第31話 鶏の照り焼き

「着いてくるか? とはいっても、キャンパスまでの道のりがかなりきついけど」


 通学路がきついと以前も言ったはず。しかもこの猛暑の中だ。わざわざご飯を食べるためだけに行くのは馬鹿だと思う。


『本当? 行きたい』


 馬鹿だった。


「悪い、冗談で誘ったつもりだった。やめておいた方が賢明だ、三百円は安いけどその分疲れるぞ」


『全然いいよ。暇だし。最近良くないなぁと思いつつも、家にいたらゲームばっかりしちゃうんだよね。実家じゃないからお母さんに怒られることもないから際限なくやっちゃう。わたしにゲーム機を買い与えなかった両親は正しかったね』


 綿岡が俺と同じでハマったらやり込むタイプなんだろうなってのは、昔からわかっている。ランドドラグーンもカンスト勢だったからな。


『だから、たまには外に出ないと』


 気分転換に外に行く、運動不足を補うためにというのはわかる。俺もよく散歩に出かけているから。


 こんな日中にはいかないが。


 彼女が良いと言うなら、まあいいか。


「それなら行くか」


『うん。すぐに出る? わたし準備したいから少し時間欲しいけど』


「いや、三十分後くらいかな。俺まだパジャマだから、シャワー浴びて寝癖を整えたい」


『硲くん、ゲームするならせめて着替えてからしないとダメだよ』


 母親に注意される息子のような構図で指摘を受けてしまった。反省。






       #







「山登りとは聞いていたけど、本当にそんな感じだね。これを毎日は嫌かも」


「だろ?」


 通学路はいつも一人なので、隣に人がいる今が新鮮に感じる。


 綿岡は以前一緒にゲームを買いに行ったときと同じ、デニムジャケットにワンピース姿。それに合わせて今日は亜麻リネン色のリボンの付いた麦わら帽子をかぶり、日差し対策をしていた。


 ワンピースって歩きにくいだろと思ったが、彼女の足取りは軽やかで勾配こうばいにも対応している。問題ないようだ。


 通学路を歩く俺の顔は、大抵の場合ゾンビのような時が多いのだが、今日はしゃんとしていた。


 女の子の前でそんな顔はできない。


 道行く階段の脇に連なる木々が、隙間から陽の光を差し込ませて雑な影を形成している。


 長い階段を抜けると、今度はコンクリートで舗装された坂。その付近は古い住宅街になっており、生活用品を詰め込んだ移動販売のトラックが商いをやっていた。


「この辺来たことなかったけど、こんな感じなんだ」


 長期休暇時以外はこの坂を歩いていると、俺と同じ西川工業大生とすれ違うのだが、夏休みということもあって人の行き交いは少ない。


 しばらく坂を上り、左手にあった両サイドに一軒家が立ち並ぶ細い道を通る。

 行き止まりにあった施錠のされていない錆びついた門をがしゃりと開いて、中に入った。


「ここを通るの?」


「あぁ、もうすぐ大学の敷地内」


「キャンパスの入り口って、もっと開けているところを想像してたよ」


「ここは裏口なんだよ。正面の門は開けてる。そっちまで行くと遠いからな。いつもここから入ってるんだ」


 普段から使い慣れている場所だから何とも思わなかったが、指摘されると確かにキャンパスの入り口って感じはしない。


 ここからさらにうねりながら上に続いていく坂道を上っていくと、キャンパス内のバス停に出た。


 まだ食堂まで少し歩くが、ここが通学路のゴールだ。


「着いた着いた」


 開けた場所に出ると、ふう、と息を吐く綿岡。インドアのくせに案外体力あるな、こいつ。俺も到着して、「疲れた」と愚痴をこぼす。


「緑が多いね」


 彼女が言うように、大学が建てた建物と舗装された道やスペース以外はほぼ木で埋め尽くされている。


「まあ、山の上だからな。桜の木がたくさん植えられているから春は壮観だぞ」


 流石にキャンパス内部なので、それなりに学生はいるがそれでも少ないし、活気が無い。


 雑談をしながらしばらく歩く。食堂を訪れると、昼食時ということもあって、ここが最も人口密度の高い場所だった。


 食券機の前に立ち、日替わり定食の食券を購入する。それを食堂のおばさんに渡し、しばらく待つと、


「はい、日替わり定食二つねー」


「わあ、美味しそう」


 綿岡が感嘆の声を上げた。


 今日のメインは鶏の照り焼きだった。お味噌汁と漬物、生野菜のサラダときんぴらごぼうが付いている。


「想像していたよりも、量があるね」


「うちの大学は男ばかりだからな。男が食べることを想定して作られているんだろ」


 定食のボリュームに関しては、おかわりをしなくても腹いっぱいになるレベルだ。


「いいね、うちの短大にはこんな良心的な価格の定食は無かったな。味は美味しかったけど」


 鶏の照り焼きを箸でつまんで口に運ぶ。……美味っ。


 綿岡も、同じように照り焼きを口に運んでいた。俺が見ているのに気づいた彼女は瞳を細め、口元を手で隠しながら「美味しいね」と言った。食べ方に気品を感じる。


「あぁ」と素直に同意した。


 ……しかし、あれだな。さっきからちょくちょく視線を感じる気がする。


 周囲に目を向けると、男ばかり。というか、女が一人もいない。


 いつもなら全体の一割くらいの割合でいるのだけど、今日はたまたまいなかった。だからだろう。綿岡が目立つ。


 綿岡は美人だしな。客観的に見て彼女レベルに顔が整っている女の子は大学にほぼいない。それは注目を集めるよな。

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