第21話 湯浴み処でのひととき

「突然大きな声出してどしたのきくりん?」

 何食わぬ顔をして茶梅は菊理へと向いた。

 真っ赤な顔で抗議を示している菊理の胸元は少し開いてしまっており、中の下着が僅かに見えてしまっている。

 突然の大声だったので、当然真糸の視線もそちらにいってしまう。


「あ、あ、あ……」

 声にならず、それ以上の抗議が出来なくなる。

 動きも止まってしまったために、茶梅はさりげなく菊理の胸元を元に戻してあげていた。


「どうやら、元気になったようですね。遅くなってはいけませんし、自分はそろそろ部屋に戻りますね。」


 先程の茶梅の質問は華麗にスルーした。

 正直真糸も恥ずかしかった。返答をどうすれば良いものか困っていた。

 直ぐに菊理のツッコミがなければ、言葉に詰まって赤面していたのは真糸だっただろう。


「それでは、湯冷めしないうちにお休みになってください。」


 後から話すようになったというのに、真糸は茶梅とは大分砕けた口調だったのにも関わらず、菊理とはぎこちない喋り方となってしまう。

 これで意識していないとは言わせないというのが茶梅の思うところだろう。

 下手こいて失敗したくないという面が見て取れていた。


「おやすみなさい。」

 会釈をして真糸はその場から立ち去る。


「あ……」

 菊理は真糸の浴衣を掴もうとして空を切った。


「もう、馬鹿だね。二人共……」

 これ以上のシチュエーションはないってのにと、心の中で続けていた。 


「やっぱり気になるの?あぁ、ここは下手に隠したり誤魔化したりしなくて良いのよ?私しかいないんだし。」


 小さく頷いたのは菊理。声に出すのは恥ずかしいようだった。


「この出張は本当にイレギュラーだったけど、良いチャンスではあったよね。咲真さんは明日も仕事みたいだから直接会うとすればチェックアウト前じゃないかな。結婚式の事があるからこの一泊に関してはご飯は部屋食だと思うし。」


 菊理はのぼせてしまった事と、その後の起き上がるタイミングを誤った事に後悔していた。

 そして後悔という感情が自覚出来た事で、同時に本当に異性として気になってしまっている事にも自覚する。


「吊り橋効果ってわけじゃないんだよね?」

 茶梅は菊理に問う。しつこいナンパから身を呈して守ってくれた事は、吊り橋効果で好感を上げたと言えなくはない。

 しかし菊理はそれを、吊り橋効果を否定する。


「確かにあれはドキっとするものがあったけれど、それだけでこんなに埋まったりはしない……よ。」

 話し方が身内だけの砕けたものとなっていた。


「言葉だけでは表せないけど、どこか安心するんだもん。芸能人風に言えばビビビと来たと言うか。」


「もんって……まぁいいけどね。」



「もちろんあの時の事も助かったし優しかったし、店に来る時は丁寧だし、ゆうえんちではちょっとだけいじわるだったけどやっぱり優しかったり気遣ってくれたり……」

「信用、信頼というのもあるけど、横にいた時、店とか面と向かった時、安心してるの。」

「不思議なのはわかってるんだけど、男性が苦手だってのが嘘みたいに、ま……咲真さんで占められてる、と思う。」


 真糸と名前を呼びそうになり言い直した。それだけでもかなり深い意識に真糸が存在している事がわかる。

 わかるからこそ、自覚となって羞恥を呼ぶ。


「じゃなければ、さっきの露天風呂で失神してるよ。湯浴み着を着ているとはいえ裸見られてるんだし、完全ではないけれど見てしまってるわけだし。」


 違う意味で失神しそうだったけどねとは茶梅も茶々を入れない。


 先程菊理は真糸の全裸を見たわけではない。角度の問題や湯気の問題等もあり下半身までは見えていない。

 上半身……胸板などは見えてしまっているけれど、一瞬で失神してしまいそうな事象はおきていない。


 それは茶梅も同様で、肝心なものは見えてはいない。

 お互いにギリギリセーフという状況であった。


 それは完全に「惚れとるやろ~」という状況であり、茶梅も少し前からそのような感じは受け取っていたので後押しをしてやろうと思っていた。

 ゆうえんちはその典型だった。少しでも男性に慣れるように、あわよくばそのまま克服してくっついてしまえば?という邪念も少なからず抱いていた。


「きくりんが望むなら……応援するよ。」


「もう、そこまで……なのかな?」


「自分自身の事じゃないからはっきりとは言えないけど、多分異性として充分認識してると思うよ。簡単には克服出来るものではないのはわかってるつもりだけど。」

「きくりん、あの人が店に来てから随分と変わったよ。話もするようになったし、笑顔も自然になってきた。」


 真糸が店に訪れるまで、5月の末までは営業用スマイルだった。

 他の人が自然と出来る仕事中の笑顔も、菊理はハンバーガーチェーン店にある0円スマイルのように不自然さがあった。

 それから数ヶ月している今では自然なものになっている。

 明らかに真糸が店に訪れるようになってからである。


「さ、先に部屋に戻ってるね。」

 菊理は起き上がると、早々にスリッパをパタパタとさせながら小走りに去っていった。


「チャンスだったのにねぇ。」

 茶梅は菊理を見送った後、一人呟いていた。



「きくりんが前に向けるなら、従姉妹のお姉ちゃんとして全面的に協力するよ。」


 湯浴み処に備え付けてある、無料ドリンクであるお茶を飲んだ後、茶梅は落ち着いて息を吐き出した。 

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