第47話 焦燥感

 荷物と土産の品を詰め込んだスーツケースをごろごろと転がし、下宿先のマンションに帰ってきた。


「お、硲くん。おかえり~、実家に帰ってたのか?」


「はい、そうです。ただいま戻りました」


 マンションの入り口で、コンクリートに水を撒いていたマンションの管理人さんに出会った。


 会釈をすると、管理人さんは目尻にしわを作って微笑んだ。


 肩にかけたタオルで汗をぬぐう管理人さん。頭が日光に照らされ光り輝いている、とても眩しい。


「うちも昨日まで娘が帰ってきてくれてね、皆ですき焼きを食べに行った。娘が奢ってくれてな? 良い肉を食べたよ。硲くんも親孝行してきたかい?」


「どうでしょう」


 はははと曖昧に笑って濁す。


 買い物を代わりに行く、家事を手伝うくらいはしたが、親孝行と言えるようなものは何もしていない。


 俺の返事に何となく察したらしい管理人さんは「まあ、子が帰ってきてくれるだけで、親孝行だわな」と独り言ちていた。だといいのだが。


 カードキーを取り出して入り口の扉を開けようとしていると、管理人さんが「ところで」とこちらに振り返り、訊ねてきた。


「隣に住んでる、綿岡さん。えーと、下の名前は優菜ちゃん、だったかな。いるだろう? キミと付き合ってるのか?」


「……いや、付き合ってないですけど」


「本当か~? 最近、何度か一緒に歩いているところを見かけてな。随分と仲良さげだったから、てっきりそうなのかと」


 管理人さんは、俺たちの関係が気になったのだろうか。


 水を撒く手を止めて、瞳を細めて追及してきた。


「どういう関係なんだ? 今どき、ただのお隣さん同士で付き合いに発展することなんてないだろう」


「高校時代のクラスメイトなんですよ、偶然隣に住んでいたのでそれから仲良く」


「ほぁー、なるほど。いいなあ、青春だなあ。あの子可愛いし、ラッキーだな」


「それは確かに」


「いやー、眩しいね。もし付き合ったらおじさんにも教えてな? 何か祝いの品をやらんと」


 よほど仲睦まじく見えたのか、管理人さんはそう言ってきた。


 眩しいのは貴方の頭ですなんて返せるわけもなく、力のない笑みで答えた。


 付き合えるなら、教えてもいいと思う。付き合えるならな。


 管理人さんと別れ、自室までやってきて中に入ると、扉を背もたれにして天井を仰いだ。


「はぁ」


 でかいため息が漏れた。


 昨日、あの瞬間、橋川と共に歩く綿岡の姿を見てから、頭の中がそれで埋め尽くされていた。


 なんであの二人が。


 綿岡の実家は、うちの祖母の家からそこまで離れてはいない。あそこの道を通ることは十分に考えられる。


 だが、なぜ今さら橋川と。二人は別れたんじゃなかったのか。


 別れているのは、間違いない。違ったら毎日のように俺とゲームはできないはずだ。


 じゃあなんで。


 考えられるのは偶然出会ったか、約束を立てて会ったの二通り。


 綿岡は、橋川のことをよく思っていなかった。


 浮気して別れた彼とわざわざ会おうとなるのは、考えにくい。


 おおかた偶々遭遇したのだろう。


 だけど、約束を立てて会った可能性も否定できなかった。


 だって別れたとはいえ、一度はお互い好き同士だった仲だ。なにかきっかけがあって、もう一度会おうとなっても不思議ではない。


 それに、綿岡は優しい。普段の俺に対する態度を見ていたら、それは言わずもがなだ。


 つい先日だって、弱っている俺に飲み物と食べ物を買ってきてくれた。仕事終わりにだ。


 あの後飲み会があるなら、わざわざ家に戻ってくるのは手間だったはずだ。優しすぎる。


 その優しさは、当然俺だけに向けられるものではない。マルチにハマってしまった朝霞を助けたのもそうだ。


 橋川に向けられる可能性が無いとは言えない。不安で仕方がなかった。


 もし綿岡が橋川とまた付き合ってしまったら──。


 頑張るかと意気込んだ途端にこれだ。


 四年前も彼女のことが好きなくせに、アプローチすらしないままうだうだとやっていたんだっけ。そしたら、綿岡と橋川が付き合ってしまった。


 死ぬほど後悔したくせに、あの時と何も変わっていない。小寺の言う通りだ。俺に猶予なんてなかった。


 ポケットからスマホを取り出して、綿岡にラインを送る。


『お疲れ、今下宿先に帰ってきたんだけどさ。もしこっちに帰ってきていて今日の夜暇なら、パピロンしないか?』


 いつも通りのゲームの誘い。既読は付かない。


 すぐに付くことの方が珍しいし、普段は返事が遅くなっても何も気にしないけど、今日だけは早く返事をして欲しかった。

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