第32話 デバッグが必要な情緒

 しかも、彼女の見た目は女慣れしていない人間にささる。ワンピースに麦わら帽子ってなんだよ。殺しに来てんのか。


 瞳もぱっちりとしていて大きく、見るものを惹きつける。明るくて愛嬌があり、柔らかい物腰で他人に悪い印象を与えない。


 女慣れしていない人間の代名詞こと理系男子は多分話しかけられただけで、あ、いい……っとなる。試しにここにいる人間全員に話しかけてみろ。


 多分、一人か二人くらい惚れる人間が出てくる。


 当の本人は、その注目に気づいてないようで、食事を楽しんでいる。そして、機嫌よさげに俺に話を振ってくる。


 やれパピロンがどうだ、やれ昨日SNSで観た動画がどうだ、彼女の話相手である俺は気が気でなかったが、少し優越感を感じた。


 周りから見たら、綿岡は俺の彼女に見えるだろう。


 そう見られて純粋に嬉しいと思えたのは、彼女に失恋するあの日まで。


 今は失恋しておいて、恥ずかし気もなく昔と同じように彼女に好意を抱き、また優越感を感じてしまっている自分が酷く情けなく思えて、自己嫌悪に陥っていた。


 プライドはどうしたプライド高男。お前は処女厨だろ、処女以外認めるな。


 頭の中に浮かぶのは、綿岡と二人で電車に乗っていた朝霞を説得した日の帰り道。至近距離で一瞬だけ絡んだ彼女と俺の視線、紅潮した頬。擦れた衣服。あの時の綿岡の照れた表情。


「~~……っ」


「どうしたの?」


「……いや、なんでも」


「?」


 前から思っていたけど、認めたくないと思っているときに限って、脳みそが勝手に綿岡との良い記憶を再生してくるんだが。


 え、まさか脳みそ。お前敵か? 頭かちわるぞ。死ぬのは俺だが。


 ただそんな悪態をついていても、綿岡に惚れてしまっている現実には抗えず、彼女と食事して談笑している今が幸せだという事実を否定することはできなかった。


 イライラする。けど、多幸感に満ちている。情緒が狂っている。


「そろそろ研究室に行くかな」


 食事を終えて、しばらく休憩した後、俺はそういった。立ち上がって、かけておいたリュックサックを背負う。


「わかった、連れてきてくれてありがとね」


 俺に合わせて立ち上がる綿岡。椅子を元に戻し、食堂の外へと二人で歩きだす。


「ちゃんと家まで帰れるか? 家までの帰り道、覚えてるか?」


「硲くん、それはわたしのことを舐めすぎだよ。わたしのスマホにはナビアプリが入っています」


「文明の利器に頼る気満々じゃねーか」


 俺のツッコミにふふと微笑んだ彼女は「せっかくだし、少しキャンパスを散策してから帰ろうかな」と言った。


「それなら、二号館。……わかるかな。右手に見えるあのでかい建物に行くのがおすすめかな。メディア系の学科の展示物がたくさんあるから、楽しめると思う」


「本当? じゃあ行ってみるね」


 行く先が違うので、そこで別れた。研究室棟への道を進んでいく。


「硲ー」


 そのさなか、背後から間延びした声が聞こえてきた。


 振り返ると、数十メートル後ろに小寺がいた。駆け寄ってきたので、立ち止まって待つ。


「やあ、元気?」


「おお、元気」


「ちゃんと勉強会、サボらずに来て偉いね」


「お前は保護者か」


 俺と小寺は同じ研究室に配属されているので、もちろん彼も勉強会に参加する。


 ちなみに恭平も研究室は同じ。


 配属時にいくつか希望の研究室を選べるのだが、三人で同じ研究室に揃えて提出したという経緯があってそうなった。


 この研究室を選んだ理由は、小寺が一番就職に良いらしいよと言っていたから。


 情報系の分野の学科にいたら、将来はIT系の業界に就職する人間が多いと聞く。


 もちろん自分も将来はそうなると考えているのだが、ITと一口に言っても、この分野には様々な職種がある。


 ハードウェアにソフトウェア、情報処理系のサービスだったり、WEB、インターネット業界など。ゲームやアプリもあるな。


 技術職だけでなく、専門知識を生かした営業や管理系の業務だって存在するだろう。


 正直、将来の職業に関して、俺は多く給料がもらえて、休暇がしっかり取れればそれでいいと考えている人間だから、こだわりが無い。


 賢い小寺が就職に強いというのであれば、それに追従するのが一番と考えたわけだ。


 就活はもう少し先だ。その時、深く考えればいい。


 閑話休題。


 研究室に向かいながら、べらべらと喋っていると、「ところで」と前置いて小寺が言った。


「ぼく、パピロン3買ったよ」


「へえ、ついにか」


 彼が以前からパピロン3を買おうか迷っているという話は聞いていた。


琴美ことみさん、喜んでるんじゃないか?」


「うん、最近はよく一緒にやって教えてもらっているよ」


 琴美というのは、小寺の彼女の名前だ。名字は知らない。小寺の彼女は俺ほどではないが、ゲームが好きでよくやっていると聞く。


 小寺と俺と琴美さんの三人で、何度かゲームをしたこともあった。


 そんな彼女がパピロン3にハマっているのは小寺から聞いていた。流石のパピロン。


 今年一番売れているゲームであると、ネットニュースか何かで見た。周りでたくさんプレイしている人がいる。


 小寺もゲーム機自体は持っているが、そこまで熱中してやるタイプではないので、彼女と一緒に遊ぶために買ったわけだ。


 全くもって良い彼氏だと思う。


「良かったらさ、今度一緒にやろうよ。硲ゲーム上手いでしょ、教えて欲しい」

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