのでわたくしに話がくることはないでしょう。

 それにわたくしは今年で十七歳、行き遅れといわれてもいい年齢です。

 この歳ではよい婚約話がくることは滅多にありません。


 ……そうですわ。わたくしの人生はきっとレークシア様に捧げるためにあるのですわ。


「決めました。わたくしはレークシア様に生涯お仕えいたします!」


 椅子から立ち上がりそう宣言します。

 これは絶対ですわ!


「結婚してもお仕えできるでしょう。それにレークシア様はわたくしたちより長く生きるのですから子どもに託せるようにした方がいいのではなくて?」


 たしかにそうですわ!

 どうしましょう……誰かいい人はいないかしら……。


 結局その日の食事はいつもより時間がかかりました。

 ですがいつにも増して楽しい時間でしたわ。

 ……今ごろレークシア様は何をしていらっしゃるのかしら?

 この地で過ごされる間はぜひ楽しんでいって欲しいですわね。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る