第9話 口実
検査の結果、大事には至っていないとの事で退院が決まる。
諸々の準備や手続きがあるため結果的には夕方となってしまうが。
「領収書はとっておくか……」
1泊2日の入院日は、中堅どころの泡のお風呂と同等はかかっていた。
節約はしているつもりの真糸であっても、数万円の突然の出費は懐が痛く感じている。
退院した真糸は、その足で商店街に向かう。
病院を出ると一日振りなだけだというのに、日差しが強く感じる。
心が洗われるかのようなその光を浴びると、植物の光合成やウルトラ戦士の充電も理解出来るというものだ。
病院で簡易的な衣服を買って帰宅する分には問題はなかったが、翌日からの仕事には支障をきたしてしまう。
身体は大したことがなくても、スーツはボロボロとなっていた。
クリーニングしたところでほつれたところはどうしようもない。
抑がクリーニングに出してしまうと、間に合わない。
白いシャツは自分の血と土埃で赤茶色をしていた。
真糸は節約のために、スーツは1着しか持っていない。
ワイシャツは兎も角、月曜日から着ていくスーツがないのだ。
紳士服売り場で手頃かつ、それなりのスーツを即購入した。
今回の事を期に、二着は最低必要だと実感していた。
「流石にこれは請求出来ないか。」
入院費と含めると、露天風呂付の部屋に二泊は出来るだけの金額が飛んでいった。
紳士服の青川を出ると、買ったスーツを持ち上げて呟いた。
それでも器物破損を想定して、購入したスーツ類の領収書とボロボロのスーツ類はそのまま仕分けして取っておこうと考えた。
昨晩悪い顔をしていた真糸は、ここでも不敵な笑みを浮かべていた。
礼には礼を尽くし、悪態には悪態を尽くす。
態々見つけ出して仕返しをするというわけではないけれど、真糸もこのままで済まそうとは考えていなった。
結局この日はスーツを2着とワイシャツを2枚、ベルトを1本購入してそのまま帰宅した。
帰宅すると一度リビングのテーブルの傍に置いて、それから花をテーブルに置いた。
店長が贈ってくれた、病室に数時間だけ飾っていた感謝だらけの花を綺麗に活けるためだ。
真糸が贈られた花達は、病室で調べたけれどネット情報として、花束として贈られて喜ばれるリストだという事もわかった。
流石は花屋の店長、選りすぐっただけの事はあった。
その裏に隠された言葉をどう読み取るかは自由である。花言葉は一つだけではない。
真糸はそこまで読み取る事はなかったけれど、武田はそれに少し気付いた様子だった。
病室で飾ってあった時のように綺麗に束にして活けた。
スーツを広げハンガーに掛けると、仕付け糸を取っていった。
翌日仕付け糸を付けたまま出勤したら、流石に恥ずかしいものがある。
クリーニング明けのサラリーマンが、たまに仕付け糸を付けたままというのを見かける事もあるだろう。
「花瓶が足りなくなったな……」
口実が出来た。
花屋に行く口実が。
お礼にお礼返しというのはキリがなくて終わりが見えなくなるのはわかりつつも、真糸は付き添ってくれた菊理への礼と、店長達に花束の礼を言おうと思っていた。
花は店長からの、店長達のお礼の気持ちで贈ってるのだから、それに対して何かするのもおかなしなはなしである。
端に口実になるだけだ。
意識的にか、無意識にか。口実が複数あればそれは偶然を凌駕する。
鉢植えは兎も角、活ける花に関しては花束に関しては花瓶が必要となる。
当然その花瓶もあの花屋で購入していた。
つまりは花と同時に花瓶を買う事も口実と成り得るのである。
☆ ☆ ☆
太陽がカーテンの隙間から覗き込んで来ると、起床の時間とほぼ重なる。
月曜日となりいつもと変らない日常が始まる。
念のため少し早めに出勤し、週初めの仕事に備える。
身体も大事に至ってはいなくても、万全とは言い難い。
それに、金曜日の事があるので他の飲み会に参加したメンバーから何を言われるか。
真糸は対同僚達に備えるためにも早目の出勤を心掛けた。
無駄には早目に出勤してきたため、他に出勤してきている人はほとんどいない。
武田を含めあの時の女性3人の出勤もまた、普段より早く真糸の後時期に出勤をしてきていた。
武田の話から、他の女性陣3人も菊理とのシーンは目にしている。
何も言われないという事は期待出来そうにもなかった。
武田から大事には至ってないという連絡はしていたようで、真糸が普通に出勤している事自体は不思議には思われてはいない。
「咲真さん。大丈夫ですか?一応武田君から連絡は貰ってるから多少安心はしてましたけど。」
あの時の八洲以外の女性の一人、
長身で長い黒髪を後ろで束ねており、出来るキャリアウーマン的な印象を与える。
見た目のイメージでは出世早そうだなという感じであった。
彼女もまた件の上司からメジロマックイーンと揶揄された事がある。
この会社では、競馬に縁のある名前を持った人が採用されるのだろうかというくらいである。
「検査入院した程度でるから。打撲程度ですし大丈夫ですよ。」
「いやいや、私怖くて近くに行く事出来ませんでしたけど、あれ普通骨折とか内臓損傷していてもおかしくないように見えましたよ。」
もう一人の女性、
彼女の親は恐らく中二病というものを患っていたのかもしれない。
パーマ掛かった肩までの髪が特徴的で、元気系お姉さんという印象を与えている。
クラスの中に一グループはある、オシャレ系女子グループの一人とでもいえば、わかりやすいかもしれない。
もちろん彼女も件の上司にオグリローマンと揶揄された事がある。
余談を追加するならば、彼女の兄は仕事柄帽子を被っている事から……オグリキャップと呼ばれている。
兄と一緒に映っている写真を見た件の上司が……である。
「まぁそれなりに鍛えてはいたので、大事には至らなかったんだと思いますよ。」
苦しいとはわかっていても真糸は答えていた。
「でも、ごめんなさい。怖くて誰も助けに行けなくて。」
それが普通の対応である。いかつい見た目の男数人の元に駆け付けられる人はそうはいない。
同じ見た目や内面の人間か、絡まれている対象が見知った人物でもない限りは。
その対象がその人物の中でそれなりに大きな存在でない限りは。
真糸はそこまで自覚はしていないけど、潜在的に菊理の存在が大きくなっているのは事実であった。
「咲真さん、あの女誰ですか?」
八洲だけは少し違う目線で話しかけていた。
その目線が怖かったと、後に周囲の男性社員達は答えていた。
「知り合いの女性です。知り合いが絡まれていたら助けに入るでしょう?」
真糸から知り合いという言葉が出る事が不思議だと感じる面々だった。
それがましてや異性であれば尚更であった。
これまで話していて異性の話などしていなかったのだから。
これまで誰が好きかや、例えるなら女優やアイドルならどんなタイプかという会話からは、自ら遮断していた。
「知り合いってだけで黙って殴られたり蹴られたりして守るんですか?」
まだ多くは出勤してきていないが、数人の写真は八洲のその言葉が耳に入る。
「絶対と言い切る事は出来ませんが、同じ事すると思いますよ。」
「もし、私が変な人に絡まれても?」
「そうですね。やはり身近な人が嫌な思いをされるのは見たくはないですからね。」
可もなく不可もない回答で濁す。
「……遅れましたが、金曜日はありがとうございました。酔って大変だったところを介抱してみんなで送って貰っていたのに。」
本来八洲も介抱に対してお礼を言いたかったけれど、感情が先走ってしまい暴行現場の事を先に口に出してしまっていた。
自分でも印象が悪いと思ったのか、少し罰が悪そうな表情になっていた。
「どういたしまして。でも当然の事をしただけですし、その途中でイレギュラーがあってしっかり送る事は出来ませんでしたから。」
いつになく真糸の言葉数が多いのは、今出勤してきている社員達は感じていた。
「いえ、本来であれば酔い潰れた私がいけないんですし。助けて貰ったのは嬉しかったですし。」
もじもじと指を絡ませながら八洲は答えていた。その様子を他の男性社員は指を咥えて眺めていた。
「八洲ちゃん、ヤンデレの素質でもあるのかな。」
「まぁ普通に考えれば、咲真さんはあの女性に対して特別な何かを抱いてるでしょうね。」
小栗が目白とひそひそ話をしていた。
女性3人は同期である。つまりは年齢は真糸と同じ。
小学校等どこも被った事はないので、女性陣同士は会社で知り合ったただの同期達であるが。
それから一週間、なんの変哲もない日常が過ぎていった。
そして金曜日、定時で仕事をあがると真糸は電車に乗って一駅。
その足は花屋へと向かっていた。
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