第12話 チケットの真実
真糸の身体に密着するように覗き込んでくる菊理。
真夏ではないので、気にする程の薄着ではないけれど、異性に縁を求めない真糸にとっては刺激的となってしまう。
シャンプーの香りか、服か腕に着けた香水か。
菊理からはほんのりと心地いい香りを発しており、真糸の鼻孔を擽った。
「あ、ごめんなさい。好きな事になるとつい周りが見えなくなってしまい……」
菊理は花の説明をしている時のように前向きに饒舌となっていた。
男に絡まれている時はともかく、普通の店員と客とのやり取りや先日お礼にと遊園地へ誘った時とは違い、自信を持った言葉の重みが乗っているように真糸は受け取れた。
「いえ。気にしないでください。待ち合せにラノベというのもどうかと思いましたが、こうして白山さんの新たな一面が見れたのであれば、読んでいたかいもあります。」
真糸は栞を挟み本を閉じると、真横に来ている菊理へと顔を向けて答えようとしたが、目線の下には胸元があり思わず目を逸らしそうになる。
別にいやらしい意味で見たわけでもないのに、真糸は罪悪感を感じてしまう。
あからさまに見続けるのも失礼だと思い、真糸は菊理の目に集中した。
頭半分程真糸の方が高い。真糸が真っ直ぐ真横に向けばそこには菊理の眉毛がある。
視線を少し下げて見てしまったために、視界の下の方に胸元が入ってしまったというわけだ。
白いワンピースは菊理を象徴するかのような清純さを思わせた。
軽く羽織っている薄手のカーディガンが美しさを出すのと同時に、菊理を守る壁のようにも感じていた。
「おっしゃる通り、愛妹転生の3巻です。実は趣味らしい趣味がなくて、昨年ネットサーフィンしている時に偶々WEB版を目にしまして。読んでみたら思いの外面白く、興味を持ったので書籍版もと思い読んでます。」
真糸は本を鞄にしまうと、自身の無趣味を告白する。
最近でこそ花に魅入られているけれど、他にはベッド周りのヲタク装飾くらいしかお金は使っていない。
ラノベを読むようになったのさ昨年のネットサーフィンの賜物ではあるが、書籍はそんなに多くは持っていない。
本棚の一角に収納されている程度である。
「そ、そうですか。ありが……私も実はラノベ好きなんです。部屋はラノベと花に囲まれてます。一昔前で言うところの喪女ですかね。」
菊理は少し顔を赤くして、自身の独り者状況を告白する。
この二人は互いに自滅するタイプのようだった。
聞いてもいない事をつい漏らしてしまう。
裏を返せば、つい話してしまう程度には相手を信頼しているという事でもあるのだが。
当然真糸は喪女というところには触れない。
ラノベ好き、花好きというところに注視していた。
量こそ違え、同じような部屋の状況というのが共通項としてわかった事が無意識ではあるが、共感を得ていた。
「私はそんなに多くは買っていないので、本棚に何冊かある程度ですね。」
真糸がラノベを目にするようになって日は浅い。学校の教科書を全て本棚に詰め込んでもその量には届かない程度。
「好きなジャンルとかあるんですか?」
菊理がさらに喰い付いて来る。同じ趣味を持つ仲間意識とでも言おうか。
先程よりも菊理はさらに饒舌となっている。
「特にはないですかね。多くを読んでいるわけではないですが、自分にないものに憧れはあります。そういう意味では異世界ものや恋愛ものには興味を惹かれてるかも知れません。」
実際真糸の部屋にあるラノベは件の愛妹転生を覗いても数えるくらいしかない。
本人は意識をしていないだろうけれど、異世界×妹が7割を占めていた。
「とりあえず、立ってるのもなんですし。そろそろ行きましょう。」
駅の券売機・改札を案内しようと真糸が左手を菊理の前に出す。
促されるように菊理はPASMOを取り出した。
「チャージはされてるので大丈夫です。」
真糸と菊理は並んで改札へ向かう。
二人共切符ではなくPASMO派であった。
定期でなくともチャージだけしておいて使う人も一定数はいる。
菊理もそのようであり、定期ではない。
それは一概に電車を普段の公共の乗り物としては利用していないということであり、電車通勤はしていないという事になる。
そこから、車通勤か自転車通勤、歩行通勤という事が導き出される。
道中の電車の中ではラノベ話の続き……をするわけでもなく無言の時が流れる。
電車内は空いており、真糸も菊理も並んで座っていた。
混んでいるわけでもないのに、ほぼ密着するような形で。
足、尻側面、腕とがほぼ密着している状態は緊張するなという方が無理がある。
事実真糸も菊理も赤面するだけで、身動き一つ取れていない。
座り直すと近くにいたくないと誤解を生むと考え、菊理はそのままの距離を保った。
それがいらぬ緊張を生んでしまい、言葉に詰まる結果となっていた。
初めて付き合い始めたばかりの中学生カップルのような二人はそのまま電車の慣性に身をまかせ揺られていく。
電車が動き始めれば菊理の身体が真糸へとさらに密着し、電車が止まれば真糸の身体が菊理へと密着する。
正面に座っている老夫婦が「あらあら、若いわねぇ。」と言っているように見えていた。
微笑ましいものを見たからか、老夫婦も手を重ね合わせていた。
おじいさんの手の甲におばあさんの手のひらが重ねられている。
これはこれで、周囲から見れば微笑ましい光景となっていた。
殆どの人が携帯……スマートフォンを弄って画面を見ている中、アナログな人間が周囲に溶け込んでいた。
かちこちとした真糸達ではあるが、3駅……時間にして15分も経つと目的の駅へ到着するアナウンスが流れる。
揺れに備えてか照れのためかはともかく、二人は電車が停車してから立ち上がるようだ。
「着きましたよ。」
先に立ち上がったのは真糸だった。
未だに立ち上がらない菊理に手を差し出した。
「あ、はい。」
その手を自然に取る。触れた手が柔らかいと感じているかは定かではないが、どちらにも負担が掛かる事無く菊理は立ち上がる。
二人がどう感じたのか、用が済んだからか、それとも羞恥からかどちらからともなく重なっていた手は離れていた。
「初々しいねぇ婆さんや。」「そうですねぇお爺さんや。」真糸達を見ていた老夫婦の心の中はこうだったに違いないだろう。
駅から目的地は歩いても15分程度。電車に乗っていた時間とほぼ変わらない。
カップルや家族連れも同じ目的なのか、ぞろぞろと先行して進んで行く。
この集団の後に着いて行けば、初めてであっても迷わずに遊園地までは行ける。
実際にほぼ真っ直ぐ一直線のため、迷う事はないのだけれど。
電車の中とは違い、半人分のスペースを開けて並んで歩いていく二人。
近くもなく遠くもない距離に少しだけゆとりが湧いてくるのか、妙な緊張は解れつつあった。
「やっぱりカップルや家族連れが殆どですね。」
菊理が尋ねるが、それらが8割で残りの2割が友人同士としか思えない集団しか歩いていない。
意識しないようにしていた真糸は「そうですね。」と答えるしか選択肢が残っていない。
いないのだが、真糸は自ら選択肢を増やしていた。
「私達も彼らから見たらそう見えるのでしょうか。」
思い切った選択肢を選んでいた。
駅前で少し盛り上がったからだろうか、悲観的な思考は真糸の中から薄れつつあった。
「そそ、そうなのでしょうか……」
自ら振っておいて、予想外の返答だったのか菊理は言葉をどもらせてしまう。
数えるのが面倒なくらいの赤面で唇を震わせていた。
「あぁいう青春送りたかったです。」
菊理のその言葉に何故かズキっと頭に痛みを覚えた真糸。
それが指す意味はわからない様子で、記憶を辿ろうとして痛みが増すのでやめた。
その痛みの様子を表に出してしまうと菊理に心配をかけさせてしまうと、涼しい顔に努めていた。。
「学生時代はどうだったんですか?何だか今のままのイメージ以外は想像出来ませんが。」
先程の菊理がどこか落ち込んでいるようにも見えたため、話題を振って変えようとしていた。
「咲真さんがどのようなイメージを持たれているか気にはなりますが、確かに今とあまり変わりませんね。」
「活発とは言えませんでしたし、家が生花を育てているものですから土に塗れてはいましたが大人しくはありました。」
その表情がどうしても楽しそうには見えない。
真糸にもそれは伝わっていた。
過去はあまり思い出したくはないのだろうか。
信号の点滅にも気が付かないで菊理は2歩程先に行ってしまう。
「危ないっ」
点滅してはいるが、信号無視する車や右左折してくる車が侵入してきている様子なはい。
「ひっ」
菊理は腕を掴まれて突然の事に驚いてしまう。
「あ、いや。申し訳ない。信号が変わる所だったから思わず……」
「こちらこそごめんなさい。突然だったので驚いてしまって。昔の事を思い出したせいか周りが見えてませんでした。」
完全に歩行者用の信号が赤に変わる。
セパレートで案内された車が数台右折をして入って来る。
無理して進行していたら車にも迷惑が掛かっていた。
歩行者用信号の点滅は急いで渡れではない。横断歩道上に残っている人が近い方、進み切るか戻るかの時間のためだ。
まだ歩道から横断歩道に入り始めの菊理が無理して進む必要はない。
それが心が上の空であれば尚の事である。
「俺も学生時代に良い思い出はなくて。やり直せるならやり直したいと思ってる。それでも、今こうしていられるのは悪い事ではないとも思ってるよ。」
「偶然花を見かけたあの時から、俺の人生に安らぎのようなものが芽生えたというか。その結果が若干のラノベと花に囲まれた生活なんです。」
真糸の一人称が変わっていた。そして誤解を与えてしまいそうな言葉だった。
偶然見かけたというのが、菊理を指すのか花を指すのか。
菊理にはどのように伝わっているのかはわからない。
「呼び方……変わってますよ。でもその方が私的には格好いいし良いと思います。」
「そうですか?」
「そうなんです。」
その後は落ち着いたのか、可もなく不可もない軽い会話をしながら進んでいくとあっという間に目的地が見えてくる。
真糸の歩幅は菊理に合わせているため、仲良く並んで歩いているように見える。
いくつかの来園者に交じって遊園地に到着すると、周囲に倣って受付の列に並ぶ。
多くの人が受付を済ませて中へと入っていく。
「カップルチケットですね。それではカップルらしい何かをお願いします。」
真糸も菊理も確認していなかった。
ただのペアチケットだと思っていたのだ。
カップルチケットとは……受付でカップルらしい事をする事で粗品を貰え、入園する事が出来る割引チケットなのである。
それはキスでもハグでも何でも良いのだが……
「「え゛……」」
何も知らない二人はそう返すしかなかった。
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