第5話 期末と飲み会

 夏休みも終わり、世間では通常通りの日常が戻っていた。

 電車の中はいつも通りのラッシュ。不用意に触れまいと男性が吊革を持つ光景が増えている。


 しかしそれも都心部での話。

 真糸達が住むあたりではそこまで酷い状況にはない。


 そうは言っても駅に向かう人は多い。

 真糸にはあまり関係ないのだが、それでも人の流れを見ていると思う所はある。

 

 会社に近いとはいっても、その流れに反するように歩かなければならないのだから。


 

 9月になり期末という事もあって社内での仕事が忙しくなる。

 営業というわけではないので外出する機会も当然減る。

 態々電車を使って出歩けるような時間はなくなっていた。


 

 そんな多忙な期間が時間の流れも忘れさせる。気が付けば9月も末である。

 


 「終わったー。流石に今日くらいは飲みにいかないか?」


 この日は定時を少し回ったところで大体の仕事が終了する。

 期末故に纏める事が多いだけで、それもいつかは終わりがくる。

 その地獄の期末が漸く終わりを迎えたところで、気が緩むのは仕方がないのかもしれない。

 年度末に比べればまだ幾分かは楽なのではあるけれど。

 

 同僚の一人が誰に言うわけでもなく声をかける。


 「あ、良いですね。戦いが終わったーって気がしますもんね。」

 一人の同僚が続いた。その言葉を皮切りにあちこちで行きますかーと声があがる。


 「咲真さんもたまにはどうですか?」

 そんな中、同僚の女性が真糸に声を掛けてくる。


 少し茶色掛かった髪を後ろで束ね、小顔で可愛らしく薄い化粧にピシッとしたスーツ、そしてアイルランド人の父と日本人の母を持つハーフでもある。

 残念なのは胸だけと社内でも有名なアイドル的社員の【八洲素凛やしまそりん

 親がヤシマソブリンのファンだったかは定かではない。

 ただ、彼女の新人の時の挨拶の一つに「私はスタミナだけは負けません」といっていたので父親はアイルランド人だけれどミルジョージなのかもしれない。


 冗談で彼女の名前から「ソブリンちゃん」と呼んでいた上司も当時はいたくらいだ。

 現代の若い世代が競走馬の血統を言われても、ヘイルトゥリーズン系直仔ヘイロー産駒である大種牡馬サンデーサイレンスより過去のサイアーラインを言われてもピンとこない。

 

 

 そんなみんなのアイドル的社員八洲は、他の同僚と同じように何度か真糸を飲みに誘った事がある。

 真糸はこれまで歓送迎会以外で誘いに乗った事はない。

 それには当然真糸なりの理由があるのだが……


 同様に八洲が真糸に声を掛けてきたのにも理由があるのだけれど、声を掛けられた真糸にはわからない。

 他の同僚と同様にいつものように、たまに声をかけてくる内の一人としか思われていない。


 「……たまには良いですよ。でも21時前には帰りますよ。」

 明日も仕事ですからね、と続けた。

 現在18時20分。定時からは1時間は過ぎているのだが、期末のこの忙しい時期の最終日という事を考えれば良い方である。

 今から飲みに行っても二時間から三時間は飲食出来る。

 疲れはともかく気分は晴れる。溜まっていた仕事の鬱憤も飲んで話してスッキリする事であろう。

 

 社会人というのは良くも悪くもそういうものである。


 「おっ、咲真も八洲からの誘いは流石に断らなかったか。」


 「いえ、私も10回以上は断られてますからね。」

 八洲は恥ずかしさからか両の掌を振って即刻反論する。


 「それでも歓送迎会以外で咲真が落ちるのは珍しい事だ。」

 明日雪が降るんじゃね?と言っている同僚もいたくらいの珍事のようだった。


 真糸がなぜ承諾したのかは、自身でもわかってはいない。

 本当にたまには良いかと思ったのか、何かに引き寄せられたのか。


 「頑なに断るのは何かミステリアスに見えますからね。悪い言い方をすれば付き合いが悪いになりますけど。」

 若手が素直に言うが、受け答えなんてものは言う人聞く人によって印象は随分と変わる。


 見た目がしっかりしていて仕事も卒なくこなしているために、真糸はミステリアスな方に受けられる事が多い。


 「いや、単純に酒は苦手なんです。」

 真糸は返答をするが、誰も聞いてはいない。

 


 


 「おつかれサマーでした。」×多数


 とりあえずビールからとりあえずハイボールまで多種多様である。

 自分のグラスやコップを持って高々に掲げてお疲れ様飲み会は始まった。



 奥でもなく手前でもない中途半端な場所に真糸は座っていた。

 右隣には同期の武田豊。一文字なくなれば、かの有名ジョッキーと同じ名前である。

 

 真糸の手元にはカシスオレンジが置かれている。

 真糸は甘いものが好きだった。ヤンチャしていた時は言えなかった事実でもある。

 酒を飲むきっかけは新入社員歓迎会の頃。

 真糸の誕生日は早いため人より早く年齢が上がる。


 そして1年留年している事は最初から隠す事はしなかったため、歓迎会が行われる時には高卒新人ではあっても既に20歳。

 隠れてこっそり飲まなくても法律的にはクリアしていた。

 そのため、上司や先輩達からは他の高卒新人達がソフトドリンクに対して、真糸にだけは酒を勧めていた。

 

 しかしその時から真糸はビールや日本酒等は殆ど飲まないようにしていた。

 どうせ歓迎会で飲まされるだろうと、20歳を超えて直ぐいくつかの酒を少しずつ試していた。

 その結果、甘いのなら無難だと行き着く事になった。


 万一酒のせいでかつてのようにヤンチャになり、暴力や性的な行動に出てしまってはイケないと考えての事である。

 

 同期は年齢は一つ下だけれど、そこは会社なのでお互いに気にしていない。

 真糸は会社では基本丁寧な口調を使っている。

 同期以下年下にはタメ口を使ってはいるけれど、それでも丁寧な話し方をしている。


 飲みの場では右の武田、左の八洲に絡まれ真糸は聞き手となりやり過ごしていた。

 開始直後は普通に話していた面々であるが、一度酒が回れば皆思い思いの行動言動となる。

 八洲でさえ、最初こそ大人しく話していたけれど……


 「咲真さんはどうして私(達)の誘いに乗ってくれないんですかぁ?」

 八洲は絡み酒タイプであったようだというのが、真糸の中で記憶された。


 「今日は乗りましたけど?」

 真糸は冷静に返す。既に八洲は出来上がっていた。


 「それは大人数だからじゃないですかぁ、それとその話し方です。私達同い年じゃないですかぁっ。」


 「でも入社は八洲さんの方が一つ上です。」

 

 「パイっパイッセンっ!」

 どこかの同僚が調子に乗ってはしゃいでいた。

 八洲はその声がした方向をまるでゴミを見る目で見ていた。

 

 「その蔑んだ視線もたまらないっ、そこにシビれるあこがれるゥ。」

 酔っ払いは放っておいて、八洲の視線は真糸に戻る。


 「上……上って……私そこまでおばちゃんじゃないですぅ。」

 「って違う。誕生日で言えば咲真さんの方が上になるじゃないですかぁ。言ってみれば私は妹的存在なんですよ。」

 「あ、妹じゃだめ……」

 絡み酒の上に一人ツッコミする人だなと上書きされていた。


 「ほら、無理してはだめですよ。」

 真糸はいつ注文していたのか、新鮮な水を八洲に手渡した。


 「あ、流石咲真さん。ありがとうごじゃいましゅぅ。」

 その水を受け取って一気飲みをする。


 「あ、もう眠くなって……」


 


 「あーーーーー、咲真さんずるっ。滅多に飲み会参加しないのにずるっ」

 向かいにいた後輩からブーイングを受ける。


 眠くなったという八洲の頭が真糸の肩に止まって、軽い夢の中へ旅だっていったからである。


 「これ以上無理させるわけにも行かないんで……」


 

 「そういう事なら私達が送りますよ。」

 女性社員の2人が声をかけてくる。


 「女性だけでは危ないです。武田、一緒に行こうか。」

 

 男2、女3で先に店を出る。

 途中ふざけるなーとかお持ち帰り厳禁とかいう声が上がるがそれは全員が無視をする。

 幹事扱いの男性社員に会費(いくらかはっきりしないので適当と思われる額)を手渡し店を後にした。


 辛うじて目を覚ました八洲ではあるが、真糸と女性社員に肩を預けながら、ふらふらと歩き始める。


 八洲も女性社員も、幸いにして電車には乗らず家は遠くない。

 酔っているし危険なのでタクシーを見つけて送ろうという結果になったのだけれど、中々見つからない。

 これが田舎の厳しいところではある。

 駅に行けばあるのだろうけれど、駅まで八洲が歩けるか不明である。


 暫く歩くとベンチがあるため、一旦そこで休憩する事にした。

 途中武田が水を購入しており、水分補給も忘れない。


 トイレは店から出る前に強制的に行って貰っている。

 家に着くまでが心配のための配慮ではある。


 タクシーを呼びに行こうと真糸が立ち上がり少し歩き始めると、建物の外れで思いがけない人物を発見する。



 「何でこんな時間のこんな所に?」


 それは白山菊理が花屋のエプロンをつけた姿で、数人の男に絡まれているところであった。 

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