第4話 優秀な同級生

 俺が通う大学にはいくつかのキャンパスがあり、そのうち山の中に存在するものがある。工学部のキャンパスだ。


 そこは駅から徒歩三十分とアクセスが最悪で、今日みたいな朝から蒸し暑い日には、学生にとって最低で最悪な通学路となる。


 通学用のバスは通っているが、毎日のバス代を捻出するのは金銭の懐事情がよろしくない大学生からすると、正直かなり苦しい。朝から徒歩で山登りをする学生も少なくない。


 俺も徒歩で通う人間の一人だ。自分の場合、下宿先からの登校だから二十分ほど歩けば済むが、それでもこの道のりは疲れる。


 無数に生えた木々の合間を縫うように敷かれた石畳の階段。それをスニーカーで踏みつけて上っていく。騒がしい蝉の大合唱を聞きながら、辿り着いた先は、キャンパスの入り口。講義棟にやってくると、ひんやりと涼しい空気が肌にぶつかった。心地よい。


 まだ七月にもなっていないというのにこの暑さ。異常気象だ。異常気象という単語を耳にしない年はないが。ということは異常であることが通常なのか。


 そんなことを考えながら訪れた講義室は、必修ということもあり、人で溢れかえっていた。


 パッと見た感じ、恭平はまだ来ていないようで。この調子なら奢り確定だろうか。


 周囲を見渡すさなか、一人の男と目があった。


はざま


 教壇から見て前から二列目の右側のテーブル。大学の講義で前の方に座る人間は学習意識の高い奴しかいない。


 そのテーブルに座る、小寺隼人こでらはやとは俺を見てこっちこっちと招くように、隣の席を手で叩いた。


 教卓から出席届けを二枚取って、小寺の隣にやってくる。


「おはよう」


「おはよう」


 そう一声かけて、荷物を下ろす。リュックの中に入れたノートPCを取り出し、授業の準備を進める。


「今日、暑いね」


「そうだな、もう夏って感じだ」


「ね、今朝蝉の声で目が覚めたよ」


 小寺は大学で最も絡む時間の多い友人の一人だ。恭平とこいつと一緒にいる時間が長い。一年の頃、俺と恭平が漫画の話をしていたら、人懐っこい笑みを浮かべて会話に参加してきて、仲良くなった。


「林は?」


「恭平なら、多分彼女とイチャコラしてる」


「イチャコラって」


 苦笑する小寺は「幸せそうでなによりだけど、出席届けを人に提出させるのは良くないね」と言った。その視線は、俺の手元に注がれていた。


「まあ、あいつは成績良いからいいんじゃないか」


「そんなに良くないでしょ」


「流石、学部トップの発言は違うなぁ」


「いや、硲の基準が低いだけ、キミはもう少し頑張らないとダメだよ」


「……おっしゃる通り」

 

 俺は三人の中で、最も成績が悪い。学部の中では中の下って感じ。恭平は中の上。隣にいる人間は無償の奨学金で院に行くことが決まっている秀才だ。


 なぜ、こんな大学にいるのかわからない程度には賢いし、技術力がある。そんな彼にさとされたら、大人しく首肯しゅこうするしかない。


「わからないところがあれば、いつでも教えるから気軽に訊ねてくれていいよ」


「助かる、いつもありがとう」


「いいよ、硲には恩があるし」


「恩って……」


 そう言われて、思い当たる節は一つしかない。以前小寺が彼女と別れそうになった時に、仲を取り持ったことがあった。一年近くも前の話だ。


「いつまで言ってんだよ、気にしなくていいのに」


「あれ、本当に助かったんだよ。硲の協力が無かったら、ボクは今頃フラれていたかもしれない」


 小寺は地元がこの辺で、実家から大学に通っている。彼女とは中学校の時に出会い、そこからずっと続いているらしい。何度か会ったことがあるが、彼と同じく低身長で温厚な、丁寧な言葉遣いをする女の子だった。


 何年も付き合っていると思えないほどのラブラブぶりで、大学を出たら同棲して結婚するとまで断言していた小寺。


 そんな彼女との亀裂が入ったのは、去年の大学の文化祭の時、たまたまその場で知り合い、仲良くなった女の子と文化祭を二人で回ったことがきっかけだった。


 うちの大学にほとんど女はいない。外部の学生で、落としたハンカチを小寺が拾って手渡したことがきっかけで、文化祭を案内してほしいとお願いされたらしい。


 それを聞いたときは、そんな逆ナンパみたいな出来事、現実で起こりうるのかよと思ったが、小寺は男から見ても女受けする優しい甘いマスクをしているので、そういった機会も存在するのだろう。


 そこでサプライズで文化祭に訪れた彼女が、小寺と女の子が楽しそうに文化祭を回る様子を見て、激昂したのだ。


 彼女目線では、小寺が浮気したように見えたのだろう。その時、現場にいなかったから実際のところはわからないが、鼻の下を伸ばしていたのではないだろうか。


 文化祭以降、連絡を取ることを拒否され、途方に暮れていた小寺を見かねて、その彼女さんに電話をかけた。以前、連絡先を交換していたのだ。


 現場に居合わせていなかったので、浮気していないとか確信的なことは言えなかったが、小寺が彼女さんのことを普段からずっと大切に想っていることだけ伝えた。


 それから一週間ほどして小寺から礼を言われたので、解決に至ったとわかった。


「もう浮気なんてするんじゃねーぞ?」


「だから、浮気じゃないって。本当に案内していただけで」


 彼の真面目な性格上、そんなことをする人間ではないとわかっている。ただからかっただけだ。


「もし硲が好きな人とかできたら教えてよ? 付き合えるようにいくらでも協力するから」


「あぁ、頼む」


「そういって前の彼女さんの時は、何も相談してくれなかったよね。いつの間にか付き合って、いつの間にか別れてた。彼女さんと最近どう? って聞いたら、けろっとした顔でフラれたって言うし、あの時は驚いたよね」


「ごめんて、次は相談するから。次があるのかはわからないけど」


 あまり恋愛関連のことを人に相談するのは得意ではない。恥ずかしいのだ。それに、元カノの時は、恋をしているって感じはなかった。


 いい雰囲気だったから、ノリとその場の空気告白してみたらOKを貰った。だから付き合った。


 自分も地に足が付かないままの半年間だった。小寺や恭平のような恋愛をできていない。幸せそうな二人が羨ましいし、時折、嫉妬余って憎く感じることもある。


「あるでしょ。硲は良い男だから、彼女なんてすぐできるって。何となくだけど、ボクたちの中で一番結婚するのが早そうな気がする」


「なんだそれ」


 へらっと笑って言葉を返したが、内心は笑えなかった。


 根拠がないのに自信に満ちた励ましは、恵まれているか現状が幸せな人間しかできないと思う。


 自分の容姿や内面、トータルスペックを見て良い男じゃないことは理解しているのだから、戯言は勘弁してほしかった。

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