第3話 負の花言葉も知らなければ綺麗な花
「いらっしゃいませ。」
店員の声が木霊する。客の入りはまばらで、それぞれ花を観賞していた。
真糸は店内を見渡したが、先日の笑顔が素敵な女性店員は見当たらない。
今日は休みだったか、と真糸は判断するとこの後どうしようかと悩む。
そして悩んでから気付く、自分は花のために来たのか彼女を一目見るために来たのか。
真糸は首を振って邪念を振り解くと、店内を回る。
落ち着いて花を見ていると、店内の香りにも敏感にもなってくる。
花に近付き匂いを嗅いでいる客の姿もあった。
生花が漂わせる香りが心を落ち着かせていく。
色とりどりの草花が、真糸の灰色の心にカラーを彩らせて広がっていく。
家と会社を往復するだけの毎日に差し込む一陣の風。
知っている花も知らない花も、今の真糸には全てが安らぎに感じてきていた。
「ここにいるとなんだか落ち着く。」
独り言が漏れていた。真糸自身は見る事は叶わないが、とても安らいだ表情をしていた。
「植物は心を洗ってくれますからね。」
真糸の後ろから声が掛かる。
真糸が振り返ると、件の女性店員が切り花をいくつか持って立っていた。
「どうも。」と軽く会釈をすると、彼女は店の奥へと消えていく。
彼女が現れた事で、真糸の心は少しだけ高揚を覚えていた。
一際珍しい花でも見ようと、真糸は他の客のように店内を歩き始める。
ふと足を止めた真糸は、外周が黄色く中は赤い葉っぱの植物に目を向ける。
蕾があるのでまだ花は咲いていない。
初夏になれば咲くと説明に書いてあった。
あとひと月半くらいだろうか。
少し目を奪われたためか、購入しようと決める。
家に花や植物が少しくらい増えても構わないだろう。
人に、他人に迷惑をかけるわけではないのだから。
レジに持って行くと件の彼女がレジを担当していた。
最初にいた店員の姿は今は見えない。
「コリウスは7月くらいになると青か紫色の花を咲かせます。ですが花が咲くと葉の色が褪せてしまうんです。」
「それは別に病気とかではないので安心してください。でも少し、儚いですよね。葉も綺麗なのに……」
話しながら後半少しだけ憂いた表情となっていく。
「ってこんな事聞かされても困りますよね?」
好きなものの話となると、マシンガンのように止まらない子供のように、店員の話は尽きそうにない。
「いえ、色々な豆知識とかが聞けて嬉しいですよ。私は特に詳しいわけではないのでありがたいです。」
「もし今の話を聞いていなければ花が咲いた時、葉の色が褪せていたら何かの病気かと思ってしまいますから。」
「お役に立てたようで良かったです。」
彼女は微笑みながら包みを真糸に手渡す。その表情に真糸は目を奪われていた。
そして軽く会釈をした時に、今度こそネームプレートが目に入った。
【白山菊理】
それがこの笑顔が素敵な店員の名前だった。
ズキンっと真糸の脳と胸に突然衝撃が走る。
ドキっではない事に真糸は言いようのない違和感も同時に覚えた。
「人間のエゴや都合の良い解釈はあるかも知れませんが、花にはそれぞれ意味が……役割がありますからね。」
真糸は帰宅すると、今日買ってきたコリウスの鉢を部屋の隅に置いた。
これから増えるかもしれない花の配置を脳内でシミュレーションして、どこに置くかを思い浮かべていた。
もちろん場所の移動もあるだろうけれど、花に囲まれて過ごす未来を少し想像して「フっ」と笑みすら漏らしていた。
コリウスの花言葉は「かなわぬ恋」
この花が咲くであろう7月・8月……真糸の冷えた心にどう映るのか。
真糸は花に対して知識があるわけではない。
購入した花の事は少なからず検索して調べたりはしている。
しかし温度や湿度、太陽の光や影、水の量等、どの花がどう適度適量かなんてものはほとんど知らない。
それでも枯らす事無く綺麗に花を葉を維持させていた。
そしてそれから隣市に行くたびに真糸は花屋へ寄り、その都度何かしら花を購入していく。
件の女性店員、白山菊理にも他の店員にも真糸の顔は既に常連として認識されていく。
ベランダにはアサガオとユウガオ、ゲッカビジン、秋に向けてまだ花は咲かせていないがオミナエシの鉢が置かれていた。
それら全てが「はかない恋」という花言葉を持つとも知らずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます