第2話 正しい(?)小説の読み方

「結局なにがいいたいわけ?」

 と小説を読んだ人から聞かれたところで、それが「説明」できるくらいなら小説という形に書いたりしないんですよ、わかります?


 マンガでも映画でもそうなんですけど、話し言葉や短い文章で説明できない衝動があるから小説という物語の形をとって読んでもらうわけ。むしろ、ひとことで説明できるような事柄や感情は、小説にする必要がないの。


 その小説の内容を知りたかったら「なにがいいたいのかな」と聞くのじゃなくて、とりあえず読む。それを読んでわからないということは、説明してもらっても(説明してもらえるとして)、結局は理解できない。


 小説を書こうと思いついた段階で、書き手は「説明」だけでは表現できないものをその内側に抱えはじめたということだ。そういう人たちに小説の内容を説明しろというのは、トンチンカンも甚だしいと言えるだろう。


 ある小説を読んで「わからない」と感じて、それが不満であるなら読み手自身がリテラシーを上げるしかない。決して書き手の罪ではない。持って生まれた才能を底上げすることは難しいけれど、リテラシーは上げることができる。勉強すればいいんだ、みんな嫌いだろうけれど。それがいやなら、そっとページを閉じればいい。それだけだ。





 じぶんで書いていて、なるほどと思いながら書きました。

 最近「つまんねーなー」って感じる小説が増えたんですよ。小難しい純文学はもちろん、エンタメも、ラノベ、Web小説も。

 でも、じぶんで書いていて分かったのですが、小説を書きはじめたことで、頭がカタくなってきているんじゃないかと思うんです。「これがいい文章だ」とか「これがおもしろい小説だ」とか。じぶんの尺度にあてはめて小説を批評してる?


 ラノベでも、純文でも、書き手と同じ目線で読むというか、同じ土俵に乗るというか、作品をみる水準を合わせないと作品の「いいたいこと」って見えてこないだなーと思いました。正直、ラノベは卒業したと馬鹿にしてましたが、馬鹿にして見ているとぜったいにその作品の本質は見えてこないですよね。リテラシーを欠いている状態なわけ。おもしろいわけがない。


 書き手が一所懸命、心を込めて書いたものがおもしろくないと感じられたとしたら、それは書き手の問題ではなく、読み手の問題ですよね。……勉強しよっと。

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