第6話 防戦は心配の種
街灯の灯りが闇を照らしている。
それは目の前の光景、白山菊理と周囲にいる男達。
それは自分の中に眠る、説明のし難い感情や思惑の渦。
他の人程多くは飲んでいなかったが、それでも多少の酔いは真糸の身体には残っている。
酔いの有無に関わらず、目を奪われたその光景に自然と歩がその方向へと向いている。
心臓の鼓動は酒の影響か、目の前の光景のせいか。
「や、やめてください。」
お店の中での声寄りは大きくはないけれど、それでも拒絶を意思する叫びは数mは離れている真糸の元にも届く程だった。
男達の声も真糸の元に届いていたのだけれど、脳内フィルターとでもいうのかそれらは変換されていた。
脳内フィルターによりこされてるが、実際には「いいじゃねぇか、この後俺達と遊びに行こうぜ」や「この後飲みに行かない?」や「全員相手は大変だけどよ。」の酷いバージョンであった。
その言葉を聞いた後の白山菊理の身体が震え、横顔しか真糸には見えなかったけれど怯えているように感じた。
用件はともかく、複数の男に囲まれていればそれだけで恐怖であるのだが、男達がそのような事を考えられるはずもない。
その証拠に男の一人が菊理の腕を掴んで引っ張った。
「ひっ、や、いやああぁぁぁああぁぁっ」
菊理の拒絶の仕方は尋常ではなかった。
無理矢理奥歯をむしり取られたかのような叫び。
ドラマ等で無理矢理連れ去られる時に上げるものとは明らかに違っていた。
「怖がっているし嫌がってるのでやめて貰えませんか。」
真糸は男の手を掴んでそれ以上男の行動を止める。
突然の来訪者に驚いたのか、男は菊理から手を離した。
「貴女はここから早く離れてください。」
真糸は敢えて名前を呼ばなかった。
万一の際、男達に名前を知られる事は彼女にとって不利益を被ると考えたからだ。
もっとも、お店のエプロンをしているのだから、探そうと思えば探せない事もないのだけれど、男達が果たしてそこまでするかどうか。
怯えて震えている菊理は何も出来ずその場から動く事は出来なかった。
真糸には見えていないが、微かに目からは雫が垂れていた。
今度は別の男が菊理に手を伸ばす。
「早く離れてください。」
少し強めに言うと我に返ったのか、若干ではあるものの菊理の震えは止まり、焦点もあったように真糸には映っていた。
数歩後ずさった菊理と男達の間に真糸は入り込み、逃げるための時間を稼ごうとする。
「てめぇ邪魔してんじゃねぇ!」
男は右拳をあまり引き絞る事なく、真糸の左頬へと突き出した。
「ひっ」
真糸は後ろで菊理が悲鳴を上げたのが耳に入る。
真糸はその拳を避けずに貰った。
喰らったというのは適切ではない、ボクサーのように真糸は首を回転させてパンチをいなしていたからだ。
しかしノーダメージというわけではない。
口元からは血が糸のようにツーっと垂れてきていた。
別の男が真糸の背中に跳び蹴りをかますと、真糸は地面に倒れてしまう。
そのまま複数の男達は、倒れた真糸に対して足を何度も何度も振り下ろして、何度も何度も脇腹を蹴飛ばしていた。
男達の意識は邪魔をした真糸を痛めつける事に集中したようで、菊理には誰も注視しなくなった。
悲鳴や男の怒号等で歩行者や近隣にいる人達が少しずつ気にするようにはなったが、誰も仲裁に入ったり警察に電話をしている素振りはない。
誰も自分がターゲットにはされたくはないのだろう。
もしかすると真糸が仲裁に入った事で、暴力を振るわれたところを最初から見ていた者もいるのかもしれない。
恐怖から声にならない言葉を漏らす菊理は、逃げる事は出来なかった。
「誰か警察を呼べっ」
この様子を見た誰かからのものだろう、漸くどこからか声が届く。
「ちっやべぇな。ズラかるぞっ。」
男達は最後に思いっきり真糸の身体に足を振り下ろすと、それを最後に一斉に走りさっていった。
残されたのはうつ伏せに倒れている真糸と、がくがくと震えている菊理。
数秒の沈黙の後、漸く少し前に足を動かす事の出来た菊理。
「ぁ、あ、だ、だいじょう……ぶですか。」
大丈夫ではないのだが、自然とそういう言葉が出るのは仕方がない。
消え入りそうな震えた声で菊理は真糸に問いかける。
菊理がもう一歩進んだところで真糸に変化が訪れる。
ピクっと足が動いたかと思うと、転んだ人が普通に起き上がるように真糸は身体を起こした。
「ひぃぁっ」
菊理が悲鳴めいた声を挙げるのは仕方がない。まさかすっと起き上がるなど想像も出来ないのだから。
「えぇ、大丈夫ですよ。見た目よりはですが。それよりも白山さんは大丈夫ですか?」
逃げていない事には言及はしない。あの状況で逃げるにしても助けを呼びにいくにしても、立ちすくんでも仕方がない。
喧嘩をした事のないが関係ない場所で勝手な事を言う事は出来るだろうが、抑こうういう場に慣れた人でないと難しいだろう。
「驚かせてしまいもうしわけありません。多少身体は鍛えてますので痛みや怪我は見た目程ではありません。」
そうは言っても、口からは血が流れているし、それなりにボロボロには見える。
菊理はポケットからハンカチを取り出し、真糸の口元の血を拭った。
「白山さん?」
菊理は血が付くのも構わず、優しく血を拭き取っていた。
更なる痛みが増さないように優しくそっと。
しかし拭いても流れる血はやんわりとではあるが止まる事はなかった。
「しばらく経てば止まりますよ。」
真糸は無意識にではあるが、菊理の手の上からそのハンカチで唇を押さえた。
一瞬びくりと菊理の手が震えるが、そのまま重ねたままその場所を見つめていた。
「自分で押さえますから。」
離して良いですよという意味も込めて。
その言葉で菊理は自分の手を引き抜いた。何故か若干名残押しそうに。
「洗って返しますので。」
心配そうに見つめる菊理に真糸は答えた。
それは汚れたハンカチに対して心配をしているわけではないのは真糸も菊理も理解はしている。
だが今の様子に耐えきれないために、次の言葉には困ってしまう。
返すという事は当然お店でという事であり、その時の事を想像すると今日の事を意識しないわけにはいかない。
なんとも言い難い雰囲気を醸し出していた。
真糸は男達の攻撃を受けてボロボロのスーツ姿となっていた。
足跡が至る所についていたが、破けてはいなかった。
「本当に大丈夫ですか?」
少し落ち着く事が出来たのか、菊理の声は震えてはいなかった。
先程真糸に触れられた時、男達に無理矢理握られた時と違い嫌な気はしていなかった事に気付いた様子はない。
男達が去った今、恐怖するものは何もなかった。
やがて警察と救急隊がやってくる。
事情を説明すると真糸は救急車へと乗り込んだ。
同乗すると菊理も乗り込んだ。
警官も一人同情するが、職務であるため仕方ない。
真糸が治療中に菊理から話を聞くのだろう。
「同僚に連絡だけして良いですか?心配かけるといけないので。」
真糸は武田に連絡を入れる。
「あ、武田。申し訳ないけどタクシーは呼べそうにない。そちらに迷惑をかけてしまうけれど後はお願いする。」
「あぁ。うん。八洲さんも大丈夫そう?それなら良かった。」
(このままにしておくわけにはいかない。)
電話を真糸は少し悪そうな表情をしていた。
それが意味するものを知る者はこの場にはいないが、その表情を見た者はこの場にはいない。
菊理は俯き下を向いており、警官や救急隊も顔までは見ていなかった。
救急車で運ばれて行った路地を、残った警察が調べている。
証拠の保存や周囲の聞き込みをしているようだ。
一部始終というには語弊があるが、真糸達の様子を少し離れたところから見ている者達がいた。
その中の一人は携帯のカメラで動画を撮影していた。
「咲真さん……」
菊理に介抱されている真糸の姿を見ているその表情には、複雑なものが混ざっていた。
胸に手を当てて悲痛そうにしているその様子は、とても少し前まで千鳥足だった泥酔者には見えない。
ベンチで介抱され、タクシー呼びに行く真糸を待っていた八洲は、ゴクリと唾を飲み込んでその様子を眺めていた。
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