第2話 それはコンドーム

 不快な湿気と暑さが顔を出し始める六月の半ば。外が暗くなり、日光から解放されてしばらく。


 俺はこの時期のこの時間が一番好きだ。


 適度に暖かくて夜風が心地よい。花粉に悩まされることもなければ、乾燥で唇が荒れることもない。


 そんな過ごしやすい気候だからか、最近はよく散歩に行く。


 下宿先の近くに流れる川。


 その河川敷をゆったりとした足取りで歩く。するとある程度歩いた所で、道の脇にコンビニがあるので、そこで缶のハイボールを買い、川べりにやってきて短パンをコンクリートにくっつけ、蓋を開けて喉を潤す。


 時折水面を跳ねる魚をぼーっと眺めながら飲む酒は良い。ノスタルジックな気持ちにしてくれる。


 ど田舎出身ではないが、自然に囲まれてその一部になると、謎に懐かしさを感じるのだ。そして、その懐かしさが良いツマミになる。


 どんな安酒も美味くなる。嘘、赤ワインは苦手だから美味くはならない。ハイボールが最高。


 酒ならこれが一番好きだ。コークハイならなお良いが、缶の物はなかなかお目にかからない。


 コーラとハイボールを買って割ればいい話なのだが、雑に酒を飲みたいだけなので、そこまで手間をかけるつもりはなかった。


「よっ、良介りょうすけ


 ちびちびと酒をあおっていると、突然、頭の上に何か重たいものを置かれた感覚があり、驚きで肩が釣りあがった。


 慌てて振り向くと、そこには大学で見慣れた人間がいた。


恭平きょうへい


「よっ、何してんのこんなところで」


「こっちのセリフだわ、びっくりした」


 すまんすまんと、自らの後頭部を撫でる恭平。彼の手には酒やツマミの入ったコンビニ袋が握られている。お前、さっきそれ頭の上におきやがったな。


 並んで立ってもでかいと感じる彼に、座ったまま背後に立たれると、妙な圧があって居心地が悪い。缶を持って立ち上がる。


「そこのコンビニに行ってた、その帰り」


 レジ袋を見た時点でなんとなく察していたが、彼が利用したコンビニはついさっき自分が酒を買った場所だった。 


 上下長袖のジャージ姿の彼に「暑くね? その格好」と顎をしゃくると、「いや、全然」と返された。


「で、なんでこんなところで晩酌してんの?」


「最近のマイブームなんだ。散歩すんのが」


「どう見ても散歩ではなかったけど」


 異論が出たので、ふんと鼻を鳴らして「散歩だ」と言い張る。


「変な奴」


「おい」


 恭平はさして興味も無さそうで、たまたま俺の姿を見かけたから声を掛けてみただけって感じだった。


「そういえば、お前の家すぐ近くだっけか。酒を飲むなら一緒にどうだ?」


 偶然会ったからには、せっかくだし駄弁りながら一缶開けていこうやと提案したが、


「いや、あいつを待たせてるから」


 彼は首を横に振って、親指を上げて後ろを指した。数十メートルほどの階段を上った先にある遊歩道脇のベンチに、恭平の彼女、相田の姿があった。


「これはこれは、お熱いこって」


「よせやい」


 茶化すとまんざらでもなさそうに、整った顔をだらしなく崩していた。だが、突然何かを思い出したように、あ、と呟き彼は申し訳なさそうに自らの後頭部を撫でた。


「明日の一二限、コンピュータサイエンスの講義あるじゃん。俺あれあと一回休んだら、落単なんだよね」


「あぁ、あの授業か。確かにお前、ちらほら休んでたな」


「でさ、良介。そこでお願いなんだけど、もし俺がいなかったら出席届け出しといてくんね? 今度昼飯奢るからさぁ」


「はぁ?」


 うちの大学は、授業前に教卓の上に置かれた出席届けを取り、提出しないと出席扱いにならないというルールがある。


 もし、ズル休みがしたいのであれば、誰かに代わりに出席届けを二枚書いてもらう必要があった。


「馬鹿だなぁ、一限の授業取るから……いや、あれ必修か」


「そうなんだよ、頼む! この通り!!」


 両手を合わせ、猫背になって頭を下げる恭平。


「……奢れよな」


「流石! 恩に着るよ、できる限り自分で起きるから、もしもの時は頼むな」


 言うや否や、彼は「じゃあ俺は帰るわ、また大学で」と手を振って遠ざかっていく。


 階段を登った先で相田と合流すると、二人して軽く手を振ってきたので、俺も振り返しておいた。


 彼らが去りポツンと残されると、なんだか無性にアルコールを身体が欲したので、勢いよく残りのハイボールを飲み干した。


 もう手持ちに酒は無いので、近くのゴミ箱に缶を捨てて帰路に着く。


 その道中、脳裏に焼き付いたのはサキイカの隣にあった紙袋で梱包された箱。マジでそんなものを頭の上に載せるな馬鹿たれ。

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