第12話 高級食パン
翌日、いつもより早く起きた。土曜日なのにな。
顔洗って寝癖を直して服を着替えて、早速部屋の掃除に取り掛かる。
テーブルの上に散乱していたゲームソフトを片付け、部屋全体の埃をモフモフのハンディワイパーで拭いとっていく。
掃除機はかけない。朝早くから騒音を出していたら迷惑だ。
掃除機の中には静音の物もあるらしいが、一人暮らしの大学生がそんな高価なモノを購入する金銭的な余裕は無い。
新生活応援セールで売り出されていた型落ちの掃除機は押し入れでもう一眠りさせ、粘着シートのカーペットクリーナーでコロコロと塵と埃を取った。
仮に今日来客する予定の人間が小寺や恭平ならこんな前準備はしないんだがな。
使い切った粘着シートをぺりぺりと剥がし、蓋付きのゴミ箱に捨てながら、部屋の壁に視線を向ける。
……無音。
綿岡はまだ起きてないらしい。時計を見ると午前七時。いや、早すぎ。
流石に起きてないだろ、昨日も仕事だったろうから疲れていると思うし。
彼女が今日家にやってくる時刻は正確には決めてない。
おそらく昼過ぎくらいだとは思うが、早めに準備をしていて損はない。
ふと、高校生の頃を思い出す。綿岡に片想いをしていた時のことだ。
あいつからラインのメッセージが送られてきたら、今している作業を放り出す、もしくは最速で終わらせて返信していた。
ゲームの誘いもすぐに応じた。普段なら宿題を後回しにしたり、リビングのソファで意味もなく何時間も蛹のように固まって寝転んでいた俺が、彼女の一声で俊敏に動いた。
……なんか、今も変わってないような。
綿岡と遊ぶとなって、浮足立っている。休日にこんな時間に起きるなんて普通はない。
馬鹿みたいに早起きしてソワソワしながら、空き缶の入ったビニール袋を結んでいる。もっと遅く起きて掃除しても十分間に合うだろうに。
これではまるで成長していないじゃないか。そう自覚してため息を吐いた。
元カノと付き合っていた時は、ここまで落ち着きの無い人間ではなかったはずだが。
まあ、浮足立つくらい綿岡が俺にとって特別な人間なのだろう。とっくの昔に関係は途切れ、疎遠になっていたはずなのに。
綿岡は俺にとって初恋と呼べる人間ではない。中学生で既に初恋はあった。
だが中学での恋はただの憧れに近かった。周りに合わせて好きな人を作っていた覚えがある。
その恋した相手とどうこうなりたいとか、二人の関係を具体的に発展させたいという明確な意思も無かった。
だから、初めて告白に踏み切ろうとした(結局できなかったが)綿岡は、俺にとっての本当の意味の初恋だった。
やはり、初恋は特別か。今さら彼女と付き合いたいわけではない。それでもここまで翻弄されてしまう。
おそろしいわ、初恋の魔力。
部屋は元々そこまで汚れていなかったこともあり、掃除はすぐに終わった。
何しようかな。もうひと眠りするか?
顎を指で掻いたら、少しジョリっとした。髭を剃ろう。
#
インターホンが鳴った。昼食に使った食器を洗い、それをタオルで拭いていた時だった。
手の水気を取って、慌てて玄関に向かう。扉を開くと、綿岡がいた。
「やっほ、遊びに来たよ」
小さく手のひらを開き、瞳を細めて微笑む彼女。先日のパンツスタイルとは対照的に花柄のロングスカートをタックインして着用している。
ほどよくフェミニン系で年相応の女性らしさがあっていいなと思う。
化粧も覚えて、素敵な女性になったよなと改めて感じたが、ジロジロ顔を見ていてもきもいし、声に出して褒めるのもそれはそれで気持ち悪い男に見える気がする。
出会いがしらの挨拶も程々に、「入ってくれ」と彼女を迎え入れた。
麦茶と午前中のうちに買っておいた菓子をお盆に載せて運ぶと、
「前来たときも思ったけど、気にしなくていいのに、マメだね」
「お茶くらいは出すだろ」
「どうだろ、人によると思うけど」
と指摘された。実際はどうなんだろうか。身近な人間で例を挙げると小寺の家では出てきた。恭平は出てこなかった。恭平は百%しない。
……確かに、人によるな。
今回は何も言うことなく座椅子に座ってくれた綿岡。彼女は「そうだ、忘れてた」と呟き、隣に置いていた紙袋をこちらに手渡してきた。
「なにこれ」
「ほら、前帰るときに行ったじゃん。お土産持ってくるって」
「あぁ、ありがと」
そういえば約束したわ。食べ物系って言ったんだっけ。すっかり忘れていた。
絶対お前の方がマメだろ、と突っ込みたくなったが、それよりも中身が気になった。
「見ていいか?」
「もちろん」
口を噤んで紙袋の中を覗き込む。
「お、食パンだ」
しかも
「そこの食パンを買ったお店ね、職場のすぐ近くにあるんだけど、すごく美味しいの。せっかくだから、硲くんに食べてほしくって」
「わざわざありがとう」
これは朝ごはんにちょうど良さそうだ。紙袋の中から甘い香りが漂ってくる。
「匂いだけでもう美味しいってわかるな」
「でしょ」
俺の反応に綿岡は満足げだった。
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