第3話 憂鬱なマルチと希死念慮

『マッチありがとうございます。ひなと言います。りょーすけさんって呼べばいいのかな?』


『そうです、りょーすけです。くんでもさんでも、なんとでも呼んで貰って大丈夫ですよ!』


『本当ですか? じゃあ親しくなりたいのでりょーすけくんで』


『お、嬉しいです。じゃあ俺もひなちゃんって呼びますね』


『はい、よろしくお願いしますね! りょーすけくんは大学生ですよね。今三年ですか?』


『そうですよ、ひなさんは?』


『わたしも三年です! 一緒ですね(にっこり)。ちなみにりょーすけくんはバイトってされてますか?』


『? バイトですか。近所の飲食店のキッチンで働いてます』


『キッチン! 大変ですよね。しんどそうだな〜。わたしのバイトは楽で楽で(笑)』


『そうなんですよ、きつくて割りに合わない(笑)。ひなさんはどんなバイトをされてるんですか?』


『わたしはスマホゲームの広告のバイトをしててー』


『変わったバイトですね』


『バイトっていうか個人事業みたいなものでして、サクッと毎月五〇万くらい稼げちゃうんですよ。良かったら一緒にしませんか?』


 朝。


 早く起きて一限まですることが無かったので、テレビにニュース番組を映し、スマホを触って暇を潰していると、なんとなくアンインストールしたマッチングアプリが気になり、再インストールした。


 元カノと付き合ったタイミングで消したけど、まだデータは残っていたりするのだろうかとふと思ったのだ。


 結果は以前のデータは残っていて、アプリを少し覗いてみると、つい昨日メッセージをくれたばかりの女の子がいた。


 ひなという可愛らしいユーザーネームをした女の子だ。可愛いのはその名前だけでなく、くりんとした瞳に、小さな顔が、愛玩動物のようでちょっと刺さった。


 メッセージを返すと、すぐに返信が来たので、そのままやり取りを続けていたのだが、この有様だ。俺の十分間を返してくれ。マルチなら最初からマルチと言ってくれ。


 こんなありきたりな勧誘に騙される奴がいるのかどうか甚だ疑問だが、いや、いるからやっているのか。


 とにかく時間を無駄にした結果、そろそろ大学に向かわないと遅刻してしまう時間になった。


 アプリを躊躇なく削除して身支度を整える。


 リュックを背負い、さて行くかと意気込んでいると、隣の部屋から「仕事、いやー……」と女性の疲れの滲む嘆き声が聞こえてきた。


 うちのマンションは壁がそこそこ薄いので、生活音が漏れることは割とある。


 隣人の姿を見たことはないが、この春からやってきた新社会人の女性らしい。管理人さんから聞いた。


 入社して二ヶ月でこれなのか。二年後に自分も社会人デビューする。彼女同様の嘆きを将来吐くことになるのかと考えると、憂鬱な気分になった。もともとマルチ女のせいで憂鬱だけども。


 こんな晴れない気分の時は嫌なことばかり考えてしまう。


 表に声に出しては言わないが、なんで生きてるんだとか、死にたいとか、独り心の中で呟いては霧散していく。


 自殺願望があるわけじゃない。ただ、周りの人間と自分を比べていつも酷く劣っているように感じて、それが辛いのだ。


 昨日の恭平なんて、特にそうだ。あいつとは大学一年からの友達だ。俺の名字の硲と恭平の林で、名前の順に並んだら隣同士だった俺たちは、なにかと接する機会が多く、仲良くなった。


 あいつと仲良くなった頃は、同じ学科の奴ですら三分の一も碌に顔を覚えておらず、周りの人間の人となりが何もわからない状況で、まだ恭平と相田は付き合っていなかった。


 当時の相田は、学部内のアイドル的存在だった。うちの大学は理系の学部が九割を占めており、工業系が主だ。


 工業系の学部なんて二十人に一人女がいたらいい方で、全くいない場合もある。そんな空間の中の貴重な女性で、しかもモデルばりの容姿をしているんだから、よく目立った。


 普通、男ばかりの学部に美女がいたら、イナゴのように群がってくるのでは思うが、実際はそうじゃ無かった。


 理系の男は俺を含め奥手で控えめな人間が多い。相田の周囲には、同じ少数の女の子ばかりが集まった。中には声をかける男もいたが、殆どの人間が、それをしない。


 俺たちが気安く喋りかけてはいけない。彼女の周りは、一種の不可侵領域ができていた。


 そんなある日だった。恭平から、彼女ができたと聞かされた。なんとその相手は相田だ。


 それまで、彼らが接しているところを見たことなかったから、驚いた。


 なんでもバイトが一緒で仲良くなり、こっそり付き合いはじめたらしい。


 当時、割りに合わない男塗れの多忙なキッチンバイトを始めたばかりの俺としては、羨ましい限りだった。


 それに加え、心が締め付けられたのを覚えている。


 彼女は学部のアイドルだった。そんな存在に恋人ができたとあれば、全く関わりのなかった自分でも少し思うところはあって。


 目の前で気になっていた女の子が、別の男のモノとなった。その事実だけで辛いし、高校時代を思い出して二度辛い。


 結局、恭平と相田は二年経った今でも交際を続けている。昔はアイドルポジションだった相田も、今では完全に林の女扱いされており、恭平経由で俺とも仲良くなった。今では彼女も友達だ。


 ただそんな二人を近くから眺めて感じる劣等感は、いつになっても消えることはない。


 二人は美男美女で、サクッと結ばれて、二年も交際を続けていて、本当に幸せそうで。


 今頃彼らは何をしているんだろうな。昨日の恭平とのやり取りから想像は容易い。


 方や俺は何をしているか、朝からマルチの女に時間潰されて、隣人の嘆きを聞いて、今から律儀に一限を受けて、彼女持ちの友人の代わりに出席届けを二枚書く。


 なんで俺の方が幸せな人生を送ってないんだよ、おかしいだろ。俺のが良い男だろ? 冗談は顔面だけにした方がいいし、心の中ででも友達に過剰に嫉妬してる人間が良い男なわけがないのが現実だ。


 

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