第54話 ろくでもない大人
恭平の家は、俺の下宿先からそう遠くはない。徒歩で行ける。
あいつも下宿しているが、住んでいるマンションはかなり新しく内装も綺麗。
聞いたことは無いが、うちよりも一万くらい月当たりの家賃が高いんじゃないかな。そんな部屋に住んでいる。
ワンルームでロフト付き。初めて彼の家に行ったとき、ロフト付きの家なんて見たことが無かったからはしゃいでしまったのを覚えている。
羨ましいと言うと、「いや、最初は良かったんだけど、女の子と良い雰囲気になったら一々上らないといけないから怠いぞ」と返されたっけ。
当時、彼は相田と付き合う前。俺は童貞。
彼に唾を吐きかけてやろうかと思ったが、すんでのところで我慢した。モテない男の僻みだった。
地図アプリを開かなくても大丈夫な程度には親しんだ道のりを辿り、インターホンを鳴らすと、出来上がった長身の男が出てきた。
「お、来たな」
「うわ、顔赤いな」
肌を梅干しみたいに紅潮させて現れたのは、部屋の主である恭平。
元々酒を飲むとすぐに顔が赤くなる男だが、既にかなり飲んでいることがわかった。
「いつから飲んでたんだよ」
「飯食った後だから、八時くらい?」
四時間以上ぶっ続けで飲んでいたのだろうか。
こいつも小寺もそう酒に強くないはずだが。
おそるおそる恭平の後ろから覗き、部屋の様子を窺ってみるが、ここからでは小寺の姿は見えなかった。
「入ってくれ、酒なら結構買い込んでるから。好きなだけ飲んでくれていい」
通されて、廊下を歩きリビングへ。明るい照明の下にいたのは、空いた缶の酒とつまみが雑に置かれたテーブルに、腕を組んで枕にしている小寺だ。
「寝てるのか?」
「いや、さっきまで喋ってたし、起きてるだろ。小寺〜、良介来たぞ」
恭平に呼びかけられ、「んん……っ」と身体を捩らせ顔を上げる小寺。
目の焦点が合ってない。こいつも大概飲んだな。
「……硲!?」
俺と視線が絡んだ彼はこちらを見て声を上げた。彼の勢いのある反応に肩を跳ねさせる。
「お、おう」
「ぐすっ、ごめんよぁ」
小寺は俺の足を取るようにして抱き着いてきた。態勢が保てなくて尻もちをつく。
「いって……お前飲み過ぎだろ」
「ぼくのことを嫌わないでくれよぉ」
「嫌ってない嫌ってない」
「本当?」
「本当」
「嘘だぁ」
足が力強く抱きしめられた。痛いが。
絡み酒にもほどがある。こんな酔い方をする奴だっただろうか。蹴とばしてやりたいところだが、こちらに非がある以上無下に扱うわけにはいかない。
「硲に嫌われたら、ぼくは泣く。泣きじゃくる」
「すでに泣いてるだろ」
小寺に絡まれていると、俺の隣に缶チューハイが置かれた。九%のやつ。
「何があったんだよ」
隣の座布団に座った恭平にそう言われた。
「何って……まあ、ちょっとな」
「そのちょっとが気になるんだが。こっちは大変だったんだぞ」
恭平は小寺がこうなるまでの経緯を語ってくれた。下宿先に帰ってきた旨をSNSに投稿したら、小寺から連絡があった。
『飲まないか、暇なんだ』
そう誘われたらしい。
暇だった恭平はそれを承諾し、小寺とゲラゲラ笑いながら漫才番組を観て飲んでいたが、俺の話を振ってから様子が変になったようだ。
「男とは思えないくらいウジウジしてたぞ。『ぼくなにかしちゃったかなぁ』、『硲に嫌われちゃったかなぁ』って」
恭平は小寺の声真似をしたようだが、欠片も似ていなかった。
それよりもだ。
「すまん、迷惑かけた」
「面白いからいいけど、マジで何があったんだよ。小寺から話は聞いたけど、何も悪いことはしてないみたいじゃないか。誰だっけ、
「
俺のツッコミにへらへら笑って、先ほど置いた酒を「ん」と差し出してきた。
この酒、苦手なんだよな。味は嫌いじゃないけど、すぐに酔うから。気を抜くと一瞬で潰れる。
表示されている度数が嘘なんじゃないかってくらい酔いが回る。
恭平と小寺が飲んでいるのはもう少し控えめな酒で、俺にだけこれを渡すということはとっとと酔って口を割れということだろう。
来る前から、俺が喋りたがらないと察していたのだろうか。だとしたら、
拒否したいところだが、恭平には迷惑をかけた。
それにだ。
良い機会だと思った。
酒を飲まないと、こんなこと誰にも
俺の酷く醜い歪んだ感情、そしてそれでも抱いてしまった綿岡への恋心。
それをなんとか整理して行動に移そうとした矢先、橋川と綿岡が一緒に歩いているところを見てしまった。
自分の中で、もう心中のざわつきが収集つかない。
結局するべきことは決まっている。告白するのだ。
たとえ、あの日をきっかけに綿岡がよりを戻すことになっても。別の要因でフラれるとしても。今の関係が壊れてしまうとしても。
もう想いすら伝えられずに失恋するのは、嫌だった。
だが、告白するとしたら成功させる。最初から負け戦を挑む気は無い。
だから策を練る。それには恋愛強者の二人の力を借りるべきだと思った。
だが、それを嫉妬している対象の相手に心中を語るなんて、プライドの塊である俺にはとてもじゃないが、無理だ。
普段ならな。
この危機的状況に加えて、アルコールがあれば何とか話せるだろう。
恭平の手から受け取った缶の蓋を開けた。
風呂上がりに牛乳を飲み干すように、腰に手を当てそれを一気に腹の中へ注ぎ込んだ。
二十歳の夏。胃袋に流れ込んでくる不快な感覚で、ろくでもない大人になったなと実感した。
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