第19話 出張初日の奇跡
「あー。初日はあっと言う間に終わったな。」
「そうだな。まさかホテルに導入するとは思わなかったけど、うまくいって何よりだ。何気に大口受注だしな。」
時は流砂のように流れ、あっと言う間に日曜日。
午前中の内に新幹線で移動をし、目的地である温泉地へ到着。
昼食後、午後一番目にホテルに到着すると、3時間程かけて商品の説明と実演を行った。
後はホテル側に実際に利用して貰い、質疑応答の時間となる。
それが終わると本日の業務は終了となり、後は翌日のチェックアウトまでは当ホテルを満喫できるというわけだった。
そしてその日はそのままそのホテルに一泊する事になる。
流石に無料というわけにはいかないが、格安にして貰えるとの事だった。
17時半には全てが終了したので一旦温泉で疲れを癒そうと温泉へ入る。
真糸は男性専用に入ろうとしたが、露天は混浴にしかないため土下座までして露天に以降と誘ってくる武田の熱意に根負けし、真糸も混浴露天に入る事になった。
根良く説得され混浴露天に……
真糸が懸念するような如何わしい事はない。
群馬にはスキーはおろか、スノーボードも多く利用されているために、冬場はそれなりに老若男女問わず訪れるが、紅葉の時期は若干年齢層が高い。
青少年が期待するような若いおなごの裸体など皆無といって良い。
それに女性には湯あみ着の着用も可なので、素肌で混浴に入る人はほぼいないと言っても過言ではない。
事実、真糸や武田の入った18時前の時間には男性はともかく、女性は年輩の湯浴み着を着用した数人程度だった。
「夢は砕け散った。」
orzと落ち込む武田だったが……お前には彼女いるだろうと内心でツッコミを入れる真糸だった。
「明日はイベント会社だな。」
真糸が横にいる武田に話しかける。
疲れも見せずに淡々とこなす真糸と、どっと疲れた表情の武田。
商品説明は主に真糸がしていたのに、この二人の様子だけを見ると武田の方が大きな仕事をしていたように見えてしまう。
「そういえば、午前中から俺達の説明の前半くらいまでの時間で結婚式やってたみたいだな。」
武田が周辺の様子を見て確認していた。到着するなり〇〇家式場のように書かれた看板があったので真糸も気にはしていた。
「大ホールでやってたみたいだから俺達には無関係だったけどな。」
「美味いな、咲真。群馬って美味いもん多いな。肉も野菜もすげぇ美味い。」
通常一人一泊2万円近い宿泊費であるが、二人で2万円という価格での宿泊となっている。
領収書も切れるので、実質当人達は身銭は切らないので至れり尽くせりである。
追加の酒やマッサージ等は別であるが。
そのため計算が面倒になるので追加メニューは頼んでいない。
「県で言えばすぐ隣なんだけれど、こうも違いを見せつけられるなんて。温泉地は侮れない。」
19時に食事を取ると後はやる事がない。
正確には本日の纏めと、翌日の予習をする以外には何もない。
23時を過ぎると後は寝るだけと思っていたけれど、せっかく温泉地に来たのだから寝る前にもう一度入ろうと真糸は立ち上がる。
「寝る前にもう一度入って来るけど、武田はどうする?」
「あ~俺はコレ飲んだら寝るから良いよ。」
武田は部屋の冷蔵庫に備え付けの少しお高い酒を飲んでいた。
部屋とは別清算となるので領収書は簡単に分ける事も可能なので、真糸も特にダメだとは言わなかった。
「ほどほどにしておけよ。明日も仕事はあるんだから。」
「わかってる。それはそうと……最近少し話すようになったな……何かあったか?」
真糸は考える仕草をする。武田の言うような何かがあったか?と。
「さぁ、特にはない……というか、俺そんなに喋ってるか?」
「お前が飲み会に参加した時くらいから同期以外とも会話が増えたような気がするぞ。」
真糸は「そうか?」と言って部屋を出て行った。
タオルの入った袋を持って温泉へと向かう。
先程行ったからだろうか、無意識に混浴露天風呂へと足が向いていた。
真糸が気付かなかったのも無理はない。
浴室にも脱衣所にも他に人がいなかったのだから、他の客がいなければ気付かなくても仕方がない。
一度洗っているとはいえ、もう一度頭と身体を洗うとタオルを頭に乗せて湯船に浸かった。
そして露天の奥から見える景色を眺めた。渓谷故に山の静けさと川を流れる水の音が神秘的で幻想的で心を落ち着かせる。
「こういうところにいると癒される気になってくる。自然て凄いな……」
独り言を呟いていると、浴場に誰かが入って来る。
少し離れているし、真糸は背にしていたのでどんな人が入ってきたのかはわからない。
声が高かったので、子供が入ってきたのかなくらいしか思っていなかったので振り返る事はしなかった。
もっと言えば、岩場に隠れて真糸の姿は洗面所からは見えない。
そろそろ出ようかと、立ち上がり岩場の影から少し移動したところで気付いた。
ここが混浴露天風呂だった事を。
真糸の目線の先には、見覚えのある茶色と赤で半々に分かれた髪の女性と、纏め上げてはいるけれど黒い髪の女性が湯船に浸かろうとしていたところだった。
勿論、女性二人は湯浴み着を着用してはいたが、真糸は着用していない。
慌てて真糸はしゃがみ込んで首から上だけを湯面に出して後ろを向いた。
その目線の先には先程まで見ていてた渓谷が警告を示しているようだった。
「ひゃぁっ、ま……さ、咲真さん……?」
手で鼻から下を抑えて驚きを隠せないのは、今ここにいるはずもないと真糸が思っていた白山菊理。
「あぁ、あ、き……し、白山さん……?」
ここまで取り乱している真糸も珍しく、この場に武田がいれば驚いていたであろう。
湯気が多少は仕事をしていると思いたい真糸であった。
ここが栃木の奥日光であれば、硫黄温泉であれば浸かってしまえば白くて何も見えないのに……などと考えるのが精一杯である。
「はぁい?」
学校の怪談・花子さんのように返事をしたのは菊理の横にいる茶梅である。
確かに茶梅も白山であるために、返事をしても間違いではない。
ニヤソとする茶梅の姿だけが静寂の中で不気味に微笑んでいた。
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