第2話 裏ヒロイン?

 朝陽がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を線のように照らす。

 その先にはベッドがあり、そこに収まる……寝ている男の顔に太陽光線という攻撃となって襲っていた。


 光の照射により、それが目覚まし代わりとなり男は夢の世界から帰還する。


 「うぉっ」


 飛び起きるように上半身をあげると、右手で目を擦って夢からの覚醒を自覚する。


 目ヤニを取って欠伸をすると、上半身だけ身体を伸ばした後ベッドから降りた。

 ベッドの上には人にはあまり見せられない枕と掛布団カバーとシーツが存在感を露わにしていた。


 「今日は土曜日か……」

 

 ベッドの枕元に置いていた目覚まし時計には時刻と日付が表示されている。

 そこに示すは5月28日、10:20だった。

 24時間表記なので間違いなく午前中ではある。

 余談ではあるのだが、この目覚ましは喋る。ベルの代わりに盤面に描かれているキャラの中の人が喋ってくれる。


 趣味も娯楽もと言いながらも、倖せも否定しようとしていたけれど、偶然見た深夜番組はたまに見るようになっていた。

 三次元では倖せに連想してしまう、それならば二次元ならばギリセーフかと考えていた。


 トイレに向かおうと歩き出したところで視界の一部に入る、昨日新たな住人。

 いや、人ではないので景色、置物というべきか。


 新たな仲間となったマトリカリアの花が男の方を向いていた。

 鉢植えで買ったのだから花は一輪ではない。ほぼ全方向を向いている。


 向日葵のように太陽の光に導かれるわけでもないので、どこから見ても花が自分を見ているような錯覚にもなるだろう。


 「喜び……か。」

 彼女を見かけた事が彼のささやかな喜びなのかもしれない。


 彼……咲真真糸にとっては自らの過去を引きずる中では、太陽のような存在。

 一縷の光にも感じた店員の女性。


 一瞬で心奪われた……というよりも、彼女の何かが自分に入り込むような。

 空のコップが一瞬でエナジードリンクで満たされたような感覚。


 それを喜びと感じて良いのかわからないけれど、真糸は確かに世界が変わった瞬間を味わっていた。


 一方で、自ら犯した過去の過ちに捉われ、自分は人並みの人生を歩むべきではないと、彼女と深く関わるべきではないと考えていた。


 過去がなければ、ナンパ師程ではないにしろ声を掛けていた可能性は高い。

 今でこそ後ろめたい気持ちからか、進んで人付き合いをしようと考えていない真糸ではあるが、罪を犯す前までは寧ろガンガンと遠慮なく突進していたほどだ。


 髪の色こそ染めてはいなかったが、バスケがしたいですと有名なキャラよりも少し長いロン毛で、地元の仲間と共に不良グループに存在していた。

 中学時代は隣の中学とのナワバリ争い的なものにも参加していたし、仲間と一緒にナンパもしていた。


 成功し性交した事はなかったが、不良仲間としての異性は存在していた。

 しかしそこには性別の壁はなく、一緒にバカやっていた仲間という共通認識でもあった。


 真糸を含め、当時の仲間達は悪い事をしていた認識はあったけれど、他校との争いやらちょっとした所謂ブイブイ言わせていた程度の悪童でしかなかった。

 不良ではあったけれど、暴走族に入ってはいないし、本職の人との繋がりもない。


 仲間の仲間がそういったグループと付き合いがあったかもしれないけれど、中学時代は地元のワル程度でしかなかった。


 「今頃何してるんだろうな。」

 花と目が合う事で、ふと過去……昔の事を思い浮かべながら、中学時代の仲間だった者達の今を想像していた。

 そのまま高校まで一緒だった者も、別の高校に行った者も、中卒で就職した者もいる。

 今頃どこで何をしているのか、真糸に知る手立てはない。


 自ら情報も行動を遮断しているのだから知る由もない。



 

 人並みの人生を歩むべきではないと思いつつも、本当に何もしていないわけではない。


 過去の事を思い出さない日はない。

 自分のせいで心身に傷を負わせた彼女の事を思わない日はない。

 心の中でいくら謝罪してもそれが相手や家族に届く事はない。


 そうした時に落ち着かせてくれるのが……


 カチッ、シュボッ、フゥと一連の動作で行うのは。

 「はぁ、どうしても煙草に逃げてしまうな。」


 中学生の頃、仲間達と隠れて喫煙をしていた。

 少年院に入ってから大人になるまで禁煙をしていたけれど、20歳を超えた時から再び吸い始めるようになっていた。

 

 嘘か真か、煙草を吸い吐き出す事で心が一旦落ち着ける。

 これは喫煙者の誰かが言った事だけれど、実際真糸もそれで一応は落ち着けているので完全な嘘や噂というわけでもない。

 泥沼に落ちそうになる心が一旦陸に留まる事が出来ていた。


 「彼女の名前……見る事が出来なかったな。」


 花の事を説明してくれる彼女の顔を見ると、どういうわけか心が洗われていく感じを受け、他のところに目がいかなかった。

 それだけ彼女が親切丁寧にしてくれていた事の証でもあるわけであるが……端的に言えば彼女の首から上から目が離せなかっただけとも言える。

 細く色白で繊細そうな首。

 その上にちょこんと……そこまで小さくはないが、所謂小顔で、美人というよりは可愛い顔で、左目の下にある黒子が印象的で。

 

 ぱっちりとした睫毛と優しそうな目、一つ説明する毎に微笑む仕草が愛おしく感じて目が離せなかっただけである。


 商品をレジに持って行き、お金を渡してお釣りを貰う。

 合間に商品のちょっとした話をしてくれて、購入に対してのお礼をされる。

 

 たったこれだけなのに、彼女に釘付けとなってしまっていた。


 思い出しただけでも真糸は赤面してしまう程に心を洗われてしまう数十秒であった。



 「だめだ、俺は倖せになってはいけない。そんな希望は抱いてはいけない。一人の人生を台無しにしてしまった俺が……」


 「それでも彼女を見ていると……」


 チーン、バンとトースターからパンが飛び出してくる。


 負の思考をする真糸に対して、まるでそれ以上考えるなと言われているようであった。


 



 程よく焼けた食パンを取り出すと、バターを塗ってザリュッザリュッという咀嚼音と共に口内へと運ばれていく。

 


 朝食を食べ終わると、流しに食器を運んで洗い流す。

 今の汚れ、今のうちにというやつである。

 

 趣味も娯楽も持たないようにしてはいるけれど、何もしないわけではない。

 携帯を取り出すと、テーブルについた。


 カシャッカシャッと色々な角度から、昨日買ったマトリカリアの花を撮影していく。

 

 「せっかく綺麗で可愛い花だしな。」

 綺麗に咲いている間だけでもその姿を捉えておこうと記録に残していった。


 真糸の携帯電話には、連絡先欄には多くの人間は登録されていない。

 家族と、会社と少年院の連絡先くらいだけだった。


 少年院から出た後、新たに購入したために登録者数はゼロからのスタートだった。

 とはいえ、何かあるわけでもないし連絡する相手はいない。


 写真を撮影したからといって、メールやメッセージをしたりとかはない。

 撮影した写真を順に送って行くと、負の思考に陥る自分を少しだけ癒してくれる。

 

 そんな気がしていただけで、他意はない。

 真糸の生活の一部に花を見て和むという1ページが加わったに過ぎなかった。


 「また……会えるかな。会っても良いのかな。」

 それは誰に対してか。


 花屋の彼女か、それともかつて人生を狂わせてしまった彼女にか。


 

 真糸の部屋にはあまり物がない。

 そのせいかスペースは同じアパートに住む他の住人よりは確実に広い。

 就寝スペースが異質な以外は殆ど物がない。


 趣味も娯楽もないとなると、やる事は一つしかなかった。


 深夜アニメの鑑賞である。


 いや、階下の迷惑にならない程度のブートキャンプである。 



 中高と不良ではあったけれど、小学校の頃は地元の野球チームに所属しており、中学では野球部に所属していた。

 半分はワルの巣窟ではあったけれど。

 身体を動かす事は必然として嫌ではなかった。


 人との繋がりを持たないように自宅で出来る事といえば。


 食う寝る遊ぶの食う寝るに当てはまらない遊ぶの部分。

 特にやる事もないので、自宅で出来る運動……それは結局筋トレやブートキャンプくらいしかなかった。


 出所後も身体を動かす事自体は辞めていない。

 新たに入りなおした高校では部活には所属せず、祖父母のツテを頼りバイトに明け暮れていた。

 

 田畑を耕したり、家畜の世話をしたり、爺さん連中と麻雀打ったり(もちろん賭けはしていない)と……

 所謂何でも屋というか、仕事の手助けというか、便利屋のような事をしていた。


 そのせいか、筋肉や体力は運動部並にはついていた。


 

 考えの纏まらないまま数日が過ぎていった。


 月に一度、若しくは二度例の会社には訪問する事がある。

 真糸はあの時の一度しか花屋には赴いていない。


 そして再び例の会社に訪問した帰り道。

 無意識に件の花屋へと足が向いていた。


 その少し手前。

 駅前横断歩道によろよろと歩いている老婆が青色の横断歩道を渡っている姿を発見する。


 真糸がその姿を捉えると、その向こう側……車道が目に入ると同時に全く速度を落とさないバイクの姿を捉えた。

 危ないと判断した真糸は老婆の前に小走りで向かうと、バイクは老婆の直ぐ傍を信号無視して走り去っていく。


 「ババァ邪魔だっ。」

 邪魔はお前だし、抑信号無視だろう、場合によっては殺人未遂だぞと真糸は思ったが、直前を走り抜けたバイクに驚き老婆は後ろに転倒しそうになる。


 「おっと。」

 真糸は倒れそうになるのを身体を呈して受け止めた。


 「大丈夫ですか?」


 真糸は少年院を経験し、同い年を先輩と呼ばなければならない世界において、言葉遣いが不良時代とは真逆に丁寧になっていた。


 「ぁ、あぁ。だ、大丈夫だぁ。ありがとうねぇ。」


 「そろそろ信号点滅すると思うんで向こう側まで運びますね。」

 真糸は老婆の肩を抱いて反対の腕を足の下に通す。

 所謂お姫様抱っこをする形となる。


 「あらあら、まあまあ。」

 老婆の心は揺れていたに違いない。

 恐らく存在するであろう旦那にして貰った事があるかはわからないが、その年齢でお姫様抱っこなど外国ではあるかもしれないが、恋愛奥手大国日本ではないに等しいだろう。


 「よっと。」

 信号を渡り終えると老婆を優しく下ろした。


 周囲からは何故か歓声があがっているが、真糸の耳には入っていないようだった。

 その中にはなんだあのバイクはや、信号無視だろという声も入っている。

 

 「おばあちゃん怪我はない?」

 真糸はじっくり観察するのは失礼と思っているのか、端的に老婆を見ると安否を確認した。

 本人の口から聞くまでは安心を得られないからだ。

 老婆は少し考える素振りを見せた後軽く身体を動かして確認している。


 「だぁいじょうぶですよぉ。お兄さんのおかげで大事には至らなかったよ。」


 それじゃ私はこれでと真糸は離れようとする。


 「お兄さん、ありがとねぇ。これどうぞ。」

 断ろうとする真糸の手に無理矢理何かを手渡した。


 老婆は頭を下げてゆっくりと歩いて行った。

 真糸の手には飴玉(袋入り)が握らされていた。


 真糸達が別れた頃、少し先では先程の暴走バイクはきっちり警察に捕まっていた。

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