第10話 菊理からのお礼という誘い
いつも通りの金曜日。
白山菊理を男達から守り、暴行を受けてから訪れる最初の金曜日。
安否を確認させるという意味でもと、少し烏滸がましいかもと思いながらも真糸の足は花屋へと向かっていた。
花を見る振りをして店内を軽く見渡していると、花の手入れをしている店長に見つかる。
「どうも。」
「いらっしゃいませ。」
店長の言葉はどこか他意を含んでいるように見えた。
「あの日、夕方には退院出来ました。二人がお帰りになって、一人ポツンと病室に残されると急に寂しくなるもんですね。」
「検査から戻って来て花が置いてあったので……少し気は軽くなりましたが。」
「そうですか。配達もありましたし短時間ではありますが、私と白山さんの二人で選んだかいがありました。感謝の意味を込めていたので良かったdすよ。」
「今は普通にしてますが、彼女元々男性が少し苦手なんですよ。人が少ないとはいえあの時間に配達をお願いした私も悪いのですが。」
「だからお客様とはいえ、男性とはいえ顔見知りの人に助けて貰ってホッとしていたところです。」
苦手とはいえ、普通に接客をしている分には問題がないと言う。
真糸は店長と話をしている間にも、相槌を打ちながら店内をキョロキョロとさせていた。
「白山さんは今日は休みですよ。」
どうも真糸の行動はあからさまだったようだ。店長にはお見通しだった。
「そういえば、彼女はあの後大丈夫でしたか?例の男に手を掴まれた時にかなり大きな悲鳴を上げていたので……怪我をされていたのでは?」
もし本当に怪我をしていたのなら、一緒に救急車に乗っていたのだし、治療は受けていたのだから包帯を巻かれているなりの処置がされていたはずである。
つまりはもし怪我をしていても、そんな痛みが残っている程の事はないはずではある。
「大丈夫ですよ。先程も少し言いましたが、彼女は男性が苦手なので過敏に反応したんだと思います。身体より心の方が心配です。」
だから土曜日はあのまま休みにしたと言う。そのせいで勤務体系を少し弄り今週は本日が休みになったと言う。
元々土曜日勤務ではない者に代わりに出てきた人との兼ね合いだということだった。
「世の中の男性がみな、お客様のような人だったら良いんですけどね。」
店長の言葉は、真糸が考えているものよりも重く深いものであるのだが、真糸が其処に気付くのにはまだ時期尚早だった。
それよりも店長の言葉が真糸の心に深く突き刺さったからだ。
自分が今こうなったのは、過去の悪い自分がいたためだ。
もう同じような過ちは犯したくはない。
「いえ、私なんて……」
それ以上先を口にする事はなかった。
何を言おうとしたのだろうか。
少なくともここで言うべき事ではないと判断した結果だろう。
代わりにふと目に入った鉢植えを手に取った。
アセビ……万葉集で古くから詠まれてきいている程、日本人には愛されてきている。
釣鐘状で可愛らしい代わりに株には全体的に毒があるため生育には注意が必要である。
花言葉は「犠牲」……つまりはあの時の真糸自身を指している。
そして「献身」……あの時救急車に同乗し、一晩付き添ってくれた事は菊理を指していても過言ではない。
さらにはもう一つ、「あなたと二人で旅をしましょう。」
これは今の二人には程遠い言葉ではある。
店長は「へぇ」という表情をしていた。
きっと「へぇ」ボタンがあったら何連打かはしていたに違いない。
真糸は花屋から出ると、向かいの喫茶店へと入っていく。
その様子を見ていた店長は裏方に行き、携帯電話を取った。
そして番号を打つと電話を耳に当てた。
朝顔市の朝顔の鉢植えはそこそこ荷物になってしまうが、アケビも小さくはないので真糸は花瓶を買うのは諦めていた。
花瓶を買うのはまたの機会にしよう。そうして口実が複数あると次に繋がるものである。
真糸が喫茶店に入った時には店内はそれなりに込んでいた。
仕事帰りのサラリーマンが寄ってから帰るには少々異常な様子。
席を埋めているのは殆どが二人以上の客層だった。
このまま夕食も済ませてしまおうと思っていた真糸は、ナポリたん……ナポリタンとケーキと紅茶のセットを頼んでいた。
やがて運ばれてきた昔ながらのナポリタンをぺろりと胃に収める。怪我をしていても食欲は変わらず存在していた。
主食を平らげると後はまったりタイム。現在はデザートのケーキと紅茶を待っていた。
すると真糸は店員から声を掛けられる。
「あの、現在店内が混雑しているので大変恐縮なのですが、もしよろしければ相席よろしいでしょうか?」
唐突な質問ではあったけれど、特に断る理由もなかったので真糸は承諾する。
「ありがとうございます。これは次回から使えるサービス券です。」
相席を許可した事による御礼か、次回の料金300円引きの件を5枚置いていった。
やがて店員に案内された相席の人物がやってくる。
「あ、あの……こんばんは。」
相席としてやってきたのは……
「白山さん?」
そこにはお店に出ている時とは違う、普段着の白山菊理が立っていた。
お店の時は作業する関係か、動きやすい汎用性の高い恰好であった。
しかし目の前の姿は、可愛いワンピースに可愛いスカートに可愛いバッグを下げていた。
何度も可愛いと表現するには語弊があるが、真糸が思うベストオブ可愛い恰好である。
薄いピンク掛かったスカートも白いワンピースも水色の小物も、真糸のストライクであった。
もっと言えば、前髪ぱっつん黒髪ロングは真糸のど真ん中である。
物静かな仕草もストライクである。
ズキッ
真糸の頭を不意に頭痛が襲う。
それは病的なものではなく、記憶の中で何かが呼び起こされるような感覚。
唐突に訪れた異変に真白自身も、目の前の菊理も吃驚してしまう。
「どうかしました?」
菊理の声で我に返る。
真糸は自分の心の中の世界から戻ったような感覚を覚えた。
「いえ、白山さんの普段着が新鮮で……良く似合ってますよ。」
それは他意もなく、自然に漏れた素直な言葉。
「あ、ありがとうございます。」
菊理は俯きながら顔を赤くして答えていた。
「立ってるのも疲れてしまいますし、どうぞ座ってください。」
いつまでも立たせておくわけにもいかないと思い、真糸は目の前の席を掌で指して座るように促した。
「そ、そうですね。失礼します。」
そそくさとスカートを押さえて真糸の向かいの席に腰を掛ける。
「お食事されてたんですね。」
皿は既に下げられているけれど、まだテーブルに残っていた粉チーズとタバスコを見て菊理は食事中だと気が付いた。
「今日は先に食事を済ませておきたいと思いまして。」
中々会話が進まない。花屋内であれば、花を題材にして話も膨らんだかもしれない。
コミュニケーション能力が低いというよりは、互いを意識してしまい何を会話していいのか悩んでいるようだった。
そこにちょうど店員がやってきたため、漸く均衡は破れる事になる。
「あ、本日の紅茶を。」
店員は本日の紅茶であるダージリンセカンドフラッシュの注文を承る。
夏摘みのダージリンは産地本来の特徴が最も良くあらわれる。
わかり易い味、風味のため初心者には春摘みのファーストフラッシュよりは、夏摘みのセカンドフラッシュを試す方が良いと言われている。
「そういえば、奇遇ですね。」
もう少し気の利いた言葉が浮かばなかったものか、真糸は自分で言って自分で心の中でツッコミを入れる。
「そ、そうですね。私、紅茶が好きでここにはたまに来るんです。」
コーヒーが好きな真糸も喫茶店にはたまに入る。今日はたまたま菊理が働く花屋の向かいだったというだけであった。
木目調の店内もまた雰囲気を出しており、コーヒーも紅茶もどちらも風情があってより美味しく感じる事だろう。
一つ残念なのは店内が混雑しており、人の声が多過ぎるという点だろうか。
閑古鳥が鳴いているよりは良いかもしれないが、混雑もまた何とも言い難い喧噪を出していた。
「あ、それと、先日のお礼なのですが……実は店長からチケットを貰ったのですが、真咲さんは遊園地はお好きですか?」
菊理はテーブルの上に二枚一組のペアチケットを差し出した。
二枚のチケットではない、二枚一組である。
真糸はその額面を見て一瞬驚いてしまう。
それは所謂カップルチケットと呼ばれるものだった。
「はい?あぁ、どうでしょう。中学生の頃が最後な記憶がありますが。」
「店長が自分は使う機会がないから、せっかくだから先日のお礼に真咲さんを誘って行って来いと……」
「私で良いんですか?」
真糸の意図としては、店長から菊理は男性が苦手だと聞いていた事によるものだったが、菊理はそのように受け取ってはいない。
単純に一緒に行く相手が自分で良いのか?と受け取っていた。
「お礼ですから咲真さんでないとだめです。」
店長の後押しがあるのか、菊理の押しが強く感じる。
「そうですか……正直な話、絶叫マシーンは苦手です。この遊園地でしたらスプラッシャーくらいまでしか乗れませんよ。」
名前が示す通り、至る所に水飛沫が舞うため、油断をしていると水を被ってしまう中規模のコースターの事だ。
一回転したりかなりの高所がない分、水で楽しませるコースターである。
「私もお化け屋敷は苦手です。正確には暗い場所が苦手です。」
お互いに苦手なものはあり、そこは臨機応変に譲り合うという事で一緒に行く事には意義はなかった。
遊園地とはいってもアトラクションはたくさんある。夏場だったらプールでも遊べるそこそこ大きな遊園地である。
「白山さんと店長の善意を無下に断るのも野暮ですし、ご厚意に甘えようかと思います。」
真糸は菊理の誘いを受ける事にした。
自身の何かを変えるきっかけにでもなれば良いという考えもあった。
「それでは来週日曜日の午前9時に駅で待ち合わせという事で良いですか?」
真糸の提案に菊理は頷く。
駅というのは真糸の最寄り駅ではなく、ここを指している。
話の流れで、菊理の家はここから然程離れていない事が出ていたためだ。
車移動でなく電車移動なのは、いくら菊理からの誘いであっても密閉された狭い空間に彼女を乗せるという事に気が引けたからだった。
これは店長から男性が苦手とう事を聞いていたという事が大きい。
さらに遊園地は電車で2駅先なので、電車も曜日と時間的に満員にはならないだろうと判断し、やはり車ではなく電車という選択に至った。
「あ、それと……これは念のための連絡先です。」
真糸は会社の名刺に自分の電話番号とアドレスを記載したものを、菊理の前に差し出した。
迷子や入れ違いになっては大変ですからと添えて。
遊園地の約束が成立する頃には、真糸のコーヒーも菊理の紅茶も冷めてしまっていた。
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