第4話 常連になると話題にもあがる
「咲真さん、今日もいらしてくださったのですね。本日はどのような花をお求めでしょうか。」
白山菊理だけでなく、殆どの従業員にとっても真糸は常連として認識されている。
真糸は全く意識していないけれど、どちらかと言えば負の花言葉を持つ花を購入する事の方が多かった。
他の購入客もそういったところを気にしてはいないのだろうけれど、真糸の購入頻度は他に比べて多い。
普段馴染のない人であれば、せいぜい贈り物としての薔薇かお店の出店時などの胡蝶蘭くらいしかではないか。
最初こそ月に2度程であったけれど、夏の終盤には毎週来店していた。
それだけ来店すれば、名前を名乗る機会くらいは出てくるというもの。
ネームプレートで知られてしまうとはいえ、店員だけ名前を知られるのにフェアではないと感じて名乗っていた。
「最近良く来店されますね、(花)好きなんですか?」
という言葉に対して、真糸は少し考える素振りを見せつつも答える。
「初めて来店した時は本当に偶然なのですが、それ以来気になり始めまして。部屋が殺風景なので華やかにもなって落ち着くんです。」
商品である花を包みながら、何気ない世間話をする井戸端会議のおばさまのようにすらすらと言葉を流してくる店員。
白山以外の店員ともコミュニケーションが取れるくらいには、真糸の来店頻度は高くなっていた。
駅前とはいえ、閉店時間は20時と近隣の店舗に比べれば早い。
都心に比べれば飲食店といえども閉店時間は早いのだが、この時間であればまだ開いている店が目立つ。
住宅街であるため、駅から降りてきた人達は真っ直ぐ歩いて帰るか、迎えにきた家族の車に乗り帰宅する人がほとんどである。
当然酒を絡む飲食店目当ての来客は少なくはない。
しかし飲食店の客が少なくないのは、帰宅前に寄る人もさながら、夕飯代わりに酒を飲みにくる地元民がそれなりにいるからでもあった。
閉店後の店内。
白山菊理は店内の掃除をしている。
花屋内では店長と若い女性従業員が閉店作業をしながら会話をしていた。
「誰か目当ての人でもいるんですかね~。」
若い従業員が店長に話しかけた。
手を動かしながら店長はその言葉に耳を傾ける。
「誰の事?」
従業員として、ましてや店長という上に立つ者として、来客する人の事をあまり話題にするわけにもいかない。
それが良い意味でも悪い意味でも。
「夏なのにあのビシっと決めたスーツの人……最近毎週来ますよね。」
真糸は世の中がクールビズであってもスーツの上着を着用している。
真糸以外にも夏場にスーツの上着を着用している人はそれなりにいるのだけれど、真糸の場合にはスーツのよれもなく綺麗に着こなしている。
決して高いスーツではないのだけれど、見た目と清潔感だけは損なわないようにしていた。
短い髪もまた清潔さを表現するのに買っていた。
真糸にはそこまでの意識はないのだけれど、少年院時代の丸坊主がロングに対する意識を奪うのと、不良だった頃の自分を彷彿とさせてしまうので伸ばそうとする意識は皆無まだけであった。
「5月の末からかしらね。私の記憶が確かなら5月27日にマトリカリアの花を購入してからかしら。」
「店長なんでそんなに詳しく覚えてるんですか~。」
「全部を覚えてとは言わないけれど、マトリカリアは誕生花でしょ5月27日は。」
他意があるかなんてのは店員の誰にもわからない。
身内や友人等に5月27日生まれの人がいて購入していったのかもしれない。
それこそ良い関係の人がいて、その人の誕生日が5月27日だったり、偶然好きな花だったのかもしれない。
そうであれば、最初は知識も興味もなかったけれど、一度花屋で購入してみると花の良さに気付いて惹かれてという事も考えられる。
店長はそれでも感じるものはあった。
一人に対してだけには醸し出すオーラのようなものが違うと。
「それに5月27日は……」
この呟きは若い店員には聞こえる事はなく独り言となった。
「おばちゃんは……見守るだけよ。」
真糸が本日購入していったのはベニバナ。
開花最盛期は7月であるが、大体6~8月が出回る時期である。
花言葉は「化粧」「装い」「包容力」
負の花言葉を持つ花を多く購入していた真糸からすると、珍しくなんとも形容し難いジャンルである。
しかし、それらは偶然なだけであって、真糸は意図してそういった花を選んでいたわけではない。
購入してからどんな花なのかとか、育て方とかを調べる程度である。
ベニバナは染料としても使えるのだけれど、真糸は帰宅後調べるまでは知る事はない。
山形のベニバナは染色が必要な職の人には有名であるし重宝もしている。
河北町のべに花の里はそこそこ知名度があるのではないだろうか。
そんな裏話も店長だからこそ豆知識として知っている事であり、今話していた若い店員はそこまでは知識としてはない。
生育法や注意点、花の色や形、花言葉の一部を知っているだけでも充分なのである。
花屋店長、自らをおばちゃんと称してはいるけれどまだ30代である。
もう一つ余談があるとすれば、ベニバナの種子から抽出した紅花油、サフラワー油も馴染はあるはずである。
真糸の部屋には物が少ない。
とはいえ、まったくないわけではない。
寝具周辺だけは他人から見ればカオスな状況であっても。
この2ヶ月少々の間に増えた数々の花に囲まれる環境になっても。
会社に斡旋にきたBOSEのスピーカーを何の気もなしに買ってしまった経緯がある。、
これまではオブジェのように置かれていただけのスピーカーも、たまに起動させる事はある。
流行りの曲には疎い真糸ではあるが、中学まで野球をやっていた関係もあって、甲子園入場行進曲にちなんだ曲や歌手については多少なりとも心得があった。
現在リピートされているのは歌手繋がりで「もう恋なんてしない」
こんなにいっぱいの花に囲まれて暮らすのも倖せと知った。
だからこそ、無駄なものに囲まれての部分をもじって花に置き換えているだけかもしれない。
いや、倖せになるべきではないと自覚してはいても。
8インチCDがとてもシュールに映っていた。
ヤカンから噴き出る湯気の音が真糸を現実に引き戻した。
花に囲まれて紅茶を飲むのが最近の日課となっていた。
確実にあの花屋中毒になっている自分を自覚し、そうではないそうではないと振り切るかのように落ち着かせるために。
「白山菊理さんか……俺は惹かれてる……のか?」
随分と遅い自覚である。
刹那、「ズキンッ」と頭に痛みが走る。
それは脳腫瘍や脳溢血のような病的な痛みではなく、記憶に何か作用した時の心から来るものである事にまでは自覚するには至っていなかった。
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