第8話 「感謝」とその裏の隠れた言葉
一人残された病室は妙に寂しく感じてしまう。
病室なのだから華やかであっても仕方ないのだけれど、一人いなくなるだけで急に部屋が狭く感じてしまう。
朝食の後は少し時間を置いてから経過観察と、検査をする事になっている。
午前中はそれらだけで予定は詰まっている。
午後には結果が出る。
何もなければ本日中、若しくは翌日の退院と説明を受けていた。
普段あまり見ない土曜の朝番組を見いていると、検査の時間ですと看護師が呼びに来る。
真糸はその言葉に従い立ち上がると、少しだけ脇腹付近に痛みを覚えたが、看護師に着いて行く。
☆ ☆ ☆
検査から戻ると昼食の少し前だった。
しかし真糸は寂しいと感じた病室に、少し華やかさを覚えた。
それもそのはず、検査前にはなかったものがベッドの横のテーブルに置かれていた。
「これは?」
真糸が付き添いの看護師に尋ねた。
白衣の下の下着のラインがうっすらと見えているが、どの看護師も大抵は浮き上がっている。
真白は気付いていないが、誰も指摘をしないという事は気付く気付かないは別にして、許容範囲なのだろう。
「それは……咲真さんが検査中に、朝方来られた女性がもう一度来て置いて行ったものです。」
「私からと、恐らくは彼女も同じ気持ちですと伝えて欲しいと言伝を預かってます。」
看護師がにこやかに答える。
「私も少しは花言葉を存じてますが、いづれも共通するのは感謝を示すものですよ。」
そこにはピンクのガーベラ、白のダリア、ピンクの薔薇、白とピンクのカスミソウの花が小さな花瓶に活けられていた。
真糸は時間の空いている時に花言葉を調べてみた。
他にも清らかな心、希望や愛情など、自分には相応しくないものが隠されていたなと自戒していた。
贈ってくれた店長には他意がない事は理解してはいても、真糸の心境としては複雑であった。
「それでも、店長の気遣い心遣いは有難い。」
退院した時持ち帰られるように、脱脂綿や包装紙等も置かれていた。
「そういえば……個室って高いんじゃね?」
唐突に現実に戻る真糸であった。
交通事故であれば保険がおりるし、通院だって大抵の保険であれば補償して貰える。
昼食が終わると検査結果を伝えに来るまで暇となる。
テレビをつけて適当に時間を潰していると、再び来客……面会者が現れた。
「よう、どう?元気してる?」
状況は違えど入院していて元気してるというのは語弊がある。
突然の来訪者は昨日置いてきてしまった一人、武田だった。
右手に持った包みを高く上げて武田は病室に入って来る。
「まぁそれなりにはな。と、いうか俺が入院していたのを良く知ってるな。」
「実は昨日、咲真が助けに入るところから見てたんだ。俺は怖くて入り込めなかったけどな。」
普通はそうであろう。どう見てもヤンチャそうな男が数人もいるところに乱入出来る人など多くはない。
真糸達の状況を見て見ぬ振りしていた人物はそれなりにいたけれど、結局誰一人として菊理を助けようとも、真糸が暴力を受けているところに入り込む人もいなかった。
誰だって自分が暴言や暴力を受けるのは嫌なのである。
唯一大声で叫んだ人と警察救急を呼んだ人がいるけれど、それもどこの誰だかはわからない。
「そうか。だとしてもよくこの病院と病室がわかったな。」
真糸は同期同士の会話では普通に話す。それは後輩に対しても変わらない。
第三者や女性陣に対しては丁寧過ぎる話し方となる。
「この辺の救急車が運搬しそうな、そこそこ大きな病院を片っ端から当たった。」
「それは……凄い執念だな。まぁありがとうな。見舞いに来てくれたんだろ?」
真糸の表情を見て、大事には至っていない事を感じ取っている武田。
「それで、八洲さんは大丈夫だったのか?」
その言葉を聞いた武田は急に身体が硬直し、態度がぎこちなくなる。
「ん?どうした?」
武田の変化に真糸は問いかける。もしかすると何かあったのではないかと。
だとすると、最後まで対応しなかった自分にも非が出てくると考えが過ぎったようだ。
「それがな。八洲さん達も最後の方だけ見てたんだよ、真咲が救急車に運ばれているところ。一緒に救急車に乗る女性の姿もな。」
今度は真糸の身体が硬直し動きがぎこちなくなる。油の切れた昔のアニメのロボットのように。
「ってか、あの女性はなんなんだ?真咲のなんなんだ?関係ない第三者を助けての事じゃないだろ?それは遠くから見てた俺にもわかる。」
「彼女の態度を見てから……八洲さんの目から色が失われたんだ。」
もちろんそれは物の例えである。
「……ノー……」
「ノーコメントは却下。安心しろ、八洲さんに聞かれても答えないし、もちろん他の人にも他言はしない。社長命令だったらわからないけど。」
そんな社長命令があってはたまったものではないが、別に八洲素凛は社長令嬢ではない。
そのような命令はあるはずがない。これもまた物の例えであった。
「まぁ仕方ないか。他言したら……凌子ちゃんにある事ない事報告するからな。」
凌子というのは武田が交際している他部署の女性で、武田の一つ歳下で22歳。
ショートカットが似合う可愛い子という感じの所謂部署内のアイドルでもある。
「それは困る。もちろん他言はしない。」
武田は一応結婚を考えているので、不用意な事はしない。
少なくとも真糸はそこは信用していた。
保険の意味で言っただけだった。
「行きつけの花屋さんの店員だ。」
「は?」
武田は聞き返す。手を耳に当てて。
「だから行きつけの花屋さんの店員だ。」
真糸は言葉を強めにスタッカートを付けたかのようにもう一度言った。
「行きつけって……喫茶店みたいに言うのな。どうしたん、気になるって事?」
歳は下だけれど同期であるため遠慮せずにぐいぐいと来る武田。
実際に椅子から前屈みになって乗り出してきている。
「そういうのとは……俺は人を……」
「あ、そういうのはいいんで。過去に何があって今の姿があるかはわからないけど、今を生きる人には関係ないでしょ。」
楽観的な武田の意見ではあるけれど、いつまでも過去に縛られていても仕方ないというのも事実。
過去は変えられないし、都合の良いように書き換える事も出来ない。
少年院に入っただけで反省や謝罪が満たされないと思う真糸の考えも間違いとは言い切れない。
世の中にはもっと酷いので溢れているのだから。
その考えで24歳になるまで抑えてきたのだから、もうそろそろ前向きになっても良いのではないだろうか。
だからこそ、ふと目に入った彼女の元に何度も花を買いに行っていたのではないか。
真糸は少し揺れてきている自分自身に気付いている。
「店の女の子目当てに何度も通うのは、キャバクラとか風俗とかそういうとこだぞ。無自覚かもしれないけど、気になってないとは言わせない。
最初に気になってるかと聞いたのは武田ではあるが、あくまで確かめるために聞いただけで答えは何となくわかっていた。
それは武田が同じ男という生き物だからである。
「全く気になってないと言えば嘘になる。確かに白山さんだから助けたというのは否定出来ない。」
「へぇ、白山さんと言うのか。相手がどう思ってるかはわからないけど、嫌いとか興味ないとかはないと思うぞ。」
救急車に乗る前とか、乗り込む時の様子を見ていればなと武田は続けた。
「好きとか愛してるとかはともかく、前向きに生きても良いと思うぞ。いつも真っ直ぐ帰ってるのもその過去とやらが関係してるんだろ?」
武田はこれまで詳細を聞いてこようとはしてこなかった。
1年留年し歳が一つ上な事を知っても、どうして留年したかとかは一度も聞いてはいない。
人それぞれ人生色々あるのだから、そういう事もあるもんな、としか考えていなかった。
「お前と小学生から友人だったら……こうはなってなかったかもな。」
「で、お前から見た俺の様子はどうだったんだ?」
「騎士様だな。何が何でも彼女に手を触れさせないように庇ったり、やり返す事も出来たのにただ暴力を受けていたのも、目線を真咲にだけ向けさせるためだろ?」
「まぁボコボコにされてるところを見せられる彼女には気の毒だけどな。」
「やり返したら……多分逆に全員病院送りにはしてたとは思う。」
「そ、それは怖いな。でもそれをしなかったのは。」
真糸は店長が置いて行った花達を見て考える。
果たして本当に感謝されるような事を自分はしたのだろうかと。
「……彼女のため……と言いたいところだけど、自分のためだな。暴力を振るってる姿を見られたくない、もしまた警察の厄介になって花屋に行けなくなる事を避けたい。」
武田は黙っているが、「また」というところに反応を示していた。
「よく言うよ。それも確かにあるんだろうけど……まぁいいか。」
何が何でも守らなきゃというオーラのようなものを、あの時武田は遠くからではあるが受け取れていた。
「デートスポットとか知りたかったら教えてやるよ。」
「ちょっ、だからそういう関係じゃ……」
武田はにやにやしながら真糸を揶揄い始めた。
「昨夜の飲み会から少し変わったぞ。同期に対しては砕けた話し方だったけど、今はとてもフレンドリーになってる。」
「多分……昨夜何かあったな?これ以上は聞かないけど。」
真糸はやれやれとため息を漏らした。
「確かにこれじゃ、アイドルとはいえ八洲さんの入り込む余地はなさそうだな。」
武田は独り言のように呟いた。真糸には聞こえているはずだけれど反応はない。
「お前だって他部署ではあるけどアイドルと付き合ってるだろうが。」
「とりあえず俺はそろそろ帰るわ。このあとデートだし。」
「じゃぁ遅れたら大変だな。俺は今日か明日には退院するから月曜からの出勤には影響はないぞ。今日はありがとうな。」
武田は立ち上がる前にテーブルの上の花達に目をやった。
ふ~んと言いながら眺めている事から花の名前等を頭で整理しているのだろうか。
「あぁ、そう。そうか。それでそのテーブルの花があるのな。意識的にか無意識か……」
何か一人で納得をしている武田の姿があった。
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