第7話 あ~ん

 薬品の匂いと見慣れない機材に囲まれ、病院のベッドに横になるのは真糸。

 ぼろぼろのスーツは脱がされ病院の入院服を強制的に着せられている。


 治療を受けている間に、警察は白山菊理から事の顛末を聴取していた。

 

 真糸の治療が終わり、ベッドに寝かされているところで今度は真糸からも事情を聴取していく。


 整合性の確認も兼ねているのだろう。


 二人から話を聞くと警察は引き上げていった。


 時刻は23時を少し回ったところである。

 店の閉店時間も過ぎているのは瞬時に理解出来た。



 「白山さん、お店は、家の連絡は大丈夫ですか?」

 時間も時間なので真糸は心配していた。

 もっとも菊理が一人暮らしなのか実家暮らしなのか、それ以外なのかは知りようもないので、社交辞令の意味も込めていたりはする。


 「店は大丈夫です。店長に連絡がつきましたから。家は……友人の家に泊まると話しました。」

 友人にも事情を説明し、アリバイ作りに協力してもらったという事だ。

 確かに家族がその友人に連絡を取らないとは限らない。

 何の事?と返されたら今日の事を全て語らなければならなくなる。


 普通に説明すれば良いのではと思ったけれど、何か事情があるのだろうと真糸は考えた。

 そして行き着いた結論を口に出して良いのだろうか。

 白山菊理はこのまま病室に泊まるのではないだろうかと。


 「えぇ、私は大丈夫ですし。時間も遅いですから帰られた方が……」



 「いえ、私のせいで巻き込まれたわけですし。それに遅い時間に一人で夜道は……」

 そこまで言って菊理は身体を震わせる。恐らくは怖いと続ける気だったのだろう。

 男に手を掴まれた事で恐怖で一杯だったのだから、さらに危険の増すこの時間であれば更なる恐怖を感じても不思議ではない。


 「そうですか。でも着替えとか色々必要でしょう。私はいつのまにか入院服に着替えさせれてますが。」


 一呼吸置いてから気合を入れたかのように菊理は口を開いた。


 「ひ、一晩くらい大丈夫です。それに看護師さんには宿泊の許可をいただいてます。」


 真白は見ないようにしていたけれど、宿泊者用の簡易ベッドが組まれて布団が敷いてあるのは目に入っていた。


 「その、仮にも素性の知れない異性と同じ部屋で良いんですか?プライベートも何もないですよ。」


 「だだ、大丈夫……です。さ、咲真さんは何故か安心します……から。」



 「一応シャワーの使用許可は貰ってますので、行ってきます……ね。」

 病院の起点階には大抵コンビニが入っている、大きな病院であればいくつかの階床毎には自動販売機があり、飲食物以外にも下着や剃刀などの宿泊グッズも売っている。

 即席かもしれないが、泊まるには最低限のものが揃っているわけである。


 店員と客という間柄でしかないのに、ここまで信頼・信用されている理由は真糸には不明であり逆に不安でもあった。


 「薬……効いてきてるせいか眠い。」



 菊理がシャワーから戻ってくるよりも前に真糸は眠っていた。

 荷物を置き、菊理は真糸の横に座った。

 起きていればシャンプーやボディソープの匂いを感じていた事だろう。

 真糸は惜しい事をしていた。


 横に座った菊理は両手をベッドの腕に出し、布団の中に隠れていた真糸の手をそっととった。


 「不思議……まともに触れてるのに、握ってるのに……嫌悪感が湧いて……こな……い。」


 唐突に睡魔に襲われた菊理はそのままベッドに頬を置き眠りについてしまう。




 時計は回転を繰り返し、時刻は3時を少し回った頃。

 菊理は目を覚ます。

 そして自らの体勢に驚愕する事になる。


 真糸の手の平を枕にして眠っていたのだ。


 「ひゃっ」

 慌てて跳び起きるが、真糸が起きる様子はない。

 ほっと安堵すると菊理は握っていた手も放した。


 「さ、流石にベッドで寝ないと……」

 せっかく看護師に用意してもらったベッドを、無にするわけにもいかないと思っていた。




 その後、真糸は目を覚ます。

 単純にトイレで目が覚めただけである。



 トイレを済ませベッドに戻ろうとすると嫌でも目に入る簡易ベッド。

 綺麗な姿勢で寝ている菊理の姿が目に入ってしまう。


 「気に……なってるのか?」

 真糸は目に焼き付けていたかは不明だけれど、しばし寝顔を見てベッドに戻った。


 「じゃなきゃ、何度も通わないか。」


 「でも、俺は……倖せになる……資格はない。」





 「おはようございます。」

 真糸が目を覚ますと、既に菊理は起きており余所行きの恰好となっていた。

 

 「咲真さ~ん。朝食です。」

 看護師が朝食を部屋に運搬してくる。

 病院食なので栄養バランスは考えられているが、量は少ない。


 ベッドの台を引き出し朝食が置かれる。


 すると何を思ったか菊理は、箸を持っておかずを摘まむと……


 「あ~ん。」


 「へ?」

 突然の行動に真糸は驚いてしまう。恋人どころか友人というわけでもないのに、そこまでする菊理の行動に驚きは隠せなかった。

 

 「え、あっ。めめ、迷惑でしたか?」

 恐る恐る上目遣いで菊理が見上げると、小動物のように見えてとても微笑ましく感じてしまう。

 そのせいか、真糸も折れずにはいられないと自覚してしまった。


 「迷惑ではないですが、その……恥ずかしいというか。私などにこのような事をしても良いのでしょうか。」


 「そそ、そうですよね。恥ずかしいですよね。」


 「パクっ」

 いつまでもそのままというわけでもないので、真糸は差し出された魚の切り身を口に入れた。 


 「ひあっ」



 「さ、流石に恥ずかしいので残りは自分で食べますよ。」


 「そそ、そうですね。わ、私も物凄く……恥ずかしい。」



 看護師が食器を引き上げていく。

 そして暫く無言の時間が続くと来客が現れる。


 こんこんとノックの音がするので真糸は「どうぞ」と答えた。


 「あ、店長。」

 返事をしたのは来客の姿を見た菊理であった。


 「へ?」

 真糸は驚いていた。菊理の働く花屋の店長が真糸の病室に見舞いにきたのだから。


 真実は白山菊理を迎えにきたというのが正解である。



 「うちの従業員・白山を助けていただきありがとうございました。」

 店長は深々と頭を下げてくる。

 その言葉を聞いて店長が菊理を迎えにきた事を実感する。


 「いえ。偶然居合わせただけですので。彼女に大事がなくて良かったです。」


 「別の大事はありそうだけど。」

 小声で店長は呟いていたが、真糸にも菊理にも聞こえてはいない。


 「白山さん、帰りますよ。」


 「あ、はい。それでは咲真さん。昨日は本当にありがとうございました。」


 菊理は店長に引っ張られるように退出していった。


 一人病室に残された真糸は少し、手持無沙汰のように孤独を再認識した。

 束の間の安らぎは、孤独を余計酷く辛く感じさせるだけだった。

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