第16話 観覧車ともふもふ

 真糸と菊理は現在観覧車に乗り、地上からどんどんと離れて行っている。

 狭い箱で地面が段々と離れて行く様子に真糸は、少しずつ心が乱れていくのを実感していた。

 ちなみにこれは二度目の観覧車だ。


 お姫様抱っこをしてお化け屋敷を脱出した真糸は、ベンチに菊理を座らせると横に偶然あった自動販売機から紅茶を買って菊理に手渡した。

 しばしの放心から解放された菊理は羞恥心を胸に抑え込みながら紅茶で心を落ち着かせていた。


「お見苦しいところを見せてしまいました……運んでいただきありがとうございます。」

 お姫様抱っこに関しては、あえて触れないように菊理は礼を述べる。

 未だに鎮まらない心臓の鼓動に、菊理自身まだ戸惑いを隠せていない。

 

 お化け屋敷が苦手な人は他にも存在するわけで、「あー超こえぇ。」と言いながら出てきて他へ向かう客の姿はそれなりに在った。

 菊理が怖がり過ぎるだけで、足がガクガクするくらいは自然の事でもあった。


 お化け屋敷のお姉さんの発言であるリア充爆発はともかく、ベンチで休んでいると大分日が落ちている事を自覚する。

 既に夕方となり橙色の空は本日のゆうえんちデートという試合終了を告げるには丁度良かった。

 当の本人達はデートとは認めないだろうが、異性が二人で仲良くゆうえんちで遊ぶ様は、他人から見ればデート以外の何物でもない。


「最後に観覧車乗りません?せっかく夕陽が綺麗ですし。」

 切り出したのは真糸。帰る時間を考えればそろそろ切り上げなければと紳士的な意見としては当然であった。

 下心があればもっと遅い時間まで遊び、その後夜の町へというくだりになるのだろうけれど、真糸にはそこまでの意図や意思はない。


 高い所が苦手な真糸が観覧車を勧めたのは、ある意味苦手を無視してでも憧れた何かがあったのかもしれない。


 さほど並んでいなかったため、直ぐに乗る事が出来た。

 真糸はジェットコースターは大の苦手だが、実際のところは高い所が全般的に怖い。

 医者に診断されたわけではないので、自称高所恐怖症である。

 

 真糸が押上にある電波塔タワーには自ら行くことはないだろう。

 それが最後に観覧車に乗ろうと意思表示をするのは、お化け屋敷で菊理を必要以上に怖がらせてしまったという自責の念も強い。


 観覧車の高低が高くなってくると、真糸は下を見るのを止めて景色を見ようと正面を向く。


「あっ。」


 真糸と菊理の目が合う。お互いに何かを言いたそうではあるが、中々言葉にする事が出来ないようだった。

 視界に入るほかの乗客達は、肩を寄せ合ったり、遠くを指さしたり、自分達と同じように特に何かを語る事もなかったりと様々だった。


 流石に観覧車でえっちな事をしている人はいないようだった。


 

「綺麗だね。」

 菊理を見つめたまま、真糸が唐突に漏らした。


「えっ。」

 突然綺麗だねと言われて菊理は驚き息を飲んだ。顔の表情に赤みが差しているのは夕陽のせいかそれとも真糸の言葉のせいか。


「高いところから見る夕陽がこんなに綺麗だなんて、観覧車に乗らなければ気付けなかった。」

 心が洗われるようだ……と真糸は感じていた。

 決してなかった事には出来ない過去を、この瞬間だけは浄化されているかのような。

 なかった事には出来ない。罪を犯してしまった方は時と形上の償いで気は楽になるのかもしれないが、被害者にはそれは一生もの。

 常に頭を過ぎるわけではないだろうけれど、要所要所でその現実は突き刺さる。


 子供から大人になって、人並みに恋愛をして結婚する時にどうしても過去の恐怖が過ぎるだろう。

 最近は結婚前性交なんて当たり前の世の中になっているのだから、その前に起こる事かもしれない。

 いや、抑恋愛すら出来ないのではないだろうか。


 真糸の心の中にはあの子の未来を奪いめちゃくちゃに崩してしまったという事を、こうしたふとした瞬間に何度も過ぎる。

 少年院にいた時にはカウンセラーと話す事で様々な事を実感させられていた。

 罪と向き合う事で自分の罰がこの程度で良いのかすらも自問した。


 時にはカウンセラーとも話してどうすべきか悩んだ事もあったが、これが絶対に正しいという明確な回答は見出せないままだった。

 面と向かって謝罪すら出来ない以上、二度と関わるべきではないというのが妥当だと納得させられた。


「綺麗……ですね。こうして落ち着いてあかりを見る事もなかったので。」

 まだ完全に闇に覆われてはいないが、菊理には空の先に輝る星が見えているのだろうか。

 

 頂上に到着する頃には橙に青黒が混ざり宵へと誘われていくところである。


 

「そちらに行っても?」

 真糸は自然と口にしていた。夕陽と宵闇にやられたからであろうか。

 

「はい。」

 菊理も理由も聞かず承諾した。

 真糸は高い所が怖いはずなのに、自然と観覧車の箱の中を移動する。

 暗闇になりつつあるとはいっても箱の中には灯りが僅かに灯っている。

 下を気にしなければ大丈夫というわけでもないだろうが、真糸は不思議と怖いという感情よりも隣で同じものを見たいと思う気持ちが強かった。


 そして特に言葉を発する事もなく観覧車は下がっていく。

 真糸の手はぴくぴくと震えていた。菊理の手に重ねたいのだろうか。


 しかし結局それは叶わず、あっという間に地上へと辿り着く。

 観覧車のドアが開くと、係員に促され先に真糸が降りる。


「危ないから捕まって。」


 真糸が差し出した手を、菊理は軽く微笑みながら取っていた。


「流石彼氏さんですね。ひゅーひゅー暑い熱い。萌え尽きてしまいそうですよ。」


 暑いし熱いという事か、燃えると萌えるもかかってるというわけか……真糸は反芻していた。


 真糸の右手と菊理の左手が繋がったまま、二人は観覧車から離れて行く。

 二人共どのタイミングで離して良いのかわからないようだった。

 周囲のカップル達も同じように手を繋いだり腕を組んだりしているので、二人が浮くなんて事は決してなかった。


「「お土産……見に行きましょうか。」」


 息ピッタリであった。





「それにするんですか?」


 菊理が巨大ホワイトタイガーぬいぐるみを抱きしめていた。


「このもふもふが堪りません。」



 その後、このぬいぐるみを今日誘ってくれたお礼にプレゼントしようとした真糸だが、菊理が納得するまで15分は言い合っていた。  

 その時以外にも頑固な一面があると悟った真糸だった。


 そして真糸の手にも巨大ではないけれど、片手サイズのホワイトタイガーぬいぐるみを掴んでいた。

 このぬいぐるみを菊理が真糸にプレゼントするという事で、先程の15分の言い合いは終焉を迎えたのである。


 やはりプレゼントは双方が送り合ってこそなのであろう。


 ちなみにこのぬいぐるみの手触りはとても良く、思わず頬をすりすりしたくなる程なのだが……

 帰宅後、すりすりしたかまでは定かではない。

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