第66話 女と魔女、男と魔女
カクヨムコンがはじまって一週間。もう既定の文字数は達成しているので、ちょくちょく手直しをする以外、穏やかな毎日を過ごしています……というわけにいかないのが、カクヨム作家の悲しい
さて、カクヨムコンにはみなさんの力作が投稿され、なんとかフォロワーさんのは読もうと頑張っているところです。時間がない~。そのカクヨムコン参加作の中で興味を惹かれる作品があるんですよね。久里琳さんの『魔女たちのレッスン、楽園のエチカ』と夏緒さんの『球根になった魔女』です。わかりますよね、どちらも「魔女」小説なんです。
それぞれの小説がどんな物語なのかは、みなさんそれぞれ読んでもらうとして、わたしはふたつの小説を読んで「魔女」について書きたくなりました。魔女って魅力的ですよねー。
物語のなかで魔女はいろんな形で現れます。いちばん分かりやすいのは「魔法少女もの」のマンガやアニメ。「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」にはじまり、「セーラームーン」、「プリキュア」まで日本アニメには女の子が変身するという魔女っ子の系譜がある。こうしたマンガやアニメを好んで見るのは女の子なので、日本の女性の中には「魔女=こうありたい自分」って刷り込みが少なからずあるのではないかと私は考えました。『魔女たちのレッスン』のエリー、『球根になった魔女』のドーリーのどちらにも、そういう自己投影を感じるんですよねー。
対して男性の描く魔女は、ぜんぜん違うんですよ。男であるわたしも魔女っぽいキャラクターを書くことがありますが、それはおおむね「ファム・ファタール(運命の女)」っていう形を取りますね。それにかかわることによって、男の運命を変えてしまう女――ってやつです。書き手とは重ならない。昔話でいうと、「浦島太郎」の乙姫とか、鶴の恩返しの鶴とか、雪女とかね。これらは語り手からも、聞き手からも圧倒的に他者じゃないですか。男の描く魔女ですよね。しょせん男性にとって魔女はどんなに深く関わっても他人なんでしょう。
振り返って『魔女たちのレッスン』のエリー、『球根になった魔女』のドーリーを見てみます。どちらも年齢不詳でいつまでも外見が若くて綺麗なんですよ。書き手の願望が魔女に投影されるのかなあ、老婆はイヤなんだ……と思って読むと、小説を読むのがすごく楽しいですよね。。。
あ、もちろん内容もめちゃおもしろいですよ、ネタバレしたらいけないので書きませんが、ぜひ一読してみてください。
『魔女たちのレッスン、楽園のエチカ』
https://kakuyomu.jp/works/16816700426426322846
『球根になった魔女』
https://kakuyomu.jp/works/16816700427702003784
久里琳さん、夏緒さん、エッセイに御作を引用させていただくこと快諾してくださってありがとうございました。え、内容が思ってたのとちがう? ま、藤光のすることなんで、大目に見てください。だめ?
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